不明門から本丸御殿跡へ向かい天守閣を正面から見てみようと思います。
真正面から見上げた天守閣です。
第二次世界大戦で名古屋も空襲に会い、大・小天守閣、本丸御殿をはじめ建物のほとんどを焼失しました。
焼失を免れた三つの櫓(西北・西南・東南)、三つの門(表二之門・旧二之丸東二之門・二之丸大手二之門)と、本丸御殿障壁画の大部分は、重要文化財として現在に伝えられているそうです。
現在の天守閣は名古屋城が灰じんに帰してから10数年後の、昭和34年に再建されました。
天守閣と小天守閣を並べて撮ってみました。
間に見えるのが、剣塀とよばれるもので、軒桁に槍の穂先を並べ忍び返しと呼ばれる軒桁の作りが見られます。
天守閣の金の鯱鉾を少しアップで撮ってみました。
資料によると;
金鯱は、雄と雌一対が大きな口を開けてギョロメを剥いて天守閣の屋根の上に向かい合って鎮座している。遠くから見てもよく分からないが、天守閣のてっぺんで向かい合って南北に鎮座する鯱は雌雄の一対である。北側に雄、南に雌がいる。しかも、大きさが異なっているそうである。
雄(北側) 雌(南側)
高さ 2.621m 2.579m
重量 1.272Kg 1.215kg
金板の種類 18k 18k
金板の厚み 0.15mm 0.15mm
鱗枚数 112枚 126枚
金量(18k) 44.69kg 43.39kg
望遠いっぱいで、金鯱を狙ってみました。
思ったより優しい顔をしていると思いましたが、どうですか?
外庭も庭師により、手入れが続けられていました。
二の丸庭園へ歩く途中で、加藤清正の像がありました。 何故?
下の説明版によると、加藤清正の石曳きとして有名なのだそうです。
晴天ではないのですが、それなりに空も綺麗でした。
次は有名な二の丸庭園へ回ってみます。
続く.....................................。
真正面から見上げた天守閣です。
第二次世界大戦で名古屋も空襲に会い、大・小天守閣、本丸御殿をはじめ建物のほとんどを焼失しました。
焼失を免れた三つの櫓(西北・西南・東南)、三つの門(表二之門・旧二之丸東二之門・二之丸大手二之門)と、本丸御殿障壁画の大部分は、重要文化財として現在に伝えられているそうです。
現在の天守閣は名古屋城が灰じんに帰してから10数年後の、昭和34年に再建されました。
天守閣と小天守閣を並べて撮ってみました。
間に見えるのが、剣塀とよばれるもので、軒桁に槍の穂先を並べ忍び返しと呼ばれる軒桁の作りが見られます。
天守閣の金の鯱鉾を少しアップで撮ってみました。
資料によると;
金鯱は、雄と雌一対が大きな口を開けてギョロメを剥いて天守閣の屋根の上に向かい合って鎮座している。遠くから見てもよく分からないが、天守閣のてっぺんで向かい合って南北に鎮座する鯱は雌雄の一対である。北側に雄、南に雌がいる。しかも、大きさが異なっているそうである。
雄(北側) 雌(南側)
高さ 2.621m 2.579m
重量 1.272Kg 1.215kg
金板の種類 18k 18k
金板の厚み 0.15mm 0.15mm
鱗枚数 112枚 126枚
金量(18k) 44.69kg 43.39kg
望遠いっぱいで、金鯱を狙ってみました。
思ったより優しい顔をしていると思いましたが、どうですか?
外庭も庭師により、手入れが続けられていました。
二の丸庭園へ歩く途中で、加藤清正の像がありました。 何故?
下の説明版によると、加藤清正の石曳きとして有名なのだそうです。
晴天ではないのですが、それなりに空も綺麗でした。
次は有名な二の丸庭園へ回ってみます。
続く.....................................。