豆の育種のマメな話

◇北海道と南米大陸に夢を描いた育種家の落穂ひろい「豆の話」
◇伊豆だより ◇恵庭散歩 ◇さすらい考
 

ガウデイとサグラダ・ファミリア聖堂(スペインの旅-1)

2011-11-28 18:05:58 | ラテンアメリカ旅は道連れ<南米旅日記>

スペインの旅-1

17世紀に中南米で覇権を握ったスペインとは,どんな国なのか。メキシコから,ペルー,ボリビア,チリ,アルゼンチンまでアンデスに連なる国々を訪れインカやマヤの遺跡に触れるとき,いつも頭を過ぎるのであった。

 そんな訳で,南米での滞在を終えて帰国してからスペインへの旅を思い立った。20096月初めの僅か8日間の駆け足ツアーであったが,バルセロナ,バレンシア,グラナダ,セビーリャ,コルドバ,マドリードを巡った。

 

 

◇アントニ・ガウデイ

ガウデイ(Antonio Gaudí)の名前は,バルセロナにある世界遺産サグラダ・ファミリアの建設に精力を注いだ建築家としか知らなかった。そして,この教会が建築着工後もうすぐ128年を経ようとしているのに,まだなお建築中であるという。なにか計り知れない敬虔さを秘めた教会を最後の仕事場としたガウデイとは何者なのだ・・・と。調べてみると,彼は1852年スペインのカタルーニャ州タラゴナで生まれ,バルセロナで活躍している。

 

さてバルセロナであるが,フランスとピレネ山脈で国境を接するカタルーニャ州の州都で,人口180万,スペイン第二の都市である。1992年オリンピックが開催されたことでも知られる。独自の歴史と文化を育み,日本からの観光ツアーも必ずこの地を訪れる。今回の旅ではパリ経由,夕方遅くにバルセロナに到着し,ゴシック地区カテドラル近くの古いホテルに宿をとった。

 

翌日は,オリンピック主会場となったモンジュイックの丘から,グラシア通りを経てガウデイ建築のバトリョ邸(Casa Batlló),ミラ邸(Casa Milá)を車窓から眺め,グエル公園(Park Gúell)を見学し,サグラダ・ファミリア聖堂(Tenple de la Sagrada Familia)を訪れた。いずれも,ガウデイが設計建築に関わり,世界遺産に指定されている。

バトリョ邸は外壁にガラスモザイクを埋め込んで海をテーマに,ミラ邸はゆがんだ曲線を主調に山をテーマにしているという。また,グエル公園は中央広場へ続く正面の大階段,列柱廊,広場を取り囲むタイルのベンチが有名。タイルで装飾されたベンチに腰を下ろし,観光客の誰もがするように記念撮影をした。これらの建造物は,いずれも不定型な曲線と陽に映えるタイルが特徴であり,当時の市民には衝撃的なほど新鮮に映ったことだろう。

これらガウデイの作品は,富豪グエル氏の支援によって建設されている。19世紀から20世紀にかけてバルセロナを中心に起こった芸術運動モデルニスモ(アール・ヌーボー,この運動は強い経済力を背景にカタルーニャ独自の文化を創ろうとした)を代表する作品群といえる。ゴシック様式に見られる壮大厳粛さは陰を薄め,風変わりで奇を狙ったようにも見え,あまり好きにもなれない建築様式であるが,財を成したパトロンと芸術家によるヌーボー作品と考えれば納得もいく(才気に満ちたガウデイ建築の芸術性を否定するものではない)。

そして,ガウデイが後半生をかけ全精力を注いだのが,サグラダ・ファミリア聖堂の建設である。この聖堂は前期のヌーボー作品とは異質に見える。何故なのだろうと思っていたが,建設の歴史を知ると納得がいった。聖堂は1882年,バルセロナ建築学校の教授であるロザーノに基本設計を依頼し,ネオ・ゴチック様式の教会を建てることで始まった。しかし,建築工事が始まった翌年に,建築家と教会の間で建築強度と経済面での対立がありロザーノは辞任し,助手として働いていた31歳のガウデイが後任に抜擢されたのである。

建築主任に抜擢されてからの十年間はガウデイの絶頂期であったろう。「形式はラテン十字を構成するバシリカ形式,東,西,南に降誕,受難,栄光の門を配し,それぞれ四本の塔がたち,合計十二本の塔が十二使徒を表す」壮大な計画が進められた。名声を聞いて訪れた教皇使節枢機卿が,「建築界のダンテ」と評したほどであった。

しかし建築年数がかかるにつれ寄付金が集まらなくなり,ガウデイは他の仕事で得た金を聖堂の建設資金につぎ込むなどしたが十分な資金が得られず,晩年は聖堂工事現場の小部屋に泊まり込んで建築に関わっている。ガウデイは192667日市電に撥ねられて生涯を終えたが,その遺体は浮浪者と間違えられ,2日間も放置されたと語られている。晩年のガウデイは,仕事を終えると夕方にはサン・フェリッペ・ネリ教会までミサに出かけるのを日課にしていたという。若い頃から罹っていたリュウマチの悪化,視力の衰え,誰が見ても身寄りのない老人とみえる身なり,事故の一件を見ただけでもその孤独な姿は想像がつく。サグラダ・ファミリア聖堂の建設に関わった44年。晩年のガウデイは何を思ったのか。

ガウデイの生涯については岩根圀和著「物語スペインの歴史人物編」に詳しいので,ここでは多くは触れない。

それにしても

サグラダ・ファミリア聖堂は,歴史を知り聖書を読まないと理解できない。ヨーロッパの芸術に触れるとき,いつもそんな気持ちが残る。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする