子供の頃の絵本に蟻塚の絵があって,見知らぬ世界に興味を抱いたことがあった。蟻塚は傍らに立っている少女の背丈ほどもあり,赤土で作られた形は極めて印象的であった。山奥生まれの田舎育ちであったため,蜜を求めて樹の肌を上り下りする蟻の姿や,トンボや蝉の死骸に列をなす蟻,庭の石垣を崩すと溢れ出る蟻の群,隊列の途中に障害物を置いてもそれを乗り越えて進む姿など見慣れたもので,蟻の観察は遊びの範疇に属していたが,絵本で見る赤い蟻塚はさすがに異質のものであった。その時,世界は広いのだと,悟った。
その後実際に蟻塚を見たのは,1979年(昭和54)であったろうか,アルゼンチン北部のミシオネス県ポサダス市からイグアスへ向かう乗合バスの窓からであった。森を拓いた牧場に点々と蟻塚が並び,やはり赤土で出来ていた。絵本でみた風景と瓜二つで,子供の頃の印象が蘇ってきた。
同行していた9才と10才の息子に,「あれは,何か,分かるかい?・・・蟻塚だよ」,子供の頃を思い出しながら話した。
「この前,コルドバで見たハキリアリとは違う種類だ。シロアリの一種だ」
「何故,蟻塚を作るかって? ここは亜熱帯で,暑いし,スコールもあるだろう。小さい蟻たちは暑さを防ぎ,大雨に流されないために考えたのさ。蟻塚の中は,空調が効いて快適だと思うよ」
当時のアルゼンチンの生活で,千切った木の葉をセッセと運ぶハキリアリの隊列を初めて目にして,しばし見入ったことがあるが,図鑑で見た知識が具現化したとき,何故か嬉しさが湧き上がってくるものだ。
ハキリアリは,主に中南米の熱帯雨林に生息している。集団で行列を組んで様々な種類の木の葉を円く切り取って巣の中へ運び,その葉で培養した菌類を主食にするのだそうな。人間以外でいわゆる「農業」を行うという珍しい蟻である(農作物を荒らす害虫として駆除の対象にもなっている)。
パラグアイでは,イグアスの滝があるアルトパラナ県シウダ・デル・エステ市からエルナンダリアス市を抜け北へ進んだ辺りに,牧野に群居している蟻塚を眺めた。この道路は,カニンデジュ県イホヴィで実施していた大豆調査のため何回も通ったが(2006~08年当時),このカンポの蟻塚の数が減ることはなかった。粗放な牧野といえるのだろう。車を停めて写真を撮ろうと思ったが,いつも先を急ぐ旅程でそれもかなわなかった。
ただ,イタプア県カピタン・ミランダ市にある農業試験場でも蟻塚を見ることが出来た(写真)。草刈りをしているムチャチョは,蟻塚が成長すると鍬で壊していたので,写真はそれほど大きくないが,蟻塚は蹴飛ばしても壊れない。想像以上に硬く出来ていた。
一方,大豆の試験圃場にも蟻の巣が彼方此方にあった。開花時期が過ぎて選抜作業にかかる頃の蟻は結構厄介である。野帳を片手に圃場を歩いていると,知らぬ間に蟻の巣を踏みつけ,多数の蟻が脚を這い上がってくる。そうなると大変で,ジタバタ振るい落とそうとしても手に負えない。先輩のKさんは,圃場での作業中に蟻に噛まれて,腫れと熱のため病院で治療を受ける羽目になったほどである。蟻への対策は,巣を踏まないこと,ズボンの裾から入り込まれないことに尽きる。
パラグアイではないが,マレーシアで蟻に噛まれる体験をしたことがある(1991年)。同行していた運転手たちが,「この公園で少し待っていて下さい」と礼拝に出かけたあと,公園の芝生に立ってモスクの写真を撮っていたら,太腿の奥を一撃された。足下を見ると多数の蟻が動いている。「蟻だ,蟻にやられた」,と慌てたものの,そこでズボンを下ろすわけにも行かず,急いでトイレに飛び込んだ。憎き一匹を摘んでトイレに流し,事なきを得たが,努々油断すべからずということだ。
お蔭で,マレーシアの公衆トイレを観察することができた。ドアがない,水を溜めたバケツは何のため? 等々,これも印象に残っている。
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