豆の育種のマメな話

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「むーべる」,小さな親睦会の機関誌

2013-06-15 12:01:32 | 恵庭散歩<本のまち、私の本づくり>

上川農業試験場に,「むーべる会」と言う名の職員親睦会があった(今もあると思う)。会員相互の親睦,福祉及び健康をはかり生活を豊かにすることを目的に,歓送迎会,リクレーション,慶弔見舞金の贈与,会誌発行等の事業を行うと会則に謳っていた。「むーべる」とは何だ? と聞いたら,「飲む」「食べる」の合成語だと誰かが応えた(「駄弁る」だったかもしれない・・・)。名は体を表すと言うが,まあ楽しい集まりだった。

 

同様の職員親睦会は十勝農業試験場にもあり,こちらは「緑親会」と言った。「緑親会」の発足は嶋山〇(金偏に甲)二氏によれば昭和13年とあるから(十勝野2号),「むーべる会」の発足も恐らくその頃のことであろう。これら親睦会は,発足から戦後しばらくの間は時代背景もあり福利厚生に重きを置いていたようだが,昭和4050年代になると親睦行事が盛んに行われるようになっていた。

 

 

ある時,砂田さんが酒の席で,

「上川農試でも親睦会の機関誌を出すことにした。緑親会の「十勝野」を参考にして・・・」

と話しかけてきた。小生が「十勝野」創刊に関っていた(昭和44年度幹事)ことを知っていて,仁義を切ったつもりだったのだろうか。「むーべる」と名付けられた親睦会機関誌の創刊は昭和46年のことである。

 

機関誌には親睦会行事の記録,記事のほかOBからの寄稿もあった。誌の性格上,誰もが肩ひじ張らずに書いているので,

「彼奴はこんな趣味があったのか」

「洒落た文章を書く奴だ,見直した・・・」

と,感心したり微笑んだりした。試験成績や事務文書など形式に拘って書く日常から解き放たれた機関誌の紙面には,会員の素顔が現れていた。

また,OBからの寄稿文には,試験場移転や研究遍歴などの裏情報が愛情を込めて語られており,貴重な資料として残るものであった(公的な年報や事業報告書に書けない記録が刻まれた意味は大きい)。

 

試験場を離れて久しいので,「むーべる」の発刊が継続されているか否か知らない。手元に残された「むーべる」(2630号)を書棚から取り出し,埃を払ってページをめくってみた。若い頃の生きざまが蘇ってきて懐かしい。

新聞の発行部数が減少し,雑誌が廃刊に追い込まれるなど,紙文化の衰退が進んでいる昨今ではあるが,小さな組織の小さな機関誌は存続してほしいものだ。

 

ちなみに,小生が「むーべる会」会員だったのは2年間だったが(士別時代は準会員),前後を含め下記の拙文が紙面を汚している。それにしても,青臭く生真面目に書いているなあ・・・。これも,今から十数年前,二十世紀末の時代意識と捉えてもらえるなら(当時の空気を感じて貰えるなら),まあ良いか。と恥ずかしながら添付する(略)。

 

K1個人の行動」むーべる26,15-161997

K2「農民に愛され信頼される(巻頭言)」むーべる28,1-21998

K3「育種・人との出会い(新入会員の挨拶)」むーべる28,67-691998

K4 「フレキシブルに,迅速に,そして専門性を総合化(巻頭言)」むーべる29,1-21999

K5「パラグアイ国から今日は(旧会員からの寄稿)」むーべる30,3-52000

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