散々「円安悪者論」をばら撒いてきた日本経済新聞が、アメリカのイエレン財務長官に単独インタビューを行い、それが記事になっている。これについて数量政策学者の高橋洋一氏の解説を基調に記してゆく。
イエレン氏の主張はかねてから日経が主張してきた説とは真逆の見解(=正論)である。あれだけ「円安は悪いことだ」と喚いてきた日経自社の主張と真逆の事をイエレン氏は言っているのだが、日経は「円安が日本にとって良いこと(近隣窮乏化)だった」、という真実を(今さら自分で言えないものだから)アメリカに言ってもらった形である。恥ずかしい経済新聞社である。まったく、「日経ヨクヨム、バカになる」を地で行く阿呆さである。(蔑笑)
イエレン氏は「アメリカや他の国を犠牲にして貿易黒字を達成しようとして通貨を操作する国を問題視してきた」と説明している。輸出競争力を高める為に自国通貨を安くする手段は周辺国から需要を奪う為、「近隣窮乏化政策」と呼ばれる…といった内容が記事になっているのだが、今までの日経新聞の主張とは完全に真反対の説である。もちろん日経が間違っているのである。
高橋氏は以前から「数量的に10%くらい円安になると日本は成長率が1%くらい高くなるのだが、他の国は0.数%のマイナスになる」と、数字で全部示している。経済を知る者なら誰でも知っていることだが、イエレン財務長官はそれを言っただけのことである。
ところが、日経新聞は「円安悪者論」を主張していたので、今さら「円安は良かった」とは訂正出来ず、イエレン財務長官を呼んできて「代わりに言ってもらった」のであろう。これは実はよくあるパターンであり、今まで社説でさんざん言ってきた内容と違うので、アメリカの財務長官に言ってもらえば、自社の間違いも有耶無耶になるだろう、などと考えたのだろうか?
イエレン財務長官の主張は「円安誘導はいけないが、円高誘導は良いです」ということだ。それがアメリカにとって都合が良いからである。先般のトランプ氏発言と同じことを言っているのだ。「円高誘導」はすなわち「ドル安」になるからだ。
本当に経済を知らない日本経済新聞でした…という話である。
もう一つ、この話に関連して言うなら、財務省の神田財務官(現内閣官房参与)は今ある日本の外貨準備である200兆円を全部吐き出して市場介入したら良いのである。ただし、市場介入の影響は早ければ半日、持っても3日くらいで消滅してしまう(実証研究有り)のだが。(笑)結局最後に残るのは為替差益が出るだけなのである。それでお終い。
介入と言うのはドル債を売却するだけだが、売却すれば含み益が出る。この含み益だけで日本人一人当たり30万円ほど配れるスケールになるのだ。でも財務省も岸田政権もそれをしなかった。その理由とは・・・?
そもそも日本の外貨準備高は異常に多い。世界各国は外貨準備などほとんど無いので、日本だけはGDPの30%程度持っているのだ。「YOUはそんなに持ってどーすんの?」である。後生大切にして売らないのは理由がある。
財務省はこのドル債を自分のところで持っていない。一般の民間金融機関に保管してもらっている。これに保管料を払っている。全体で10億円/年ほどである。金融機関はただドル債を持っているだけで多額の保管料がもらえるのでウハウハだ。
なぜそんなことをして民間金融機関に儲けさせているのか?
「天下り」の為、である。
保管料払ってやってる代わりに財務省官僚が定年後に天下りする事を約束させているのだ。
財務省・・・本当に腐敗しきっている。ちなみに岸田総理はこの財務省のポチだったのである。
ここで最初の話題に戻るが、イエレン財務長官が推奨するように「円買い介入」というのはすなわち「ドルの売却」である。だが、上述のように、ドルを売ってしまうと天下りができなくなるから、だから神田財務官は絶対にやらなかったのである。世間では「凄腕」などと持て囃された神田財務官だが、実態はあまり能力のない人物であり、自分の天下り先確保の為にドル売りをしなかった、或いはほとんどしなかった、ということだ。しょぼくれた人物である。天下りすることでしか稼げないからである。本当に「凄腕」なら天下りなどしなくても言論でいくらでも稼げるだろうに。実際は大した能力はないボンクラだった、というオチである。
最後に一つ。
トランプ氏が大統領に復帰すれば「円安是正」の圧力があるだろう。そうなると今ある「為替の含み益」が消えてしまう。財務省はそうなる前にドル債全部売って含み益を稼ぐのが日本の為、であろう。イエレン氏だってお墨付きを与えているのだ。
また、日経新聞の話に戻るが、日経は今まで「近隣窮乏化」なんて書いたことがない。今回のイエレン財務長官の発言を皮切りに、「円安悪者論」を否定する立場に切り替えるのだろうか?高橋洋一氏は「(日経は)節操ないから(やるだろう)」と言っている。通貨安による「近隣窮乏化」というのは常識の範囲であり、これを日経新聞は知らなかった、ということになる。まったく「どこに出しても恥ずかしい新聞」である。(蔑笑)
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