恵庭散歩-「キリスト教会」の章
恵庭のキリスト教伝道施設(教会)
恵庭市街を歩いていると,キリスト教会(伝道施設)を見掛けることがある。「キリスト教伝道は恵庭開拓史の中でどう位置づけられるのか?」「現在,どのような宣教活動が行われているのか?」と,疑問が過ぎった。当然のことながら,神道や仏教と異なる位置づけにあるはずだ。
まず,恵庭市史(昭54)を紐解く。恵庭市史によると,恵庭市にキリスト教伝道施設が出来たのは,昭和29年(1954)の「日本キリスト教団島松伝道所」が嚆矢とされる。本伝道所は昭和29年5月に開設,伝道のかたわら幼児教育を始めたとされる。さらに,市史には昭和48年(1973)開設の「カトリック札幌司教区恵庭協会」が記載されている。恵庭市史の発刊が昭和54年(1979)であるから,この頃のキリスト教伝道施設は恵庭に二つ存在した(二つしか無かった)と言えるだろう。
さて,現在はどうなっているのか? 訪ねてみよう。
1.日本キリスト教団島松伝道所
島松本通と道道600号線の交差点の角地に一つの教会がある。看板には「日本キリスト教団島松伝道所」とある。所在地は恵庭市島松東町,JR島松駅の南南東方向600m,徒歩で10分ほどの距離である。三角屋根の上に白い十字架を抱き,礼拝堂は時代を感じさせる質素な建造物である。礼拝堂につながる庭は手狭な感じがするが,建物周辺の木々は大きく繁っている。伝道所が開設された当時に植えられたものだろう(写真は2015年3月撮影)。
恵庭市史(昭54)には,「昭和29年島松伝道所を開設,昭和33年に礼拝堂が完成,昭和34年には献堂式が行われ,初代牧師は青柳剛,二代牧師は土橋修」とある。また,本伝道所HPでも,昭和29年(1954)島松伝道所開設とあることから,この年に初めて礼拝堂が島松に置かれたと考えてよいだろう。
しかし当然のことながら,恵庭におけるキリスト教伝道は,それ以前に動き出していた。北一条教会員であった信徒が牧場地区で酪農を始めたのは1930年代,1950年代に入ると同地域の酪農家が千歳栄光教会で受洗している。また,桜森地区に入植した満州開拓者の中にキリスト教徒がいて,礼拝堂設立の機運があったことが記録されている。
◇島松伝道所の概要
教派:日本キリスト教団(プロテスタント系)
歴代牧師:岸本貞治(千歳栄光教会牧師1954),青柳剛(1955就任),土橋修(1974就任),池田隆夫(代務者1986),滝口孝(1987就任),後宮敬爾(代務者1990),浅野純(1991就任),辻中徹也・明子(1996就任)
歴史:
昭和29年(1954):島松伝道所開設(茅葺屋根の礼拝堂),付属ナザレ幼稚園開園
昭和35年(1960):会堂献堂
昭和55年(1980):苫小牧地区共同牧会で牧師館を建築
昭和59年(1984):ナザレ幼稚園閉園
昭和62年(1987):「障害者と共にある教会形成」スタート
平成12年(2000):浦河伝道所との共同研究開始「弱さを元手に,けじめなく」
平成17年(2005):教会建築献金開始
平成18年(2006):地元農家の野菜を通信販売する「しままつ野菜だより」開始
平成19年(2007):「木の教会コンサート」開始
平成20年(2008):礼拝堂改修
平成21年(2009):油絵教室,ゴスペルクワイア活動開始
平成23年(2011):牧師館建築のための隣接地購入
平成24年(2012):「弱さを元手に,“ひだまり”はじめます」スタート
本教会では,主日礼拝,祈祷会,うどん食堂,家庭集会,油絵教室,ゴスペルクワイア,当事者研究,当事者研究カフェひだまり等の活動が行われている。福祉,子育て,趣味などの集まりを通じて,キリストの教えを学ぼうとしているのだろう。
なお,日本キリスト教団は,昭和16年(1941)に日本国内のプロテスタント33派が教派合同して教団となった組織であるが,その後昭和26年(1951)には日本キリスト教会や日本福音ルーテル教会などが離脱し,日本組合基督協会,メソジスト協会などが残留した歴史をもつ。日本キリスト教団はプロテスタント系合同教会派に分類されると言う。
参照:恵庭市史(昭和54),日本キリスト教団島松伝道所HP
◆キリスト教の教派
ところで,キリスト教は信徒の数でみると世界最大の宗教と言われる(キリスト教徒は世界人口の32~33%,イスラム教徒18~19%,ヒンズー教徒13%,仏教徒6%と推定される)。因みに,わが国の宗教統計調査(文科省)ではキリスト教徒300万人とある。しかし,この調査では神道系1億700万人,仏教系8,900万人となっていて,日本総人口の2倍にも達してしまうことから鑑みるに,わが国キリスト教徒は総人口の2~3%程度と推定されようか。
また,キリスト教は教派が多いことで知られる。長い歴史と世界中に宣教が行われたため,時代や地域(国)で教派教会が設立され,合同や離脱が繰り返された経緯がある。解説書はあるが,流れは複雑で分かり難い。しかし,仏教では宗派により主経典が異なり独自な形態も生まれているが,キリスト教ではどの教派も聖書を経典にしているので根本的な差異はないとも言われる(聖書以外の経典を掲げる宗派は異端とされる)。私たちが常識的に知りうるのは,カトリック,プロテスタント,正教会という三つの大きな流れがあり,プロテスタントは西欧や北米で優勢,カトリックは東欧や南米で優勢,正教会は東欧や南東欧で優勢であるなど地理的な特徴があるということ程度だ。また,日本の歴史に登場するフランシスコ・ザビエル(イエズス会)はカトリック系の男子修道会であったこと,このイエズス会は世界中に宣教活動を行い南米に理想郷を建設した歴史があること,などを知っている人も居られるだろう。
分かり難いキリスト教派の流れであるが,以下のような体系に分類されると言う。これも,一例に過ぎないが・・・。
1東方教会
1-1正教会(ギリシャ正教,東方正教会)
1-2東方諸教会(非カルケドン派,アッシリア東方教会など)
1-3その他東方系教会
2西方教会
2-1カトリック(カトリック教会,独立カトリック教会)
2-2伝統系諸派
2-3聖公会(アングリカン・チャーチ,分離聖公会)
2-4プロテスタント
2-4-1初期プロテスタント
2-4-2ルター派(ルーテル教会)
2-4-3改革派教会・長老派教会
2-4-4メソジスト系(メソジスト教会,ホーリネス教会)
2-4-5ペンテコステ派
2-4-6バプテスト派
2-4-7プロテスタント諸派(会衆派・組合教会など)
2-4-8プロテスタント合同教会(日本キリスト教団など)
2-5その他宗教改革派(クエーカーなど)
2-6アナバプテスト(再洗礼派)
3その他の教派
3-1歴史的に異端とされた教派
3-2新宗教系
私は昭和35年(1960)4月から昭和37年(1962)3月まで付属ナザレ幼稚園の園児でした。
当時は青柳先生という女性の教諭がいらっしゃいましたが、貴記事にある二代目牧師の青柳剛氏の関係者ではないだろうかと思った次第です。
私は日曜学校にも何度か出たことがありましたので、恐らくはその時に青柳牧師にもお会いしたに違いないと思います。