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日本でロックダウンが不可能である理由

2021-08-12 16:17:16 | 社会・政治
武漢コロナウィルスの感染拡大を受けてロックダウンを望む声が増えているようだ。新型コロナウイルス感染症対策担当大臣である西村氏も「お盆の帰省はやめて」と声高に要請している。その一方でIOCのバッハ会長が銀座に行ったりしている。

こうした状況について経済学者の高橋洋一氏が解説しているので、その内容を参考にして記していく。


今の状況を理解する前提の知識として、日本の現状は世界各国の状況と比較してどうなのだろうか、という基礎知識は知っておいた方が良いだろう。

世界の多くの国ではロックダウンは可能である。
しかし、日本ではロックダウンはできないのである。

なぜか。

日本の緊急事態宣言の内容は国際的な観点からは5割程度しかできないのが実情だ。それはすなわち「ロックダウン不可」ということである。

どうしてか?

「憲法改正が無いから」

である。これがロックダウンが不可能であることの理由であり最大のファクトである。

「私権」と呼ばれるものの中で最も典型的なものは「移動の自由」である。憲法で認められているものだ。憲法で制約があるとすると公共の福祉でしかない。仮に移動の自由を根本的に禁止した状態で移動の自由を行使したら罰金を取られることになるのだが、そんな法律は今の日本の憲法下ではできないのである。

これを実現したいのなら、非常事態条項を設けなければならない。そして、非常事態になった暁には「私権制限ができます」という規定を憲法に明示しておかなければならないのだ。
※但し、日本の憲法は改正した事が無いので、そのような規定は無い。

それで「非常事態宣言はできない」ということになるのだ。

憲法の現状を鑑みれば、「私権の制限を罰金を付けて完璧に抑えることは無理」なのである。今の日本だと「お願い」をするのがせいぜいなのだ。これが偽らざる現状である。

ちなみに、海外の場合は戒厳令というものがあり、誰かが勝手に外出して、それを見つけた人が咎める時に「貴方は罰金です」と言えるのだが、これは日本ではできないのである。入国する場合でも「勝手に行ったらブタ箱に入れますよ」と海外ならば言えるのだが、日本は不可能だ。結局「お願い」しかできない…それが日本の現状である。

ここで述べた「お願い」というのが、すなわち「自粛」なのである。

自粛と言うと、それは政府がやっているので「銀座に繰り出したバッハさんは自粛違反じゃないか?」という言い方をする人が居る。

だが、しかし。

自粛を英語できちんと説明するとなるとどうなるか。「自発的な意思で自分で行動を止める」というのが自粛の英語の定義である。あくまで「自発的な意思」である。そして、「不要不急」は誰が決めるのか、と言ったら自分で判断せざるを得ないだろう。「自粛」を英語できちんと説明するとこういう説明にしかならないのだ。罰金が無いので、こうならざるを得ないのである。銀座に行ったバッハ氏は英語で説明を聞いていた筈である。しかし、「全て自分の意思でやってください」、ということで理解した筈だ。

従って、丸川珠代氏の発言は正しい。全く問題ない。現在の法制上では、英語で説明するとそういう事になるのだ。あれを丸川さんが言った事に対して「公人としてけしからん」と気色ばむ向きもあるようだが、(繰り返すが)英語で説明したら上述のような内容にしかならないのだ。

日本人の想像力と思考の限界とは思いたくないが、単に「自粛」という言葉に対して勝手に「規制がある」ように思い込んでいるのが大方の日本人なのである。英語は論理的に明快な言語だが、その英語で説明したら「規制という意味ではない」事になるのだ。「自分で判断してください」ということである。

不要不急を自分で判断して、お盆の時期に帰省したとして、その時にいわゆる”帰省警察”的な厄介な人物に見つかると口頭で咎められる事もあるかもしれないが、それは法律上のものではない。逆にこれが本当のロックダウンの場合なら警察がそれを見つけた時に罰金となるのだ。だが、今の日本ではそれはあり得ないのである。


英語圏の人から日本の現状を見た場合、どのように映るのか?
上述のように、自粛を英語で説明するならば、いくら緊急事態宣言をしていても「規制は無いよね」という認識になるのである。


この件について、今頃になって「議論をする」と言っているようだが、こんなことは1年前に判っていたことである。今まで何やっていたの?という話だ。そして、この1年の内に憲法改正する余裕も無かったのであり、そもそも憲法改正で非常事態条項を入れる事について反対している政党がほとんどだからロックダウンなど最初から無理なのである。全然無理無理カタツムリだ。


以前の民主党政権の時に緊急措置法というのが作られた。これには私権制限は一部を除いてほとんど無い。一部というのは公共の福祉関連で少しだけある、ということ。それでも、同種の法律として世界のレベルから見るならば、5割程度でしかないので、国際基準と比較するなら論外なレベルである。


また、「憲法改正反対」を声高に主張する人ほど「ゼロコロナ」も主張するのだが、それは無理であることがお分かりであろう。

政府の中でも「憲法改正が必要だ」という声はあるのだが、それをストレートに言うと反対されるので、「ロックダウンが必要である」という言い方で濁しているのが実情だ。繰り返すが、現状で海外と同じロックダウン(外出したら罰金)は憲法的に不可能である。つまりロックダウンしたかったら憲法を改正するしかないのだ。

これについて、菅首相が「慎重だ」と発言したのは憲法改正する時間が無い事を前提にしたからである。しかし、下村博文氏などは憲法改正を進めたい立場から首相を焚きつけるような発言もしているようだ。これについては、今後の自民党の総裁選に於いて議論になるならば興味深いものがあるだろう。


「憲法改正反対」を叫ぶ人は「現状でも(ロックダウンは)出来る」と言っているようだが、それは無理筋である。かつての民主党政権の時に憲法改正はせずに緊急措置法を制定した時にできなかったのであり、従って今でも無理なのだ。それが答えである。


憲法改正に反対する人は「公共の福祉で読める」という言い方をするようだが、これは解釈の勝手な拡大であり危険である。民主党政権の時に立法すらできなかった事を超法規的に突破しようとするか?と。そこまでやるくらいなら、きちんと憲法上でちゃんとした規定を作ってから、それに基づいて法律を作った方が良いであろうことは間違いない。

解釈でどんどん変わるのは危険なことである。集団的自衛権くらいだったらなんとかなるが、私権制限の話は根本的な領域だからである。公明党もこれについては反対している。その意味では全員が慎重なのである。なお、菅首相が慎重と言ったのは、前述の通り「時間がない」事が理由である。

みんなが慎重になると実はいつまでたっても変化が起きず、従って法律が変えられない、という事になる。実情としてずっとできていないので、ロックダウンは議論に値しないものと化している。今さら議論しているのは単にネタがなくなったからにほかならず、言わば時間の先延ばしでしかないのだ。つまらない議論である。


高橋洋一氏はこの件でテレビ番組で議論したいと希望しているが、おかしなことに、憲法改正反対の人は出てこられないのである。「現状のこの事態に対しては、憲法の規定がないからロックダウンができないのです。だから憲法改正を一応やってロックダウン出来るような状態にしましょう」という議論に対して、憲法改正反対の人は出てこないのである。「とにかく嫌だ」という態度のようで議論もできない程らしい。これではどうしようもない。

冒頭に記したように、世界を見渡しても緊急事態条項が無い憲法などほとんど実例は無い。興味深いところだが、このような話を進めると内容が「具体的」なので憲法改正反対論者は非常に困るようである。



ここまで縷縷記してきたように、事態、状況、論理は上述の通りなので、この件に於いて日本が早く国際的な標準レベルになれることを希望するものである。