Ommo's

古い曲が気になる

せっかく東京・下町に住んだのだから‥‥‥

2017-05-30 | 日記・エッセイ・コラム

暑いので(きょうは30度)、台東区中央図書館二階で樋口一葉を読んだりして過ごし、夕暮れ、シャッターが下りた、かっぱ橋道具街を歩いた。(かっぱ橋道具街のほとんどの店は、午後5時には店じまいを始める)

樋口一葉の小説は、高校生のときと大学のとき、二度挫折している。わたしはイントロ部分で投げ出した。古文・漢文は好きな科目で、江戸戯作の十返舎一九や大坂の井原西鶴などは、苦なく楽しめたのだが、なぜか明治の天才・女性小説家といわれる樋口一葉の、文章、文体に挫折した。『たけくらべ』イントロの、明治初期の東京下町の長い状況・叙景描写についていけなかったのだ。


せっかく浅草に住んだのだ。十代のときに投げ出した樋口一葉を読み返してみようか、と思った。

 

‥‥‥‥一家内これにかゝりて夫れは何ぞと問ふに、知らずや霜月の日例の神社に欲深樣のかつぎ給ふ是れぞ熊手の下ごしらへといふ、正月門松とりすつるよりかゝりて、一年うち通しの夫れは誠の商賣人、片手わざにも夏より手足を色どりて、新年着の支度もこれをば當てぞかし、南無や大鳥大明神、買ふ人にさへ大福をあたへ給へば製造もとの我等萬倍の利益をと人ごとに言ふめれど、さりとは思ひのほかなるもの、此あたりに大長者のうわさも聞かざりき‥‥‥‥


これは樋口一葉の『たけくらべ』の序章部分、熊手を作って酉の市で売る人たちに辛辣だ。この人たち、夏から11月酉の市の熊手を作っているが、日常の生業は、吉原の廓にかかわる下働きの男や女たちだ。"霜月酉の日例の神社”、"南無や大鳥大明神"とは、わたしがいま住む部屋から百メートルくらい向こう、鷲神社のことだろうね。


もう涼しいかな、と図書館を出ると、街路の紫陽花がいい感じで美しい。もうすぐ梅雨だ。


午後6時30分。かっぱ橋道具街は、もうほとんどの店がシッターを下している。

この ”激安 自家製 手作切り子” を、あす、店が開いているとき、見にいこう。

すりきり1ℓの巨大マグカップ! いったい何に使うのだろうね。ラーメン‥‥‥?


この東本願寺横の甘味茶房、孫娘二人を誘って来たいね。サンプルの ”なすビーフカレー” というメニューが気になる。なんだか美味そうだ。