フリーアナウンサー 松原敬生の『今日のエッセイ』

思っている事、感じている事などを自由に綴ります。

中吊り広告

2017-05-12 23:31:50 | Weblog
電車に乗ると、よく天井から雑誌の広告がぶら下がっています。あの広告を「中吊り広告」と言います。ふと思ったのは、この広告効果は下がっているのではないかと。何故なら乗客の視線はほとんど手元のスマホにいっているのですから。最近の私が電車に乗る時間は、比較的空いている時間だからかもしれませんが。満員の早朝ならばスマホを見る空間を得られませんから、中吊り広告を見ているのかもしれません。
かつては先輩から、中吊り広告を見て、雑誌の見出しから記事の内容をプロファイルしてみると、満員電車の中でも脳が活性化することが出来ると教えられたものです。またある人には、中吊りに印刷されている数字を利用して、どうしたら10になるか、1になるかなど足したり引いたり掛けたり割ったりしてやってみるのも脳に良いといわれたこともあります。
それはともかく、ほとんどの人がスマホを見ている現実に、中吊り広告を出しているスポンサーはどんな気持ちだろうと推測した次第です。

政治の心配

2017-05-10 23:20:15 | Weblog
フランス、韓国と指導者が変わりました。アメリカもトランプ大統領が政権を担っています。
自国第一主義を声高に叫ぶトランプ大統領が世界の人達に心配させていることがあります。今度の新しい指導者はトランプ大統領に同調しないかどうか注目です。それは何か。温暖化対策の「パリ協定」のことです。このパリ協定は地球温暖化を防ごうと、日本やアメリカ、中国など世界190を超える国がフランスのパリに集まって会議を開きパリ協定という約束が出来ました。すべての国が地球をあたためる働きをする二酸化炭素などのガスを減らす対策に取り組むことになったわけです。しかしトランプ大統領はこの協定から抜けると宣言したのです。
パリ協定は京都議定書に代わる約束です。あの京都議定書の際にもアメリカは参加しませんでした。今回もアメリカが協定を結ばないとどうしても効果が半減してしまいます。気候変動とたたかう美しい平和な革命だけになんとかすべての国が団結して欲しいのですが。

遭難費用

2017-05-09 22:38:37 | Weblog
長野県警のヘリコプターが遭難して、一般遭難の救助へりが足りないということで近隣県に協定を結び、事故があった場合、救出の為にヘリコプターをまわして貰えることになりました。
ところでこのヘリコプターなどが出動したり救助隊が出たりした場合、その費用はどうなるのでしょうか。日本アルプスを管内に持つ長野県警によると警察のヘリコプターや救助隊の出動費用は税金で賄われますので遭難者が負担をする必要はないそうです。ただし緊急を要し、天候が悪い場合などで山小屋の関係者など民間の人に救助隊への参加を求める場合があり、そうした場合は日当を支払うことになります。この場合は遭難者の関係者に費用がかかることを説明しなければなりません。そして了承を得なければならないのです。また、海の遭難で海上保安庁のヘリコプターや船が出動したときも費用を負担する必要はありません。
まあ、いずれにしても、海、山を楽しむ時は、万全の注意を。

黄色

2017-05-08 23:14:37 | Weblog
お金と縁を結ぶ色としては黄色です。財布などもわざわざ黄色を選ぶ人も多いですね。
その縁起の良い黄色も、この時期では悪者になります。それは中国から日本に飛んで来るという黄砂です。黄砂というのは中国大陸で起こった大規模な砂塵やあらしの名残です。草や木の生えていない大陸の黄河流域やモンゴルの砂漠地帯の黄土や砂が強い風で舞い上がり偏西風で日本に運ばれるのです。
この黄土や砂は風や太陽の強い光などに長い間さらされてきたことで非常に小さい粒になっています。日本は中国大陸に近いという地理的条件から西日本での発生が目立ち、特に九州や山陰地方で良くみられるのです。花粉症に続いて、この黄砂の為にマスクが外せない人が沢山います。なんとも残念な気象状況です。
青い空に白い雲という日本の原風景に黄色という不純な色が混じっては、春を謳歌する為には寂しい光景です。出来るだけ黄砂が少ないことを祈りたいものです。

土筆

2017-05-07 23:23:46 | Weblog
土筆、ご存じつくしの漢字です。土筆の卵とじが昔は良く食卓にのったものですが、ついぞ最近は食していませんね。淡い苦さに春を感じたものですが…。
土筆と言えば昔、子供の頃の記憶ですが、土筆のはかま取りをして指先が真っ黒になりました。黒くならない方法では、水に張ったボールに土筆を入れてはかま取りをすると、手は黒くならないと教えられたことがありました。こうした季節を彩る食材は日本を子供に教える教材になりますから、どんどん食卓にのせるといいですね。
この土筆は元々「つくづくし」といったものが短縮されたもので、地面から突き出ているように見えるところから、つくしと言うようになったそうです。また漢字の土筆は地面に筆が生えているように見えるから土筆という漢字になったそうです。この土筆やふきなどいわゆる大人の味という食材は子供の頃は苦手なものですがなぜか大人になるとこれが懐かしい味に変わりますから不思議です。
たまには、「お袋の味」を売り物の店を覗いてみましょうか。

食事

2017-05-06 21:37:12 | Weblog
閣僚やそれに次ぐ人達の失言が続いています。復興大臣などは失言によって大臣を辞職しました。この「辞」という字は舌が辛いと書きますね。辞めたくないのに、自ら職を辞すると口にすることは舌が辛いかも知れません。
さて辛いはからいとも読みます。食事を楽しむのは人生が豊かになると言われます。その為には「出来るだけ多くの感覚を使うこと」です。食べ物をよく見て、味、香り、歯ごたえを楽しむことです。そしてここに楽しい会話が加わることで食事が充実します。昔、黙って食べなさいと叱られたのは何だったかと思いますね。
楽しい会話は日頃からの観察力が作りだしてくれます。普通の日常生活の中にも楽しい話は転がっています。年末の寒い日に、夫婦仲良くガラス拭き。挨拶すると奥さんは一言。「いつも外は私なんですよ」とボヤキが入ります。そういえば家の中の方はご主人です。奥さんの気持ちがよくわかりますが、ここは亭主関白だなあ、とちょっと羨ましいなと。これは失言!

応援

2017-05-05 23:54:52 | Weblog
ゴールデンウィークに旅行へ行くことなく野球三昧だと、テレビ観戦しているプロ野球ファンも多いことでしょう。贔屓のチームが勝ってヒーローインタビューを聞く快感は堪えられませんねぇ。我がドラゴンズの成績が余り良くないので、その快感を味わうことが少ないので残念です。
ところで勝利インタビューの最後に、大抵な選手は「応援よろしくお願いします。」と言います。それを聞きながら、イチロー選手の言葉を思いだします。彼の言葉です。『僕は応援よろしくお願いします。とは絶対言いません。応援していただけるような選手であるために自分がやらなくてはいけないことを続けていく』というものです。やるべきことを飽きることなく一つ一つ積み重ねていくという最も困難なことを貫いてきたイチロー選手らしい言葉ですね。
プロの選手ならばファンに媚びることなくプレーする姿でファンを惹き付けることが、本当のプロなんでしょう。

2017-05-04 22:53:59 | Weblog
残念ながら、最近は忘れっぽくなっているのが現実です。人の名前が一番ですかね。脳の関係から言えば自分で思い出さないといけないそうです。サラリーマン時代は毎日の服装も同じにならないように記憶に留めていかなくてはなりませんでしたが、今は昨日の服装と平気という場合が結構あります。これでは粋な晩年と評価されませんね。
ところでこの「粋」という概念は江戸時代に発達したと言われています。そしてその観念は「目立たない」ことを重視しました。自分が何を着ていたか何を持っていたかを別れたあとで相手に思い出させるようではダメだとされました。何故ならその場そのときに応じたものは他人に目立たない、それがオシャレの真髄だと言うのです。バランス感覚を大切にするということでしょう。それと「分に応じた」という価値観が江戸時代の粋になるわけです。
つまり私が昨日の衣装が思い出せないことがあるのは、粋の真髄を体得したからでしょうね(笑)。

ドアの開閉

2017-05-03 23:13:54 | Weblog
あるアンケートで「貴方はどんな人を信用しますか」という設問に「ドアを開けて入る時に、後続の人がいるかどうかを確かめる人」という回答がありました。この回答者はかなりアメリカナイズされた人でしょう。日本では、後ろから知人が来る時はドアを押さえて待っていますが、見知らぬ人に対してはこれを実行しません。後ろから人が来ないかどうか振りかえって人が来るようであれば、知人であろうとなかろうとドアを押さえて待つのは最低限のマナーです。逆に待って貰ったら、必ず「有り難うございます」とお礼を言うのがいいですね。
自動運転のエレベーターでもそうです。自分が最初に乗り込んで、後ろからエレベーターに乗る人が来る場合は開くのボタンを押して待っててあげます。こうした状況で乗り込んで来ても、有り難うの一言もない人はかなりいます。そんな場合は狭い空間に気まずい空気が流れます。ですから、自分が最後になったら有り難うと伝えるのが良いですね。

時間

2017-05-02 23:53:41 | Weblog
フランスのルイ十四世が王者の儀礼と言っているのはなんでしょうか。それは「時間を守る」ということです。確かに時間をちゃんと守るのは近代人にとってもマナーの第一です。
大学の先生が話していたことがありました。それは、大学の近くのバス停などで授業に遅れないように走る学生の姿を滅多に見ることがないそうです。そして遅刻しても悪びれることなく平気で教室に入ってくるそうです。しかしそれでも日本のサラリーマンは時間に几帳面であることは間違いありません。タイムカードの導入のせいかも知れませんね。ただし友人同士の待ち合わせには、携帯電話があるせいかちょっとルーズになっているところがあります。携帯で連絡すれば良いと思っているのからでしょう。友達というかけがえのない存在に対して時間にルーズになってはいけません。あの学生達にしても飛行機や列車の時間には決して遅れません。時間を守るべきと守らなくてもよい場合を区別しているのです。
貴重な友達を守らなくてよい場合に入れてはなりません。