22日、松阪市と中国紅蘇省の無錫市濱湖区との友好都市提携の調印が行われました。調印式には松阪市から下村市長や長野議長などが訪中し、同区内のホテルで下村市長、陸志堅区長が提携書に調印しました。
無錫市は「無錫旅情」の歌でもおなじみの日本人によく知られた市です。14世紀に周の都がここに置かれ、近くの丘から錫が多く産出されたことから「有錫」と呼ばれていましたが、漢代の頃、その錫を採り尽くしてしまって錫が無くなったことから「無錫」と呼ばれるようになったということです。無錫市の人口は450万人で三重県の約2.5倍です。濱湖区は無錫市の7つの区の1つで無錫市の南部、太湖の北側に位置し、人口が44万人です。
本来、友好都市提携は「市」の場合「市」と結ぶ場合が多いのですが、何せ中国は大きな国で人口も多い。現在三重県が友好県省を結んでいる河南省は人口が約1億人にせまり日本の人口に近く、三重県の人口180万人の55倍もあります。今回友好都市提携を結んだ濱湖区でも1つの区でありますが人口が松阪市の約2.5倍あり、面積が567㎢で松阪市とほぼ同じです。中国は全てに一桁大きく、市と区の友好都市提携は妥当なところです。
私も2年前に濱湖区を訪れる機会に恵まれました。この濱湖区には大工業団地があり、中国、日本、韓国、アメリカなどの一流企業約200社が工場を構えていました。この工業団地に松阪の企業が進出しています。また昨年11月松阪市身体障害者施設・希望の園の障がい者の人たちが濱湖区を訪れ、両市の障がい者の交流が行われました。このような濱湖区との民間レベルの交流が、今回濱湖区が友好都市提携の相手に選ばれる後押しをしたと言えます。
日本の歴史の中で中国から随分多くのことを学んできました。中国から日本には、豆腐、納豆、ゆばや蕎麦、麩、茶などの食べ物及びその製法が伝来しました。また漢字、医学、音楽、武術の他、麻雀などの娯楽、占い、またインドで生まれた仏教も中国を通じて日本に伝来しました。日本の歴史の中で、文化、芸術から日常生活にいたるまで中国の影響を多く受けています。
交流を通じてお互いの国の事情や、それぞれの国民の信条を理解することも大切です。その国の歴史にはぐくまれた異文化を理解することも大切です。またお互いに相手の国から学ぶことも大切です。この友好都市提携をどのように生かしていくかはこれからの問題です。
無錫市は「無錫旅情」の歌でもおなじみの日本人によく知られた市です。14世紀に周の都がここに置かれ、近くの丘から錫が多く産出されたことから「有錫」と呼ばれていましたが、漢代の頃、その錫を採り尽くしてしまって錫が無くなったことから「無錫」と呼ばれるようになったということです。無錫市の人口は450万人で三重県の約2.5倍です。濱湖区は無錫市の7つの区の1つで無錫市の南部、太湖の北側に位置し、人口が44万人です。
本来、友好都市提携は「市」の場合「市」と結ぶ場合が多いのですが、何せ中国は大きな国で人口も多い。現在三重県が友好県省を結んでいる河南省は人口が約1億人にせまり日本の人口に近く、三重県の人口180万人の55倍もあります。今回友好都市提携を結んだ濱湖区でも1つの区でありますが人口が松阪市の約2.5倍あり、面積が567㎢で松阪市とほぼ同じです。中国は全てに一桁大きく、市と区の友好都市提携は妥当なところです。
私も2年前に濱湖区を訪れる機会に恵まれました。この濱湖区には大工業団地があり、中国、日本、韓国、アメリカなどの一流企業約200社が工場を構えていました。この工業団地に松阪の企業が進出しています。また昨年11月松阪市身体障害者施設・希望の園の障がい者の人たちが濱湖区を訪れ、両市の障がい者の交流が行われました。このような濱湖区との民間レベルの交流が、今回濱湖区が友好都市提携の相手に選ばれる後押しをしたと言えます。
日本の歴史の中で中国から随分多くのことを学んできました。中国から日本には、豆腐、納豆、ゆばや蕎麦、麩、茶などの食べ物及びその製法が伝来しました。また漢字、医学、音楽、武術の他、麻雀などの娯楽、占い、またインドで生まれた仏教も中国を通じて日本に伝来しました。日本の歴史の中で、文化、芸術から日常生活にいたるまで中国の影響を多く受けています。
交流を通じてお互いの国の事情や、それぞれの国民の信条を理解することも大切です。その国の歴史にはぐくまれた異文化を理解することも大切です。またお互いに相手の国から学ぶことも大切です。この友好都市提携をどのように生かしていくかはこれからの問題です。