豆の育種のマメな話

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そもそも「高齢者」って何だ?

2015-12-01 10:48:51 | さすらい考

高齢者

高齢者」と言う言葉を使うようになったのはいつ頃からだろうか? つい最近まで,文章やあらたまった話の中では「老人」が最も一般的であったように思う。「老人福祉」など複合語を作る場合もこの言葉が使われていた。また,同意で「年寄り」「老体」などの言葉もあり,こちらは親しみや尊敬を込めて,時には軽蔑感を含めて言う場合もあるなど情感豊かな用語であった。

武家の時代に「年寄」と言えば政務に係る重臣のことで,「老中」「家老」など指導的立場のある人間を指して呼んでいた。また,大奥の取り締まりを司った女中の重職も「年寄」と呼んだと言う。庶民が暮らす村落や家庭でも「老」は敬うべき対象であった。人生経験と知識豊かな老人に対し,「古老」「長老」のような特別な尊称が存在していた。しかし,戦後のわが国ではいつの間にか「老」の言葉に「厄介もの」「醜」のイメージが纏いつくようになった。効率経済至上主義の環境がそうさせたのかも知れない。「老」の当事者たちも,それなら「老人」と呼ばれたくないと思い始める。

この現象に敏感な行政官や立法者たちは,それでは「高齢者」でどうだと無粋で無機質ではあるが素敵な言葉を使い始める。「高齢者」が道路交通法や医療保険制度では,すっかりお馴染みの用語となり,揚句は「前期高齢者」「後期高齢者」と勝手な仕分けが始まった。75歳以上を「後期高齢者」と区分し,運転免許更新時の高齢者講習に「認知機能検査」を義務付け,健康保険も別建てにして保険料を抑えるためになるべく病院へ行くなと言わんばかりの枠組みを作り上げた。行政官や立法者たちの才覚である。

更に,「後期高齢者」の用語に老人たちが抵抗を抱いていると感じたのか,「長寿高齢者」なる言葉を使おうとしている。実に頭が良い。或いはまた,「シルバー」という曖昧な言葉も独り歩きしている。シルバーシート,シルバー人材センターなんて理解不能な和製英語を誰が考えたのだろう。これも,外国語を使って誤魔化してしまおうとの魂胆だろうか。老人にしてみれば,用語はどうでも良い。どっちだって同じだ。

ここまで書いて,小宮山博のエッセイを思い出した。運転免許の高齢者講習で認知機能検査を受けた時の印象を語る部分であるが,痛快な区分けに共感を覚えた。

「この言葉(筆者注,後期高齢者)に刺激されてぼくが自分を分類すると55歳から初期高齢者,60歳から早期,65歳から前期,70歳から中期,75歳から後期,80歳から晩期,85歳から末期,90歳から臨終期ということになる。ぼく自身の軟弱な生きざまの推移からみて自嘲じみて言えば,そうなる。しかし人間は生まれた瞬間が一番若く,あとはひたすら老化してゆく一方なわけだから希望に満ちている。老いは成熟だからだ」(引用:小檜山博2015「連載エッセイ85人生讃歌,運転免許」JR北海道車内誌The JR Hokkaido No.332,16-17)。老いを成熟と捉えるほどの悟りはないが,己の年齢を小宮山博の仕分けに重ねてみる。そして,「お説ご尤も」と頷く。

そもそも高齢者って何だ? 

小学館,デジタル大辞典には「高齢者:年老いた人。厳密な基準はなく,高齢運転標識では70歳以上を対象とし,後期高齢者医療制度では65歳以上75歳未満を前期高齢者,75歳以上を後期高齢者という。また,世界保健機関(WHO)では65歳以上を高齢者とする」とある。因みに,「高年齢者雇用安定法」では55歳以上を高年齢者と定義する。つまり,近年の「道路交通法改正」や「高齢者の医療の確保に関する法律,及び付随する各種法令」で,「高齢者」と言う用語が普遍化したのだろう。

勿論,外国語でも改まった表現と通常会話では使い分ける。英語で「advanced age」「aged」と「old」,スペイン語で「anciano(na)」と「viejo(ja)」のような具合である。だが,高齢者を年齢で区割りする言葉,曖昧にする表現があるとは聞いたことがない。必要な場合は年齢を具体的に表示するのだと言う。

善きにつけ悪しきにつけ「曖昧な日本」である。

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