この問題は、世界中の専門家が論じ尽くして来ています。
その困難な問題をこのブログで論じてみても、特に新しい解決策があるわけでもなく、どうなるものでもないことは解っています。しかしやっぱり何か書いておかなければならないと思い直して、自分の頭の整理のために書くことにしました。
プーチンは、クリミアヤ半島と同じような進展を考えて「三日で解決」といって始めた戦争です。しかし2匹目のドジョウはいませんでした。
多くのウクライナ国民はクリミアの失敗の経験を肝に銘じ、ウクライナが自由社会であり続けることを守り抜く強い意識を持っていたのでしょう。
そして結果はロシアという専制国家と、ウクライナを象徴の戦場とする、自由世界と独裁専制国家との激突の姿に人類社会を巻き込んだのです。
勿論侵攻する国であるロシアの中にも、自由社会を望む人は少なくありません。しかしゴルバチョフの民主化政策からの日が浅く、プーチンの20年を超える専制国家への回帰の政策の下、ロシア国内からの自由社会への動きは弱く、逆にプーチンの力は強く、ロシア国内の自由社会への渇望は、国外逃避や沈黙・忍耐になってしまったようです。
「核」以前の世界であれば、容易に第三次世界大戦に突っ込んだかもしれないと思うような状態です。独裁専制国家と自由世界がウクライナから発した総力戦という形で世界戦争に発展したとしてもおかしくないのかもしれません。
しかし、ミサイルと核の時代です、そしてロシアは公然と「核」使用を示唆、核を知り尽くしているアメリカは、いかにしてロシアに核を使わせないかが最重要な問題と認識しているのでしょう。
こうして戦争はロシアとウクライナの間に限定され、通常兵器による地上戦が長く続き、その悲惨さに世界中が悲しむことになっているのです。
これは、ある意味では、核の抑止力の結果の悲惨な戦争という事なのでしょう。
それでも核の使用による世界的な惨禍、人類の破滅さえ起こりうるという状況に較べれば、ネクスト・ベストなのでしょうか。
結果的にこの戦争の終結については、世界の専門家も見通せない状態になっているのです。
詮無い事ですが、ロシアがゴルバチョフの思想を継承し、ロシアへの支援を具体化しようとしている中国が、鄧小平の思いを進めていれば、こうした問題は多分起きなかったということが出来るでしょう。
プーチン、習近平という個人が問題を起こしていると考えることも可能です。
1人の人間が広く人類世界にトラブルを齎すのが独裁者です。これからの人類社会は、国のリーダーに、そういう資質の人間を選ばない事がいかに重要か、自由社会を守る民主主義の根本を問う問題でしょう。
そうした意味から言えば、ロシアのウクライナ侵攻問題を解決できるのは、ロシアの国民がプーチンをリーダーの座から下ろすしかないのでしょう。そして、現実はそれが出来ないから今があるという自家撞着の世界なのです。
そして結局は、戦争を主導するプーチンが、何時の日か、自分で自分の考えを変える(どう変えるか解りませんが)まで戦争は終わらないというのが、結末なのでしょうか。
人類社会というのはまだその程度の段階という事で納得するしかないのでしょうか。
極東の一国の市井の一人間として、人類社会の未熟さを嘆くばかりです。