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きょうは、チャイコフスキーの誕生日

2010-05-07 | 日記・エッセイ・コラム

                        

Googleのホームページが、白鳥の湖だ。きょう、5月7日は、チャイコフスキーの誕生日なのだ。

ロシアの作曲家、ピョートル・チャイコフスキーは、1840年5月7日に生まれた。

   ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー http://www.youtube.com/watch?v=Qq-RHr7az7o

Pyotrilyichtchaikovskyyoungtchaikov

Der_junge_tschaikowski

Tchaikovsky

チャイコフスキーは、大作曲家のなかでは、すこし変わった経歴だ。23才まで法務省の役人だったのだ。

小さいときから母親にピアノを習い、音楽に天才ぶりを発揮したが、十代では正式な音楽教育は受けなかった。法律を学んだのだ。法務省に勤めた。ロシア政府の官僚だ。

1861年、法務省に勤めながら、ロシア・ミュージック・ソサエティーのクラスで音楽を学びだす。そして、サンクトペテルブルク音楽院に入る。だが、このときまだ、法務省を辞める決心がつかない。音楽の才能に自信がないと弟にいっている……この大天才でも。(慎重な人だったのだろうか?)

役人をやりながら、サンクトペテルブルク音楽院で和声学と作曲法を学んでいた。1863年、ついに法務省をやめて音楽に専念することにした。そして、1866年には、交響曲第1番を発表して、新設されたモスクワ音楽院の講師に招聘される。それ以来、53才で亡くなるまで、ずっと音楽教育者として教壇に立ちながら、作曲をつづけた。

いまでいうと、中央官庁のエリート官僚をやめて、芸術の道に入ったわけだ。

   チャイコフスキー「白鳥の湖」 http://www.youtube.com/watch?v=FY4Y1gTO9HE&feature=related

1893年11月6日、チャイコフスキーは急死する。コレラというのが公式の死因だった。だが、死の前日まで執筆をつづけ、人とも会っている。死の直後からずっと、自殺説があった。最近の研究では、結局、コレラ説に帰結したようだが、真相はわからない。

ロシア人に愛されていた大作曲家の突然の死は、衝撃だった。数十万人のサンクトペテルブルク市民が葬列を見送った。

チャイコフスキーの最後の大作が、交響曲第6番「悲愴」だった。遺作だ。初演の9日後に亡くなった。

  チャイコフスキー 交響曲第6番 終楽章 http://www.youtube.com/watch?v=MkV6IKIm0w8&feature=related