平成27年11月23日、松阪市飯南町粥見町の粥見神社(林徳昌宮司 宮総代結城庄一)に700年前から伝わる神事「てんてん」が行われました。てんてんは松阪市の無形文化財に指定されており、年に2回、春と秋に行われます。春の例祭には天狗や獅子舞などは大人たちが舞い、秋の大祭には小学校6年生の子どもたちが舞います。てんてんとは太鼓の音から付けられた名称であると言うことで、無病息災や五穀豊穣を祈る祭りです。この祭りは戦時中も耐えることなく続けられてきました。
この日てんてんの舞いを行う子供たちは、早朝に冷たい櫛田川で心身とも清めて神事に入ります。
粥見神社でいただいた神社紹介では、同神社の創建の年代はわからないが、「神鳳抄※」に「粥見御園」についての記録があり、平安時代に創建されたと考えられます。中世の伊勢の国司北畠親房が尊崇してとも伝えられています。江戸時代には「粥見下郷鎮守八王子」と呼ばれていましたが、明治41年に粥見・向粥見・有間野の一部地区に鎮座する九柱、及び各所に点在する山神等の小祠を同社の合祀し「粥見神社」と呼ぶようになったということです。
(※「神鳳抄(神鳳鈔)」は伊勢神宮の領地の諸国一覧表)
(天狗が鼻をかんだ紙で頭を触れてもらう) (どっかの市長さんも無病息災に)
まず神社で祭礼が行われ、巫女姿の女児たちが奉納舞を披露しました。
てんてんでは大神様から使わされた子供たち扮する「はなかけ(先駆け)」がきつねやひょっとこの面を付けて社の階段から降りてくると、他の子供たちがいっせいに杉の葉を投げつけ、いたずらをします。そのあと子供が扮する天狗が社の階段から降りてきます。天から降りる道中が長いということで階段の途中で草履をはきかえたり、居眠りをします。
地上に降り立った天狗が鼻をかんだ紙で頭を触れてもらうと、無病息災と言われています。また、天狗の手招きで獅子も階段を降りてきて、広場で獅子舞が披露されます。
私も毎年、春と秋の祭りをほとんど見せていただいています。この日は空模様が心配され、時々小雨がちらついていましたが、奉納舞の舞姫やてんてんを演じた子供たちも元気に役割を果たしました。最後にはもちまきが行われ、いつもより来場者が少なかったので、私も初めて餅を拾いました。 この祭りは私のブログ「松阪市祭り100選」に記載してあります。
この日てんてんの舞いを行う子供たちは、早朝に冷たい櫛田川で心身とも清めて神事に入ります。
粥見神社でいただいた神社紹介では、同神社の創建の年代はわからないが、「神鳳抄※」に「粥見御園」についての記録があり、平安時代に創建されたと考えられます。中世の伊勢の国司北畠親房が尊崇してとも伝えられています。江戸時代には「粥見下郷鎮守八王子」と呼ばれていましたが、明治41年に粥見・向粥見・有間野の一部地区に鎮座する九柱、及び各所に点在する山神等の小祠を同社の合祀し「粥見神社」と呼ぶようになったということです。
(※「神鳳抄(神鳳鈔)」は伊勢神宮の領地の諸国一覧表)
(天狗が鼻をかんだ紙で頭を触れてもらう) (どっかの市長さんも無病息災に)
まず神社で祭礼が行われ、巫女姿の女児たちが奉納舞を披露しました。
てんてんでは大神様から使わされた子供たち扮する「はなかけ(先駆け)」がきつねやひょっとこの面を付けて社の階段から降りてくると、他の子供たちがいっせいに杉の葉を投げつけ、いたずらをします。そのあと子供が扮する天狗が社の階段から降りてきます。天から降りる道中が長いということで階段の途中で草履をはきかえたり、居眠りをします。
地上に降り立った天狗が鼻をかんだ紙で頭を触れてもらうと、無病息災と言われています。また、天狗の手招きで獅子も階段を降りてきて、広場で獅子舞が披露されます。
私も毎年、春と秋の祭りをほとんど見せていただいています。この日は空模様が心配され、時々小雨がちらついていましたが、奉納舞の舞姫やてんてんを演じた子供たちも元気に役割を果たしました。最後にはもちまきが行われ、いつもより来場者が少なかったので、私も初めて餅を拾いました。 この祭りは私のブログ「松阪市祭り100選」に記載してあります。