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トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その32の3 『諏訪、諏訪大社』

2007年12月09日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
諏訪大社は日本最古の神社の一つで、日本書紀にも記されている。
諏訪大社は上社(前宮、本宮)と下社(春宮、秋宮)に分かれていますが、あわせて諏訪大社と呼ばれています。



また諏訪大社は、「古事記」にも記されていて、信濃国一之宮として広く天下の崇敬を集め、分社は全国に数千もあるそうです。

大国主命の第二子、祭神建御方命は兄事代主命と共に大国主命を助けて、国土経営の大任を任されたと伝えられています。
その後、科野国州羽(しなののくにすわ)に退き、妃神八坂刀売神並びに御子神と共にこの地の農耕・機織をすすめたとされています。
こうなると出雲大社も関係してくるわけですね。
後日、出雲大社も紹介します。

北参道から真っすぐ登ってきたところからの景観です。



なかなか立派な、狛犬の石像です。
トッポが一緒なら、すぐ記念撮影なのに残念です。



上社本宮幣拝殿です。 
全国に一万以上あるといわれる諏訪神社の本源です。



手水舎の横に、相撲界で伝説の雷電爲右エ門の像が建てられていました。
雷電爲右エ門って、誰?と言う人も多いでしょうから、ネットからの転載ですが、紹介しておきます。

『雷電は、1767年(明和4年)信州に生まれました。
江戸相撲の浦風林右衛門の門弟となって18歳で江戸に上り、23歳にして雲州松江藩主のお抱え力士となり、藩ゆかりの四股名「雷電」をもらって「雷電為右衛門」を名乗りました。29歳で大関に昇進し、45歳で引退するまでの16年間27場所で大関を保持した。また、強すぎるため「かんぬき」「張り手」が禁じ手とされました。
最高位が大関で横綱ではなかったことには、江戸時代横綱が儀礼的な地位であったためとか、抱えの松江藩と、相撲の家元と関係が深い細川藩との確執があったため、など諸説ありますが、そこはいまだ謎につつまれています。
生涯の相撲成績は、254勝10敗、引き分け他21。勝率が96.2%、そして連続優勝7回と、いずれも古今最高を記録し、相撲史上最強の力士と言われています。』



こちらが拝所になります。
毎年真夏に行われる御舟祭(おふねまつり)や7年に1度の御柱祭(おんばしらまつり)は全国的に有名です。



本宮は諏訪造りの代表的なもので、建造物も四社の中で一番多く残っています。
同行者の中には、『でもそんなのカンケーねぇ!』と万歳しています。



奉祭は末裔の神氏(諏訪氏」によると記されています。
風林火山に出てくる諏訪一族との関係が見えてきます。
鎌倉幕府は社領を寄進し、武田信玄は社殿を造営・祭祀を復興したとされています。



他の建物とは一段高い場所に『勅願殿』があります。
1960年に諏訪高島藩によって建てられたもので、朝廷や諸侯の祈願を行ったところだと伝えられています。



諏訪大社前宮です。
上社はこの後ろに位置します。
背後にある「守屋山」自身がご神体で、本殿の無いお宮としては、神様の形式はもっとも古いとされる古社と紹介されています。
この前宮は、諏訪大社4社の中で最初に建てられ、諏訪信仰の発祥の地とされています。 



それでは、次に信濃の豪族、諏訪頼重の娘で、風林火山のヒロイン、由布姫の供養塔があるという小坂観音院を訪ねてみます。

続く...................................................。