竹取翁と万葉集のお勉強

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万葉雑記 色眼鏡 二九八 今週のみそひと歌を振り返る その一一八

2018年12月22日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 二九八 今週のみそひと歌を振り返る その一一八

 今週は巻十二の「寄物陳思」に部立される歌々を鑑賞しています。今回は標準的な訓じへの言いがかりといつもの弊ブログ特有の解釈のおさらいです。特に弊ブログの記事からしますと目新しいものではありません。

集歌3052 垣津旗 開澤生 菅根之 絶跡也君之 不所見項者
試訓 杜若(かきつばた)咲く沢生ふる菅(すが)し根し絶ゆとや君しそ見ぬ今日(きよふ)は
試訳 杜若が咲く沢に生える菅の根が切れ絶える、そのように仲が切れ絶えると云うのですか。愛しい貴方の姿がお見えにならない、そのお顔が今日は。
注意 原文の「不所見項者」の「項」は、一般に「頃」の誤字とします。ここでは漢字が持つ音の「シィャン」「キョウ」とその意味の「うなじ、くび」から、ままに訓みました。

 日々の歌の鑑賞に付けた注意に示すように末句「不所見項者」の「項」は、標準では「頃」の誤記として扱い「見えぬこのころ」と簡単に歌を解釈して処理します。一方、弊ブログでは「項、頭後也」や「項、确也。堅确受枕之處」などの漢字説明を尊重します。発声では「コウ」の訛りとして「キョウ」を思い、そこからの「今日」です。実に与太話ですが、解釈の可能性としてはあると考えています。
 次に集歌3058の歌と集歌3059の歌は、弊ブログでは何度も取り上げている歌二首です。現代名で露草と表記する花草の表記の使い分けとその使い分けの背景を楽しむ漢字表記での歌です。当然、鎌倉時代以降の「漢字交じりひらかな」表記に翻訳したものでは全くに鑑賞のできない歌です。

集歌3058 内日刺 宮庭有跡 鴨頭草之 移情 吾思名國
訓読 うち日さす宮にはあれど鴨頭草(つきくさ)しうつろふ情(こころ)吾が思はなくに
私訳 きらきらと日の射す大宮に居て多くの殿方と接するけども、ツユクサのように褪せやすい気持ちを私は思ってもいません。

集歌3059 百尓千尓 人者雖言 月草之 移情 吾将持八方
訓読 百(もも)に千(ち)に人は言ふとも月草(つきくさ)しうつろふ情(こころ)吾持ためやも
私訳 あれやこれやと人はうわさ話をするけれど、ツユクサが褪せやすいと云うような、そんな疑いを、私が持っていましょうか。

 弊ブログの「万葉雑記 色眼鏡 四五 秋芽子と鴨頭草を楽しむ」で紹介しますように現代で云う「露草」は万葉集時代では鴨頭草、鴨跖草、月草、空草などと表記します。集歌3058の歌と集歌3059の歌はこのそれぞれの表記の裏側に持つ意味合いを下にした、表記の書き分けでの楽しみです。
 逆に表記の裏側に持つ意味合いを思いませんと、鎌倉時代以降の面白くもおかしくもない歌の鑑賞になります。日々の歌の鑑賞での注意として示したように集歌3058の歌の「鴨頭草」は、その花の形と用字から「男女の交渉」を暗示しています。つまり、噂話に対して尻軽女では無いと云う歌意になります。対して集歌3059の歌の「月草」には性的な意味合いは全くになく、払暁から咲き出す露草の特徴とその水色の色合いからの表現です。つまり、集歌3059の歌の「月草」は集歌3058の歌を受けたものであり、性交をイメージさせる集歌3058の歌の「鴨頭草」と花草の風流としての「月草」との用字の違いが、男から女への返歌では重要と思います。
 およそ集歌3058の歌と集歌3059の歌との相聞歌二首とは、噂話として男女の評判が立った宮中に勤める女が、そのような噂話は出鱈目で恋するのは貴方だけというものに対し、男がまったくそのような噂話を信じていないとの歌での会話です。ただ、鎌倉貴族がこれらの歌を「漢字交じり平仮名歌」に翻訳したとき、二首相聞の面白みは失せます。

萬葉集釋注 伊藤博氏の解釈より
集歌3058
訓読 うちひさす宮にはあれど月草のうつろう心我が思はなくに
意訳 はなやかな宮廷に仕えている身ではあるけれど、色のさめやすい露草のような移り気な心、そんな心で私は思っているわけではないのに。

集歌3059
訓読 百に千に人は言ふとも月草のうつろう心我れ持ためやも
意訳 あれやこれやと人は噂を言いふらしても、露草のような移り気な心、そんな心をこの私としたことからが持つものですか。

 少し興味を引きますが、伊藤博氏はこの二首を相聞問答歌と取るか、二首組歌での相手への応答歌と取るか、戸惑っておられます。つまり、伝統の「漢字交じり平仮名歌」に翻訳したものでは、どのように解釈してよいのか判断に困るようです。可能でしたら、弊ブログと並行して『萬葉集釋注 伊藤博(集英社文庫)』を参照していただければ幸いです。弊ブログの酔論や与太話たるところがはっきりすると思います。

 与太話のおまけとして、数年前までは古本市場では『萬葉集釋注 伊藤博(集英社文庫)』は全十巻が三千円ほどで購入出来ましたが、今では古本であっても六千円と云うほどに超高額になっています。それほどに需要があるのでしょう。万葉集好きにとって愛読者や興味を持つ人が増えることは嬉しいことですが、一方、経済弱者である私としては古本市場での価格高騰は辛いものがあります。
 今回は与太話に加え、愚痴になりました。反省する次第です。
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