ロシアのスイス駐在の外交官、ボリス・ボンダレフさんが、「プーチン(大統領)が引き起こしたウクライナ、そして全ての西側諸国に対する侵略戦争は、ウクライナ人、そしてロシア国民に対する犯罪でもある」との声明を発表して辞任しました。
スイス駐在であれば、世界の情報を自由に入手できるでしょうから、プーチンの起こした時代錯誤の残虐な戦争についての客観的な判断は当然可能でしょう。
そして、「今回の侵攻ほど恥ずかしいと感じたことはない」と自分の気持ちを率直に表明しています。
しかし、ウクライナ侵攻が始まってから3か月、その間、そうした思いを次第に強くしながらも、ボンダレフさんがこうした意見を率直に表明するまでには、それだけの時間がかかっているという事でしょう。
国家公務員、外交官としての教育を受け、キャリアを積んできたのですから、国の方針に逆らうことは、大変難しい事でしょう。
しかし、現実を見れば見るほど事態の異常さに心を痛め、最終的にプーチンの政策が誤りであることを世界に告発し、職を辞すると決めたことは、人間としての正直さ、正義感の発露としての強い決断力があったからでしょう。
そしてその決断の根拠(論拠)となっているのは冒頭の発言にありますように、これはプーチンの引き起こした侵略戦争だという事、そしてそれはウクライナ人、そしてロシア国民に対する犯罪だと言っている所に濃縮されています。
戦争などしたくないロシア国民に戦争を強いること、戦場に行きたくもない若者を演習と偽って戦場に立たせ、その内の多くの命を失い、多くのロシア人に限りない悲嘆を強いた事は、ロシア国民に対する犯罪であるとして、プーチンを断罪しているのです。
基本認識は、ロシアという国がプーチンではないという事です。ボンダレフさん言葉では、明らかに、独裁国家にありがちな、国と国のリーダーの存在の矛盾が追及されています。それは、「ロシアを孤立化させ、名誉を傷つけているだけだ」とプーチンの意図することの結果を明確に指摘していることから明白です。
結果的にプーチンは否定され、ロシアのことを考えることは、ロシアの国民のことを考えることだというのが発想の原点でしょう。
国というのは、国民のことでなければなりません。プーチンにとっては、国とは自分であり、自分が統治する領土であるということになっているようですが、これは中世の昔、多くの国の王様が持っていた概念でしょう(「朕は国家なり」=ルイ14世)。
そういうことでは困るので、民主主義の世の中にしようと人類は頑張って、今日までの歴史を作り上げてきたわけです。
21世紀の世の中で、ごく少数の独裁者、独裁者志望者が、とんでもないアナクロニズムに冒されているという現実を考えたとき、中世と今では「国」の概念は「全く違うのですよ」という事をもっともっと周知させなければならないのではないでしょうか。
そして、今現在、それが最も必要なのはロシアの人達でしょう。
制限された情報の中で、誤った概念を持たされている人達、主権者であるのに主権者は別にいると思っている人たち、そうした事情をある程度理解しながら、権力者を恐れ発言も行動も控えている人達が、20年のプーチン支配の中で、多く生まれてしまっているのではないでしょうか。
これを変えていくためには本格的な情報戦争が必要でしょう。手段はいろいろあるでしょう。しかしこの情報戦争に勝てば、それはプーチン政権が瓦解する時になるのでしょう。
戦争は軍事力だけではないと言えそうです。重要な別の手段、情報戦略もあり、それが決定的なものになる可能性も考えられるのではないでしょうか。
スイス駐在であれば、世界の情報を自由に入手できるでしょうから、プーチンの起こした時代錯誤の残虐な戦争についての客観的な判断は当然可能でしょう。
そして、「今回の侵攻ほど恥ずかしいと感じたことはない」と自分の気持ちを率直に表明しています。
しかし、ウクライナ侵攻が始まってから3か月、その間、そうした思いを次第に強くしながらも、ボンダレフさんがこうした意見を率直に表明するまでには、それだけの時間がかかっているという事でしょう。
国家公務員、外交官としての教育を受け、キャリアを積んできたのですから、国の方針に逆らうことは、大変難しい事でしょう。
しかし、現実を見れば見るほど事態の異常さに心を痛め、最終的にプーチンの政策が誤りであることを世界に告発し、職を辞すると決めたことは、人間としての正直さ、正義感の発露としての強い決断力があったからでしょう。
そしてその決断の根拠(論拠)となっているのは冒頭の発言にありますように、これはプーチンの引き起こした侵略戦争だという事、そしてそれはウクライナ人、そしてロシア国民に対する犯罪だと言っている所に濃縮されています。
戦争などしたくないロシア国民に戦争を強いること、戦場に行きたくもない若者を演習と偽って戦場に立たせ、その内の多くの命を失い、多くのロシア人に限りない悲嘆を強いた事は、ロシア国民に対する犯罪であるとして、プーチンを断罪しているのです。
基本認識は、ロシアという国がプーチンではないという事です。ボンダレフさん言葉では、明らかに、独裁国家にありがちな、国と国のリーダーの存在の矛盾が追及されています。それは、「ロシアを孤立化させ、名誉を傷つけているだけだ」とプーチンの意図することの結果を明確に指摘していることから明白です。
結果的にプーチンは否定され、ロシアのことを考えることは、ロシアの国民のことを考えることだというのが発想の原点でしょう。
国というのは、国民のことでなければなりません。プーチンにとっては、国とは自分であり、自分が統治する領土であるということになっているようですが、これは中世の昔、多くの国の王様が持っていた概念でしょう(「朕は国家なり」=ルイ14世)。
そういうことでは困るので、民主主義の世の中にしようと人類は頑張って、今日までの歴史を作り上げてきたわけです。
21世紀の世の中で、ごく少数の独裁者、独裁者志望者が、とんでもないアナクロニズムに冒されているという現実を考えたとき、中世と今では「国」の概念は「全く違うのですよ」という事をもっともっと周知させなければならないのではないでしょうか。
そして、今現在、それが最も必要なのはロシアの人達でしょう。
制限された情報の中で、誤った概念を持たされている人達、主権者であるのに主権者は別にいると思っている人たち、そうした事情をある程度理解しながら、権力者を恐れ発言も行動も控えている人達が、20年のプーチン支配の中で、多く生まれてしまっているのではないでしょうか。
これを変えていくためには本格的な情報戦争が必要でしょう。手段はいろいろあるでしょう。しかしこの情報戦争に勝てば、それはプーチン政権が瓦解する時になるのでしょう。
戦争は軍事力だけではないと言えそうです。重要な別の手段、情報戦略もあり、それが決定的なものになる可能性も考えられるのではないでしょうか。