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パラグアイの豆乳飲料,フルテイカ社を訪ねる

2012-03-11 09:17:47 | 南米で暮らす<歴史・文化・自然>

パラグアイに滞在していた頃,農業法人フルテイカ社(Frutica S.R.L.)を訪れた。およそ10年前の9月(2001年),初春のことである。この会社の製品はスーパーマーケットでよく見かけ(写真),同国ではよく知られた会社である。清涼飲料といえばコカコーラというお国柄,ジュース類は隣国ブラジルやアルゼンチンからの輸入品が多い中で,唯一パラグアイで成功している会社との予備知識があった。

 フルテイカ社は,国道6号線をEncarnacio市からCiuda del Este市に向かって150kmほど走り,右折して割石舗装の道路を東に20km入ったカルロス・アントニオ・ロぺス市(Carlos Antonio Lopez)にある。

 

同社は,1978年にドイツから移住したクレス夫妻により始められた農業生産グループの一翼を成している。グループは穀物果実生産部門のベアテ農場(Estancia Beate),穀物の調整保管出荷を担うキメックス社(Kimex S.R.L.),及び果実の加工調製出荷を担うフルテイカ社(Frutica S.R.L.)で構成されている。

 

所有する総面積13,000haのうち,畑地では冬作として小麦1,300ha,とうもろこし5,000ha,ひまわり若干,夏作はすべて大豆である。果樹園は1,300haあり,オレンジ類600ha,ポンカン140ha,その他レモン,桃,ネクタリン,李,パッションフルーツ,グワバ等が植えられている。広大な林地からは,出荷用の木箱等の資材を生産し,植林も進めている。

 

作業機は大型トラクターやコンバイン,薬剤散布用の小型飛行機2機などを所有し,GPSを搭載した精密農業がおこなわれていた。当時のパラグアイ農業の実態と比べれば,驚くほどの先進性である。また,海外から果樹品種輸入し試験圃を設けるなど,堅実な努力がなされている。

 

ダイナミックで大規模な農業生産法人であるが,同国の小規模果樹農家から購入したグレープフルーツで果汁を生産,オランダから有機栽培ジュース生産工場の認定を得るなど,きめ細かな一面もみせていた。また,紙パック詰め機械はスイスから導入し,メンテナンスは納入会社に委託していた。生産された濃縮果汁や生食用果実の70%はヨーロッパ初め国外に輸出されている。

 

ベアテ農場では常雇250人,収穫時には臨時350人を雇用している。フルテイカ社では常雇40人,繁忙期には臨時に60人を雇用しているという。冒頭で,フルテイカ社はカルロス・アントニオ・ロぺス市にあると述べたが,フルテイカ社の発展につれ周辺に人が集まり,企業城下町が形成されたのが実態であろう。このような町では,保育所や学校なども企業が運営する場合が多い。

 

クレス夫妻が1978年に入植してから二十数年で,南米でも屈指の優良企業といわれるまでになった。同時に,パラグアイの片田舎に産業を起こし,雇用の場を生み出し,小さいながらも城下町が形成するまでにしたクレス夫妻の貢献は大きいといえよう。

 

誰もが,「社長は,会社の誰よりも働く人であった。朝早くから夜遅くまで,車を運転して農場を見回っていた」と,その働きぶりを伝説のように話した。

 

「ある朝,クレス氏は農場見回り中に車が転倒し亡くなった。しっかり者の夫人が社長を務めている」と聞いた。

 

メジャー企業との関わりのない一人の移住者によって築かれた会社で,パラグアイ人によって生産される農産物が,辺鄙な片田舎から世界に積み出されて行く,爽快な話ではある。だが一方,この企業も安価な労働力によって支えられていることは事実である。

 

参照:丹羽勝・土屋武彦・豊田政一・塩崎尚郎・大杉恭男 2002「パラグアイ農業の諸相」専門家技術情報第5号,パラグアイ大豆生産技術研究計画

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