豆の育種のマメな話

◇北海道と南米大陸に夢を描いた育種家の落穂ひろい「豆の話」
◇伊豆だより ◇恵庭散歩 ◇さすらい考
 

「ヤツデ」の花が咲く、恵庭の花-35

2023-12-22 13:54:09 | 恵庭散歩<花のまち、花だより、自然観察>

北国に咲く

真冬日が続く北海道、今朝の気温は氷点下18℃。窓際に置いた鉢植えの「ヤツデ」が開花した。白い可憐な五弁花である。

昨年の秋、妻が伊豆下田の草庵から実生苗を持ち帰り移植したもので、樹高は未だ15cmほどだが7枚の葉を着けている。葉の大きさは葉柄10cm、葉身10~15cm、切れ込みは5~7と未だ幼樹だが、その風情は別名「天狗の羽団扇」の面影を彷彿とさせる。

伊豆の里山では庭木として植えられているのをよく見かけた。草庵でも亡父が水場の脇に数株植えてあった。ヤツデは昔から魔除けの意味で庭に植えたと言われ、葉を乾燥させたものは生薬(去痰など)、風呂に入れるとリウマチに効果、蛆用の殺虫剤としても用いたと書籍にあるが、亡父がそんな使い方をしていた記憶はないので鑑賞用だったのだろう。

或いは、関東大震災の折、高熱に囲まれながらも焼失せず、火に耐えた常緑樹(ヤツデ)の話を知っていたのだろうか。

寒い冬を越して、翌春には黒く熟した実をつけると書籍にある。虫媒花とも記されているので、この鉢植えの花が室内で実を結ぶか見届けたい。楽しみが一つ増えた。

  

   

◆ヤツデ(八手、学名 Fatsia japonica、英名Japanese Aralia)

別名はテングノハウチワ(天狗の羽団扇)。ウコギ科ヤツデ属の常緑低木。高さは2~5mほどになり、多くは株立ちする。日陰に強く、日当たりの悪い森林の中にもよく自生する。

葉は20cm以上と大きく掌状に裂けた独特の形をし、長い葉柄を有し互生あるいは輪生。葉の表面につやがあり、裏面はやや白っぽくて若いときには茶褐色の軟毛があり、やや厚手。葉の先端は尖り、葉縁はわずかにギザギザがある。若葉のときは卵形、次に3裂から次第に数を増して7、9、11の深い裂け目をつくる。2年たつと柄ごと落葉。

花は10~12月頃、茎の先に球状の散形花序がさらに集まった大きな円錐花序をつくる。花は直径5mmほどの5弁花で白い。雄蕊は5本、雌蕊(花柱)も5本あり、花びらは小さくて反り返る。

原産地は日本、関東地方南部以西の本州、四国、九州、沖縄に分布。葉はサポニンを含み、去痰など薬効のある生薬にもなる。

「花やつで」は初冬の季語。

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恵庭の碑-26, 除雪重機から記念碑(まち遺産)を護る

2023-12-15 15:45:14 | 恵庭散歩<記念碑・野外彫像・神社仏閣・歴史>

まち遺産を護る

北国に冬が訪れ、雪が舞う季節となった。我が家も庭木の冬囲いを済ませ、除雪道具を物置から引っ張り出して降雪に備える。道路や公的広場は除排雪受託業者が重機を駆使して行うが、玄関や車庫前の除雪は当然のことながら各自の作業。高齢者にとって除雪作業は身に余る重労働だが今年も頑張るしかあるまい。

そんな思いで冬支度をしていた11月末に、IMさんから電話を頂いた。

「記念碑を除雪重機から護る対策をしました」

 

1.除雪重機から「恵庭村道路元標」を護る

市役所 中恵庭出張所の前庭片隅に「恵庭村道路元標」碑が残されている。この道路元標は昭和7年に設置されたもので、各道路はこの元標が起点になっていた。昭和27年に現行道路法が制定されてからは無用となり放置されているが、恵庭まち遺産としての歴史的価値は高い。

*過日の「えにわ学講座」で講師が語った。

・・・恵庭村道路元標は道道600号島松千歳線に面して建てられている。櫟の木陰に埋もれて、気づく人もない。標石の表面には「恵庭村道路元標」、裏には「昭和七年建設、北海道庁」とある。開拓の時代から第二次世界大戦が終わるまでの55年間、この地は恵庭行政の中心であった。この元標を起点にして道路は四方に延びていた。現行法では道路管理者から見捨てられた存在だが、恵庭市民にとっては歴史のモニュメントと言えよう。標石の角は朽ち、刻まれた文字も崩れそう。立ち姿は除雪の重機から身を守る術もない。崩れ去る前に何とか保存したいものだ。恵庭まち遺産保全の取り組みを提起したい・・・

*ある日、一市民が声を上げた。

「記念碑を護る手立てをしないのか?」

*管理者は動いた。

市民の声を受けて、設置場所の管理者は行動し、除雪重機から石碑を護るために保護標識を立てた(写真)。先ずは第一歩。恵庭の史跡を護る小さな前進となるだろう。

 

2.護る、これはどう思う?

◆野外彫刻

JR恵庭駅東口に佇む少女像「すずらんに寄せて」。作者は、横浜山下公園の「赤い靴はいてた女の子」など、少女をモチーフにした作品で知られる山本正道。恵庭駅を利用する人々はこの像を意識することがあるのだろうか、行き交う人々は足早に通り過ぎる。そして昼の時間帯、少女は一人ぽつねんと腰を下ろしている。

ある日、この作品にマフラーが巻かれているのに気づいた。木枯らし吹く中で寒かろうと、優しい心の持ち主が自分のマフラーをかけてやる姿が目に浮かぶ。

この行動は是か非か? 貴方はどう思う? 作品を傷つけるのは論外だが、マフラーは許容範囲かもしれない。

野外彫刻は芸術作品であるが、街中の彫像は市民に愛されて存在価値があるとも言えよう。

 

◆地蔵さんも寒かろう

路傍の地蔵さんが帽子と前垂れ(涎掛け)を着けているのをよく見かける。

写真は龍仙寺の六地蔵。冬来りて防寒着を纏っている

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令和5年度公開講座(北海道文教大学)を聴講する

2023-11-29 14:11:52 | 講演会、学成り難し・・・

北海道文教大学公開講座

毎年楽しみにしている公開講座である。今年は10月から12月初めにかけて鶴岡記念講堂を会場に全29講座が計画された。

恵み野からトコトコ歩いて通うこともあったが、学びの場は新鮮で疲れも快かった。何しろ、講義に耳を傾け、スライド映像に食い入る高齢者の眼が生き生きしていて、その中に身を置くことで自分も元気になった。「久しぶりだね、元気だった?」と、かつて長寿大学で学んだ仲間との邂逅はコロナ禍が過ぎたことを感じさせてくれた。

日程の都合で受講したのは5講座と少なかったが、有益な情報を得ることが出来て満足している。北海道文教大学が地域に開かれた大学として、地域のプラットホームたらんとして進められる取組みに敬意を表したい。その姿勢が続く限り、地域も市民も大学の隆盛に声援を惜しまないだろう。

北海道文教大学は、第二次世界大戦中の昭和7年(1942)北海道女子栄養学校として設立され、その後幾多の改変を経て現在は人間科学部、医療保険科学部、国際学部で構成され、学生定員数550名。平成11年(1999)に恵庭市に移転し、令和4年(2022)には附属高等学校、付属幼稚園も恵庭に移転、自治体、団体、企業などとも包括連携協定を結ぶなど充実が図られている。

この公開講座の存在を知ったのは平成27年(2015)、これまでに57講座を聴講。来年も是非開講して頂きたい。

受講録2023(特別公開講座を含む)

  1. 田中裕也「まちづくりとガウデイコード」(北海道文教大学特別公開講座5.9)
  2. 宮田裕章「デジタルトランスフォーメーション(DX)の先にある新しい社会とヘルスケア」(北海道文教大学特別公開講座2023.6.25)
  3. 亀田和明「ウクライナ侵攻を読み解く公図」(北海道文教大学特別公開講座2023.7.25)
  4. 横井裕一郎・生駒一憲・金子翔拓・辻幸美「65歳からの人生を元気に過ごすために」(北海道文教大学公開講座2023.10.28)
  5. 大坂隆介「肩甲骨と姿勢について」(北海道文教大学公開講座2023.10.30)
  6. 峯尾仁「幸せの国デンマークでの生活体験から」(北海道文教大学公開講座2023.11.2)
  7. 南部路治「元気な心臓を創るリハビリテーション」(北海道文教大学公開講座2023.11.6)
  8. 生駒一憲「65歳からの元気生活~フレイル予防~」(北海道文教大学公開講座2023.11.16)

受講録2022

  1. 長町章弘「北海道の遺跡からわかる昔の食生活」(北海道文教大学特別公開講座2022.5.24)
  2. 高島英也「北海道の歴史、北海道の未来を考えるヒントに、第一回大地の誕生から明治前夜まで」(北海道文教大学特別公開講座2022.6.7)
  3. 高島英也「北海道の歴史、北海道の未来を考えるヒントに、第二回明治から現代まで」(北海道文教大学特別公開講座2022.6.14)
  4. 野村真弘「北海道とサッポロビール、146年前からSDGs.」(北海道文教大学特別公開講座2022.6.21)

受講録2019

  1. 矢部玲子「新聞に載る報方法~新聞投稿の文体を知ることを通して~」(2019.9.17)
  2. 湯浅孝男「スピリチュアルなリハビリテーションとは?」(2019.9.19)
  3. 池田 仁「老化を考える1~老化のメカニズムについて~」(2019.9.20)
  4. 鹿内あずさ「元気な時から考える医療事前指示書」(2019.9.20)
  5. 辻 幸美「認知症予防~病気の知識と対処行動が分かれば怖くない~」(2019.9.25)
  6. 池田 仁「老化を考える2~老年症候群と加齢性疾患~」(2019.9.27)
  7. 岡本佐智子「日本人と中国人とのコミュニケーション~中国人からみた日本人の不思議~」(2019.9.30)
  8. 木村一志「脳はどのようにして出来上がるのか?」(2019.10.8)
  9. 佐藤信夫「知覚と認知の心理学(錯視と錯覚の不思議な世界)」(2019.10.11)
  10. 佐藤 進「元号令和を生んだ万葉集の時代の華麗なる国際性」(2019.10.19)
  11. 佐々木律子「八世紀の女性天皇~元正天皇」(2019.10.25)
  12. 半澤江衣「知ろう!緩和ケアについて」(2019.10.31)

受講録2018

  1. 清水麻衣子「認知症の方と関わるための工夫」(2018.8.29)
  2. 池田 仁「がんを学ぶ1、人はなぜがんになるか」(2018.8.29)
  3. 奥村宣久「転倒予防、認知症予防の嘘ホント」(2018.8.29)
  4. 平塚健太・小菅勇亮・木村一志「最近の脳卒中リハビリテーション、認知症にまつわる気になる話~その時家族は?予防法は?」(2018.8.30)
  5. 池田 仁「がんを学ぶ2、日本人のがんの現状と対がん戦略」(2018.8.30)
  6. 鄭 佳麗・賈 金娥「中国人と日本人のコミュニケーション~面子のすれ違いから~」(2018.8.30)
  7. 池田官司「性同一障害最新の動向」(2018.8.31)
  8. 佐々木幸子「地域社会のつながりが持つ介護予防効果」(2018.8.31)
  9. 大山 徹「ハーブの話」(2018.9.3)

受講録2017

  1. 片倉裕子「マナウス市に暮らす日系人の人々」(2017.8.29)
  2. 野田美保子「105歳日野原重明氏に学ぶヘルスプロモーション」(2017.8.30)
  3. 金子翔拓「手のしびれの原因とリハビリテーション」(2017.8.31)
  4. 宮本重範「自分で出来る頸の障害予防と治療」(2017.9.1)
  5. 井上仁美「人生の節目と心の健康」(2017.9.4)
  6. 今泉博文「食生活を見直してみよう~生活習慣病予防のために~」(2017.9.5)
  7. 大森 圭「姿勢が良くなる講座」(2017.9.7)
  8. 吉田直美「意外と知らない低血圧の話」(2017.9.7)
  9. 小塚美由紀「アロニア果実の健康効果」(2017.9.8)
  10. 池田 仁「日本人が受賞したノーベル生理学・医学賞の話」(2017.9.13)

受講録2016

  1. 小西正人「知って知らない日本語」(2016.8.24)
  2. Sarah Richmond・三ツ木真実「Think Globally! グローバルに考える、今日の世界はどんな世界?」(2016.8.25)
  3. 佐野愛子「多様性を尊重する社会,カナダに学ぶこと」(2016.8.29)
  4. 鹿内あずさ「認知症の知識と家族ケア」(2016.9.1)
  5. 森谷一経「キャリア・デザイン、図表で自分史を理解してみませんか?」(2016.9.2)
  6. 金子翔拓「腰痛に対するリハビリテーション」(2016.9.5)
  7. 池田官司「認知症になったらどうしよう・・・」(2016.9.8)
  8. 矢部玲子「エゾナキウサギの生態と保護」(2016.9.9)
  9. 奥村宣久「認知症予防と作業療法」(2016.9.9)

受講録2015

  1. 黒澤秀樹「骨粗鬆症・ロコモテイブシンドローム・廃用症候群」(2015.8.25)
  2. 草野真暢「喫煙を考える」(2015.8.28)
  3. 池田 仁「老化と寿命を科学する」(2015.9.3)
  4. 大山 徹「ノロウイルス~食中毒と感染について」(2015.9.4)
  5. 続 佳代「薬と上手につきあう」(2015.9.8)
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ちょこっと散歩で恵庭再発見、(7)市民会館

2023-10-12 14:53:00 | 恵庭散歩<記念碑・野外彫像・神社仏閣・歴史>

来庁の折に足を止めて・・・

このシリーズでは散歩の途中に立ち寄ってみたい魅力のスポットを訪ねます。

今回は「市民会館、市役所」(新町、京町)。市役所や市民会館を訪れる機会は多くても、周辺の記念碑や彫像に眼を留めることは少ないかも知れません。今回は、そんな貴方への情報提供です。なお、下記の資料は令和5年度第1回「えにわ学」講座(令和5年9月30日)資料から引用しました。

 

再発見!

(1)平和の像

作者不詳。彫像作者について市役所に問い合わせたところ、「作者名は記載されていない。三四会に聞いてみたが、代が替わっていて分からない」「札幌の小林石材店の制作」とご教示頂いた。寄贈目録に彫像作者名が記載されていないこと、具体的な石材店名が示されたことから勘考すると、石材店の石工(匠)作と言うのが本当の所かも知れない。

確認のため小林石材店に電話で伺ったところ、現社長から「三代目の幸天市社長の時代と思われるが、記録が見つからない。ただ、この時代だと灯篭や狛犬を彫る石工(匠)はいたが、彫像を制作できる石工(匠)は北海道にいないはずだ。道外での制作かも知れない」とのご意見を頂いた。

言うまでもないが、名もなき一石工(匠)の作品であろうと、この作品の芸術性や価値を損なうものではない。むしろ、将来の平和と安寧を信じて疑わない子供らの表情を、かくも素直に具現した作家の力量に感嘆する。作者はどんな方だったのだろうか。

平和を祈念する像は全国各地に建立されている。過去の大戦の惨禍を偲び、平和を願う人々の切なる願いの象徴である。この「平和の像」にも市民の平和に対する願いが込められていると考えるべきだろう。

(2)杉村孝「双体童(わらべ)像,YÛKÔ」

小品ですが、童(わらべ)の表情が実に良いですね。作者の履歴を知ると彫刻の表情が一層深まったように感じます。

(3)記念保護樹木

これまで知らなかったけれど、北海道では由緒由来があり住民に親しまれている樹木を北海道自然環境等保全条例に基づき、「記念保護樹木」に指定して保護を図っているのだそうです(北海道自然環境等保全条例第23条第1項)。

条例によって指定した樹木は全道で105点あるそうですが(2023年現在)、恵庭ではこれのみ。全道の市町村数179を勘案すれば、これは貴重な樹木と言うことになりますね。さて、何処に? 期待外れの記念樹かも知れません・・・。

 

参照 1)土屋武彦「私の恵庭散歩-1恵庭の彫像」晩鐘舎2017、2)土屋武彦「私の恵庭散歩-2恵庭の記念碑」晩鐘舎2017、3)拙ブログ「豆の育種のマメな話」 2014.10.17(恵庭市民会館前庭の「平和の像」)、同2014.11.15(先人の偉業を讃える「開拓の碑」)、同2016.8.14(恵庭市民会館にある「双体童(わらべ)像,YÛKÔ」)、同2018.7.25(市役所前の「恵庭市民憲章碑」)、同2018.7.26(市役所前庭の「恵庭・テイマル姉妹都市締結10周年記念碑」)、同2022.4.25(恵庭市庁舎落成記念樹)

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ちょこっと散歩で恵庭再発見、(6)ユカンボシ川 河畔公園

2023-10-11 09:22:10 | 恵庭散歩<記念碑・野外彫像・神社仏閣・歴史>

6人の著名作家が共演「自然の中の彫刻広場」

このシリーズでは散歩の途中に立ち寄ってみたい魅力のスポットを訪ねます。

今回は「ユカンボシ川 河畔公園 彫刻広場」(駒場町)。

ユカンボシ川の一角に、自然の樹木や小川の流れを壊さないように配慮して作られた「彫刻広場」があります。道内外で活躍の著名な彫刻家が、ここの自然に調和するような作品を仕上げました。特段の興味がある方以外は訪れる機会が少ないと思いますが、この彫刻広場で静かなひと時を過ごしてみたら如何でしょうか。恵庭にこんな素敵な場所があったのかと再認識するに違いありません。

作品を鑑賞後は、近くの喫茶店で一休みするもよし、彫刻広場からユカンボシ川に沿って遊歩道を進めば恵庭公園の散策路に通じます。鬱蒼とした原始林の中の散策路では、多様な植物が貴方を歓迎してくれます。

なお、下記の資料は令和5年度第1回「えにわ学」講座(令和5年9月30日)資料から引用しました。

参照 1)土屋武彦「私の恵庭散歩-1恵庭の彫像」晩鐘舎2017、2)拙ブログ「豆の育種のマメな話」2014.10.10(ユカンボシ川河畔公園彫刻広場-佐藤忠良・渡辺行夫・植松奎二の作品)、2014.10.11(ユカンボシ川河畔公園彫刻広場-山本正道・丸山隆・山谷圭司の作品

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ちょこっと散歩で恵庭再発見、(5)恵庭駅

2023-10-10 09:08:31 | 恵庭散歩<記念碑・野外彫像・神社仏閣・歴史>

少女像「すずらんに寄せて」

このシリーズでは散歩の途中に立ち寄ってみたい魅力のスポットを訪ねます。

今回は「恵庭駅東口広場」(黄金中央)。

えにわ病院に面した歩道に一体の「少女像」があります。鈴蘭の花を両手で愛おしむように持った少女の座像。横浜山下公園にある「赤い靴はいてた女の子」と同じ作者の作品だと気付く人は少ないでしょう。しかし、これが著名な彫刻家山本正道の作品だと知った貴方は、さりげなく置かれたその風情に触れ、きっとこの街を好きになるでしょう。

なお、下記の資料は令和5年度第1回「えにわ学」講座(令和5年9月30日)資料から引用しました。

再発見!

(1)街かどの少女像

今回訪れたとき、少女像は帽子を被りマフラーを巻いていた。前回通ったときは小銭が供えられていた(資料の写真は元の姿)。

Aさん:この作品が横浜山下公園にある少女像「赤い靴はいてた女の子」の作者山本正道の作品であると知って、改めてその芸術性に触れ、恵庭の街かどに著名作家の作品があることに歓びを覚えます。

Bさん:寒空にぽつねんと座る少女像をみて、「寒そうだ」と帽子とマフラーを着せる心優しい近所の方がいらっしゃるのですね。

Cさん:病院前の少女像。病の快復を願って、或いは完治した御礼に手を合わせ、賽銭を供えた病院の患者さん(?)。お地蔵さんと思ったのでしょうか。

さて、町かどに置かれた彫像を「芸術作品として尊重すべき」「Bさん、Cさんの行為も街中作品としては許容できる。ペンキや破損は絶対ダメですがね」。あなたはどう思いますか。

私達は、少女像にそっと手を触れバスに乗り込んだ。       

参照 1)土屋武彦「私の恵庭散歩-1恵庭の彫像」晩鐘舎2017、2)拙ブログ「豆の育種のマメな話」2014.10.14(恵庭駅前の少女像、山本正道「すずらんに寄せて」)

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ちょこっと散歩で恵庭再発見、(4)恵庭市 総合体育館

2023-10-09 10:02:44 | 恵庭散歩<記念碑・野外彫像・神社仏閣・歴史>

躍動と天然の美

このシリーズでは散歩の途中に立ち寄ってみたい魅力のスポットを訪ねます。

今回は「恵庭市総合体育館」(恵庭市黄金中央)。

ここには竹中敏洋の壁画彫刻「躍動と天然の美」があります。体育館の利用者でなくとも一度は訪れ、ロビーにあるこの芸術大作を是非ご覧頂きたい。作品が醸し出す迫力に誰もが圧倒されるでしょう。

また、近くには北海道文教大学、カリンバ遺跡がありますし、恵庭大橋の「季節の乙女像」を鑑賞してから「はなふる」へ出ることも出来ます。

なお、下記の資料は令和5年度第1回「えにわ学」講座(令和5年9月30日)資料から引用しました。

再発見!

(1)竹中敏洋作品が総合体育館にあった

先史時代から古代エジプト・ギリシャ時代にかけての洞窟壁画に、レスリング、重量挙げ、ボクシング、雄牛跳び、跳躍運動、弓矢による狩猟などが描かれていると言う。これは獣を追うために男たちが体を鍛え技術を競っていた証しだろうと推定されています。即ち、狩猟がスポーツの原点だとの考えです。

竹中敏洋も北海道の大地で鹿を追う原始の人々とスポーツマンの躍動を重ねてイメージし、アリーナの壁に躍動の美、天然の美を表現したのでしょう。液体硬化手法が効果を醸し出しています。

(2)恵庭大橋「季節の乙女像」の塑像がある

国道を車で走っていて恵庭大橋に彫像があるのを気付いても、誰も停車してまで見ようとは思わない。でも、一度じっくりと鑑賞するに値する作品が立っています。

この彫刻の原型、鈴木吾郎の「こぶし」「もみじ」塑像が体育館の壁画横に置かれています。

 

参照 1)土屋武彦「私の恵庭散歩-1恵庭の彫像」晩鐘舎2017、2)拙ブログ「豆の育種のマメな話」2014.10.13(恵庭市総合体育館の壁画彫刻、竹中敏弘「躍動と天然の美」)、同2014.10.5(恵庭大橋に季節の乙女像、作者は鈴木吾郎・本間武男)

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ちょこっと散歩で恵庭再発見、(3)恵庭神社遥拝所跡、イザリブト番屋/船着き場

2023-10-08 09:59:47 | 恵庭散歩<記念碑・野外彫像・神社仏閣・歴史>

恵庭「川の玄関口」
9月30日、「えにわ学」講座で久しぶりに漁太を訪れた。遥拝所の前を通る道路が改修変更され境内を通るようになったため、遥拝所敷地は減反され石碑の場所も変わっている。本項資料の写真は改修前のもので広々としているが、現状は異なる。このように、歴史遺産は少しずつ変遷してゆくものかもしれない。

なお、このシリーズでは散歩の途中に立ち寄ってみたい魅力のスポットを訪ねます。今回は「恵庭神社遥拝所、イザリブト番屋/船着き場址」(恵庭市林田)。

イザリブトは、江戸時代に番屋・船着き場が置かれ、明治の開拓時代にも交通の要所として賑わった、言わば恵庭「川の玄関口」。加賀・越中・能登から入植した人々は周辺の湿地・荒地を開拓し、現在の漁太・林田地区を肥沃な農耕地に換えました。彼らは此処に神社を祀り、恵庭神社遥拝所としていたのだ。

場所は、漁川が千歳川に合流する地点。恵庭から川沿大通りを下流に進み漁川の「南12号橋」の近く。河川は改修が進み直線化しているが、旧河川は大きく蛇行していた。恵庭市教育委員会は新旧の地図を重ね合わせ、松浦武四郎が再興蝦夷日誌に残した絵図の場所を推定しています(説明板が建っている)。

なお、下記の資料は令和5年度第1回「えにわ学」講座(令和5年9月30日)資料から引用しました。

再発見!

(1)松浦武四郎

松浦武四郎は江戸末期の探検家、伊勢の人。17歳のころから諸国を巡歴し、弘化2年(1845)、28歳の時はじめて蝦夷地を踏査。以来、6回の蝦夷、樺太、千島を探検し、貴重な記録や地図を残しています。明治政府から開拓判官に任じられ、蝦夷地を「北海道」と命名。蝦夷地の発展とアイヌの生活改善を願って就いた判官の職でしたが、思うようにならず途中で職を辞しています。

松浦武四郎の足跡を記念して建てられた記念碑や説明板の数は多い。松浦武四郎研究会や専門家の資料によると、武四郎本人が主役の記念碑と説明板は全道で77点(宗谷4、留萌6、上川20、空知11、石狩1、オホーツク8、根室1、釧路9、十勝4、日高7、胆振6)、武四郎の文献などを引用した記念碑や説明板を加えると北海道におよそ120点存在するそうです。

恵庭市内では、平成30年(2018)恵庭市生涯学習施設「かしわのもり」(大町)前庭に、「松浦武四郎の歌碑」~蝦夷人の いさりの里に たなつもの 穂浪よすとは 思ひかけきや~(西蝦夷日誌1858)が建立されました。

(2)松浦武四郎「再航蝦夷日誌」1846から

武四郎は、第二回蝦夷地探索で千歳川を遡り、イザリブトの記録を残しています。

(解読文)・・・イサリブト ツイシカリより十一里。此処漠漠たる広野にして処々此の辺沼あり。又支川も網を曳けり。沼は左右にあって至って湿深きところなり。此処に至り四面とも山と云は少しも見えることなし。蔵の屋根え上がらばシコツ山見ゆるなり。番屋大きく建てたり。弁天社、蔵々あり。千歳支配所なり。夷人小屋五六軒。此辺皆隠元豆、豆、稗、粟、黍、ジャガタラ芋等を多く作りたり。土地肥沃にして甚よく豊熟せり。夷人ども熊、鷲を多く飼えり。又鶴多きよし。夷人毎日臼にて沼菱を搗て是を平日の食糧とす。又鹿皮を多く着科にせり。もっとも肉を干して是も平日の食に当てるよし・・・

・・・此処にて川二つに分る。一つは右の方本川にしてシコツ沼に及ぶよし。番屋前十間ばかりして枝川に上る。此巾十二三間。もっとも深き壱尋半より二尋。急流にして水至って清冷なり。本川はシコツ嶽、サッポロ嶽の間より落ち来る。本川幅十五六間。深凡そ二尋もあるよし聞けり・・・

         

参照 1)土屋武彦「私の恵庭散歩-2恵庭の記念碑」晩鐘舎2017、2)土屋武彦「私の恵庭散歩-3恵庭の神社・仏閣・教会堂 」晩鐘舎2017、3)拙ブログ「豆の育種のマメな話」2015.1.30(加越能開耕社ら移住者が創祀した恵庭神社)、同2015.2.3(恵庭開拓期以前の神社 弁天社・稲荷神社)、同2015.4.8(イザリブト番屋・船着場と恵庭神社遥拝所跡の碑)、同2018.11.4(恵庭に建立された松浦武四郎歌碑)、同2019.1.14(恵庭と松浦武四郎)、4)恵庭市史編さん委員会「新恵庭市史」2022

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ちょこっと散歩で恵庭再発見、(2)中恵庭出張所 周辺

2023-10-06 18:04:01 | 恵庭散歩<記念碑・野外彫像・神社仏閣・歴史>

恵庭村道路元標は朽ち果てるのか?

ちょっと出かけてみようかと家を出た散歩の途中で彫像や記念碑に出会い、恵庭を再発見することがあります。このシリーズでは、散歩の途中に立ち寄ってみたい魅力のスポットを訪ねます。

今回は「中恵庭出張所」(恵庭市中央)周辺。

明治、大正、昭和(第二次世界大戦後まで)時代、この地は恵庭行政の中心地でした。今は静かな佇まいですが、84年間にわたり恵庭村役場(町役場)があったところ。つい最近まで交番、郵便局、農協、消防署などもありました。

場所は、前項の恵庭開拓記念公園から漁川を渡り、漁川と川沿大通に挟まれた地域。ここで是非ご覧頂きたいのが「恵庭村道路元標」。恵庭市民の方も多くが存在を知らないと思いますし、恐らく見つけることも出来ないでしょう。道路脇の生垣(櫟)の陰に隠れています。

その他にも「漁共同用水記念碑」「忠魂碑」「六地蔵」など見どころがあり、川沿大通の「恵庭神社」「拓土農魂之碑」「天融寺」へも足を延ばすことが出来ます。

なお、下記の資料は令和5年度第1回「えにわ学」講座(令和5年9月30日)資料から引用しました。

再発見!

(1)戸長役場から村役場へ

恵庭市の母体となる漁村と島松村は、かつて千歳郡千歳村外五か村戸長役場に属していました(ほかに千歳村・長都村・蘭越村・ウサクマナイ村)。明治30年(1897)に千歳郡戸長役場から独立して「漁村外一か村戸長役場」となり、明治39年には恵庭村が誕生し、

「恵庭村役場」となりました。庁舎が中恵庭に置かれたのは、漁地区と島松地区の強い誘致争いの妥協案だったと言われています。

明治43年に原因不明の火災で役場が全焼して戸籍簿など全てが消失するなど恵庭の貴重な資料も消えてしまいました。火災原因は設置場所を巡る怨恨説、泥棒による放火説など囁かれたそうですが、原因不明で操作は打ち切られました。

なお、町役場(市役所)が現在の京町へ移転したのは時が流れて昭和27年(1982)のことです。

(2)道路標識

江戸時代には各街道に日本橋を起点とした「一里塚」がありました。明治政府は明治6年、各府県に「里程元標」を置くことを定めます。北海道里程元標は札幌創成橋の近くにあります(H23復元)。札幌本道(室蘭街道)では、島松沢に「六里標」、江別恵庭線が札幌本道に交わる地点に「七里標」、山崎製パンの辺りに「八里標」がありました(現在その痕跡はありませんが古地図で確認できます)。

大正6年に旧道路法が制定されると、各市町村に道路元表を置くことになります。札幌市道路元標は道庁赤レンガ庁舎正門前、「恵庭村道路元標」は中恵庭の役場前に置かれました。戦後になり現行道路法が制定され市町村道路元標は無用となりましたので処分され、残っている道路元標は多くありません。歴史遺産として保護している市町村もありますが、「恵庭村道路元標」は朽ち果てる寸前です。

札幌本道(室蘭街道)の「里程標」を復元し、「恵庭村道路元標」と併せ保全したら「恵庭まち遺産」となりませんかね・・・。

 

参照 1)土屋武彦「私の恵庭散歩-1恵庭の彫像」晩鐘舎2017、2)土屋武彦「私の恵庭散歩-2恵庭の記念碑」晩鐘舎2017、3)拙ブログ「豆の育種のマメな話」2014.11.16(開拓を支えた治水事業-共同用水記念碑)、同2014.12.9(日清・日露戦争の戦没者を祀る供養塔-忠魂碑)、同2014.12.11(朽ち果てるのか-恵庭村道路元標)、同2014.12.15(路傍に祀られるお地蔵さん-地蔵菩薩)、同2015.1.30(加越能開耕社ら移住者が創祀した-恵庭神社)、同2022.8.18(室蘭街道の七里標・八里標と恵庭村道路元標)、4)恵庭昭和史研究会「百年100話」1997、5)恵庭市史編さん委員会「新恵庭市史」2022

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ちょこっと散歩で恵庭再発見、(1)恵庭開拓記念公園

2023-10-03 13:44:45 | 恵庭散歩<記念碑・野外彫像・神社仏閣・歴史>

松園小学校廃校址に造成された恵庭開拓記念公園

ちょっと出かけてみようかと家を出た散歩の途中で彫像や記念碑に出会い、恵庭を再発見することがあります。このシリーズでは、散歩の途中に立ち寄ってみたい魅力のスポットを訪ねます。

今回は「恵庭開拓記念公園」(南島松)です。

恵庭開拓記念公園へは、花の拠点「はなふる」から漁川の堤防を下流に歩くもよし、郷土資料館を目指して松園通りを歩くもよし、恵み野中央公園の遊歩道を楽しみながら辿るコースもお勧めです。

恵庭の歴史に興味があれば、隣接する「恵庭市郷土資料館」見学を推奨します。

なお、下記の資料は令和5年度第1回「えにわ学」講座(令和5年9月30日)資料から引用しました。

再発見!

(1)松園小学校

山口県から集団入植した人々(M19岩国地方、M20萩藩士ら)が、子弟教育のために明治22年に開校。初代校長は萩藩士廻神美成。校名「松園」は萩の偉大な教育者吉田松陰の名前にあやかって名付けたと言う(松下村塾の塾生として高杉晋作・久坂玄随・伊藤博文・山形有朋らが名を連ねる)。

最初は南島松(西2線南22号)に建てられ、明治30年にこの場所には移転。現在地から南に300間(550m)とすれば、松園通りの松園会館~楡の大木(伝承の御神木)の辺りでしょうか。

(2)二宮尊徳先生幼時の像

全国各地の金次郎像は、幸田露伴「二宮尊徳翁」挿絵が原型の「薪を背負い、書を読む」姿。この草鞋を捧げる金次郎像は極めて珍しい。作者は富山出身の二口大然、原型は富山出身で小樽在住の彫塑家野口五一。野口五一の作品が郷土資料館に展示されています。

(3)「拓望の像」制作者 竹中敏洋

大分県生まれ、恵庭で活躍した造形作家。大陸で過ごした少年期の体験が竹中芸術の原風景と言われます。昭和29年来道して中学校の美術教師。昭和49年盤尻に居を構え、漁川で造形樹氷の実験を重ねて竹中ファンタジーの世界を創造。この氷と光の芸術は、層雲峡氷瀑まつり、支笏湖氷濤まつり等に発展しました。

(4)恵庭の古道「松園通り」

公園の南側道路が南21号道路(道道600号島松千歳線)、東側の漁川に沿った道路が松園通り(中島通-松園線)です。松園通りには茂漁川第三幹線用水路が埋設され桜並木(恵み野桜回廊)となっています。この道路は明治29年版地図(長都1/50,000、大日本帝国陸地測量部)に記載されている数少ない「恵庭の古道」です。

(5)三角点があるって? 何処に?

三角測量に用いる基準点がこの公園内にもあります。関係者以外は知らない情報かな。

 

参照 1)土屋武彦「私の恵庭散歩-1恵庭の彫像」2017、2) 土屋武彦「私の恵庭散歩-2恵庭の記念碑」2017、3)拙ブログ「豆の育種のマメな話」2014.10.8(恵庭開拓公園にある竹中敏弘 拓望の像)、同2014.10.9(恵庭開拓公園にある二宮尊徳幼年時の像)、同2014.11.15(先人の偉業を讃える開拓の碑)、同2014.11.19(先人の偉業を讃える表徳碑)、同2015.9.27(廃校の跡地に残る 松園校跡地記念碑)、同2022.12.26(松園通り)、4)恵庭昭和史研究会「百年100話」1997、5)恵庭市史編さん委員会「新恵庭市史」2022

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