tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

石油危機後日談:ジャパンアズナンバーワン

2008年05月15日 09時52分21秒 | 経済
石油危機後日談:ジャパンアズナンバーワン
 前々回、第1次オイルショックの後、日本の労使は、4-5年かけて「輸入インフレから起こった自家製インフレ(賃金コストプッシュ・インフレ)を収めたと書きましたが、そのプロセスを数字で見ましょう。
 1974年度に賃上げは33パーセントに達し、消費者物価上昇は22パーセントになりましたが、「こんなことでは日本は国際競争力を失い日本経済は破綻する」と考えた労使の理性的、合理的な話し合いにより年々賃上げ率は下がり、13%、9%、9%、6%、6%(1979) となり、それにつれて、消費者物価指数の上昇率も、10%、9%、7%、3%、5%(1979) と下がって、1978年には3%と、当時としては正常な経済状態に戻りました。1979年の5%は第2次オイルショックの影響です

 ところでその後日談ですが、79年には第2次オイルショックが起こり、輸入原油価格は3倍になりましたが、第1次オイルショックの経験から学んだ日本の労使は、大幅賃上げなどはせず、冷静な労使交渉で、 自家製インフレを起こさず、その結果、日本経済は世界で最も安定したものとなり、ハーバード大学のエズラ・ヴォーゲル教授をして「ジャパンアズナンバーワン」と書かしめたという輝かしい日本経済の実現になります。

 一方、欧米諸国は、相変わらず無理な賃上げや時短で人件費コストの上昇を続け、イギリス病、アメリカ病、ドイツ病などといわれたスタグフレーションに苦しむことになりました。この脱出には、イギリスのサッチャー改革、アメリカのレーガン改革を待つことになります。

 さらにまたその後日談を付け加えますと、こうした日本経済の快走を怖れ、円の大幅切り上げで、それをストップさせたのが1985年のプラザ合意です。円の切り上げの恐ろしさには、またいずれ 触れたいと思います。


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