tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

憲法記念日と戦争

2022年05月03日 13時34分51秒 | 国際政治
日本は世界でも平和憲法を掲げる数少ない国の一つです。

憲法記念日ですから、マスコミも平和憲法の是非についていろいろな立場からの意見を取り上げ、それぞれに主張や解説、論評など特集しています。

特に今年の場合はウクライナ問題があるので、平和憲法を掲げる日本でも、改憲についての議論が盛んです。

改憲の議論が出るたびに、特に賛成、反対の世論調査などの場合に、何時もはっきりしないのは改憲の中身が平和憲法をやめて戦争する国になろうという意見なのか、平和憲法については変えることは考えず、それ以外の点で、改正した方がいいという事なのか、必ずしもはっきりしない事でしょう。

平和憲法は、今は日本の立国の基本と考え、ついでにそれ以外の点も絶対に現状維持と言うのもおかしな話ですし、直接に戦争の出来る国にしようとは言わないけれども、そこに持っていくために、差し当たって外堀を埋めるような改正をしようという意見もあるわけで、改憲の中身はいつももやもやのようです。

やっぱり憲法論議の基本は、国政上の手続きや、利便性、国民の日常生活の合理性確保といった問題はともかく、日本が再び戦争をする国に逆戻りすることを選ぶかどうかという一点について議論を絞って、その他の問題とは別にした方が解り易いでしょう。

確かに、戦争をしないと言っても、正当防衛のための戦争は国際的に認められているわけですし、世界に独裁者がいる限り、狂気は常識では判断できませんから、不条理な侵略をうける可能性がゼロとはいかないでしょう。

しかし世界の多くの国に先駆けて、歴史を100年ほど先取りし、平和憲法を掲げ、80年近い年月を平和に過ごしてきた国が、ここにきて以前の戦争をする国に戻るというのは、あまりに情けない話ではないでしょうか。

この場合、戦争をしない国として自国の意地を通す論拠、戦争をする国に逆戻りして、戦争に巻きこまれる危険、この戦争に協力せよというお誘い、せっかく戦争をする国になったのだから何か少し動いてみようという誘惑など、いろいろな可能性が出て来ることになるのでしょう。

「毛を吹いて傷を求める」という言葉もありますが、余計なものを持つと、余計なことをしてみたくなる日本人もいないとは限りません。

それなら、筋を通して、戦争(国と国との争い)には関係しません、世界人類の意思決定による、国連の治安維持活動や警察活動には、国連のそうした組織の一員として適切な形で協力しますということではないでしょうか。

そうした世界人類のガバナンスを可能にする国連の体制の整備について、日本は積極的に動くといったことで、国連中心主義を旗印に、世界の平和、安定に協力するという道が、戦争をしない国日本としての進むべき方向なのではないでしょうか。