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恵庭の神社-3,島松住民と共にある 「島松神社」

2015-01-31 13:48:49 | 恵庭散歩<記念碑・野外彫像・神社仏閣・歴史>

恵庭散歩-「神社」の章

「恵庭の碑」を探し求めて,昨年この島松神社を訪れたことがあったので(本ブログ「恵庭の碑-5」2014.12.10),所在は知っていた。今回は,年が明けての参拝である。訪れたのは,前日の大雪が残る或る日の早朝だった。拝殿までは脇の公道から除雪された道が通じていたので行くことが出来たが,鳥居のある本殿正面は雪に埋もれていた。

 

 

3.島松神社(しままつじんじゃ)

所在地は,恵庭市島松本町4丁目3番地(JR島松駅の東方向,徒歩で8分ほどの所)。下島松地区に接し,市街地南東角の一画である。三方を住宅に囲まれているが,閑静な環境である。

祭神は豊受大神(豊宇気姫神とも)。古事記に登場し,伊勢神宮の外宮に祀られている事でも知られる。「ウケ」は食物のことで,食物・穀物を司る女神とされる。この地は,開拓の時代から農業に従事する人々が多い地域で,春には五穀豊穣を祈願し,秋には収穫を祝う祭りが執り行われてきたことだろう。明治26年,島松地区の住民が祠を建て,天照皇大神及び豊宇気姫神を歓請して祀ったのが始まりで,明治34年に神社創建が認可されている。

社殿は「神明造」148m2(写真は2014.12.4,2015.1.28撮影)である。伊勢神宮に代表される古い神社建築様式で,直線的な外観が特徴である(両国国技館の吊り屋根もこの形)。北海道神社庁HPによると,氏子世帯数13,000世帯,崇敬者1,700人とある。島松地区住民にとって身近な神社と言うことだろうか。

境内には,菱型石の忠魂碑が建っている(写真は2014.12.4撮影)。忠魂碑の右肩に彫られた文字は風化して(削られたのか)読めない。恵庭市史によると,明治37~38年戦役における記念碑として建設されたとある(明治四十一年九月十八日建之と基石に刻まれている)」。なお,忠魂碑を囲む石柱によれば,この忠魂碑は昭和九年七月七日移転改築されている。

神職は常駐しないが,祭祀は北広島にある神社の宮司が兼務し斎行すると聞いた。

 

島松神社の概要

所在地:恵庭市島松本町4丁目3番地

祭神:豊受大神(とようけのおおかみ)

旧社格:無格社

創祀:明治26年(1874),北海道神社庁HPでは明治34年(1901)

祭礼日:9月17日

社殿様式:神明造

由緒(歴史)

明治26年(1874)9月1日:島松地区住民が島松村539番地(西七線南二十号)に祠を建立,天照皇大神(伊勢神宮より分霊)及び豊宇気姫神(伊勢神宮外宮より分霊)を歓請して祀った。

明治34年(1901)9月25日:氏子総代原田三十郎らが島松村ルルマップ193番地へ島松神社の創建を申請,同年10月2日認可,本殿及び拝殿を建立(恵庭市史による。北海道神社庁HPでは同年8月25日社殿落成,一社創立の出願を9月25日提出とある)。

明治36(1903)7月30日:境内地を島松村529番地の2へ変更移転の出願,同年10月30日許可。

昭和6年(1931)6月2日:社殿改築を出願,同年9月3日許可,同月15日竣工。

その後,社殿は改築されていると思われるが資料を見ていない。

参照:恵庭市史,北海道神社庁公式HP(2015)

  

この神社は,市街地にある公園のような雰囲気だ。境内には広場があり駐車場になっているが,祭の催しの出来る空間でもある。また,境内に土俵がある。何処の神社でも昔は,秋祭りに奉納の腕白相撲が行われ賑わったものだ。今も続いているのだろうか。

コメント
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