ポルトガルのファドを聴いていると、「その男ゾルバ」の音楽を聴きたくなった。ポルトガルとギリシャ、地中海地方の共通する雰囲気がある。中東的というか、ペルシャ的だ。地中海を回教徒が支配した歴史が、音楽のなかに残っているのだろうか。
「その男ゾルバ」http://www.youtube.com/watch?v=2AzpHvLWFUM
「その男ゾルバ」のなかのダンスは、シルタキ sirtaki というそうだ。わたしには、映画のダンスシーンで、ベストのひとつだと思う。「雨に唄えば」に匹敵する。
シルタキ・ダンス http://www.youtube.com/watch?v=PboHMWbI3RM&feature=related
シルタキ タップ・ダンス http://www.youtube.com/watch?v=FSnaot4DC6g&NR=1&feature=fvwp
「その男ゾルバ」は、ギリシャの作家、ニコス・カザンザキス(1883年~1957年)の小説「アレクシス・ゾルバス」が原作だ。ニコス・カザンザキスは、なんどもノーベル賞候補になったが、受賞はしなかった。1957年に、カミュがノーベル文学賞を受賞したとき、「自分より、ニコス・カザンザキスが、100倍受賞に値する」とカミュが言った、という。
小沢一郎民主党幹事長は、十勝・帯広選出の石川知裕議員が起訴されたのは、秘書時代の事件だから、国会議員を辞める必要はない、という意味のコメントをした。十勝の民主党も同様な意見のようだ。
しかし、現実、十勝・帯広の住民にとって、かれが有用な代議士なのか? 被告になって信頼を失った国会議員が、いったい地元のためにどんな活躍ができるというのか? 衆議院議員のバッジを付けていても、官僚も議員たちも、だれもこんなやつを信頼しないだろう。それが現実だ。衆議院議員と参議院議員、双発のエンジンの片側が停止したまま、片肺状態で、十勝は飛びつづけるのか?
有罪判決がでるまでは、無罪だ、というのは、一般の人のはなしだ。石川議員は、法をつくる国会議員だ。一般国民とは違う。そして、選挙区の住民の付託をうけて、国政に参加する、地域の代表者だ。その活動は、地域の経済に大きな影響力をもっている。それが現実だ。その人物が、まったく発言力がなく、軽蔑され、信頼されていないのなら、十勝・帯広のためにならないだろう。
国会でも、民主党でもなく、選んだ十勝・帯広の有権者が、石川議員に引導を渡すべきなのだ。「やめてください!」と。使えない代議士は、いらないだろう。