新見は、いち鉄道ファンとしてもちょっと気になっていた地名でした。
かつて非電化だった頃の伯備線は、急勾配の区間でD51の三重連が
貨物列車を牽引することで知られており、SL現役時代はピンとこない
私でさえ、その有名な撮影地として「布原信号場」の名前を聞いたこと
があります。
冒頭の写真は、布原信号場付近で撮られた余りに有名なアングルの
デゴイチ三重連の写真です。(ネットで拾ってきた写真ですみません)
そんな伝説の布原信号場が、現在どうなっているのかちょっと興味が
あったので、以前の一連の岡山行のついでに寄り道しました。
旧布原信号場(現布原駅)は、新見から米子方面にひと駅行ったところ
で、鉄道も急勾配がある難所であれば、道路も乗用車がやっとのような、
狭くて険しいワインディングで、行くのに往生しました。布原駅は狭い
山間にあり、周囲の人家もまばらで平均乗降客数は1日1人、まさに
秘境の駅といった感じです。
現・布原駅の様子。
JR発足時に信号場から駅に格上げされていますが、まるで仮設のよう
な短いプラットホームは当時のままのようです。伯備線の列車は全て
この駅を通過し、芸備線の列車が一日に数本止まるだけです。
駅から新見側に数百mほど行くと、かつての有名撮影地であった第23
西川橋梁があります。この写真のちょうど右上あたりの斜面が、列車
撮影の「お立ち台」だったようです。
冒頭の写真と全く同じ角度で列車の写真を撮りたかったのですが、この
写真からも分かる通り、木が生い茂っているうえ、すごい急斜面のよう
なので断念しました。
今は人影まばらな静かな山間ですが、1972年3月の三重連ラストデー
が近付くにつれ大フィーバーとなり、何百人というファンが大挙してここ
でカメラを構えていたようです。
第23西川橋梁を真横から見た新旧比較。
あまり変化していないようです。
腕木式信号機の名残り。
線路より随分離れた位置に立っていますが、見ようによってはシュール
レアリズムかも?(笑)
かつて非電化だった頃の伯備線は、急勾配の区間でD51の三重連が
貨物列車を牽引することで知られており、SL現役時代はピンとこない
私でさえ、その有名な撮影地として「布原信号場」の名前を聞いたこと
があります。
冒頭の写真は、布原信号場付近で撮られた余りに有名なアングルの
デゴイチ三重連の写真です。(ネットで拾ってきた写真ですみません)
そんな伝説の布原信号場が、現在どうなっているのかちょっと興味が
あったので、以前の一連の岡山行のついでに寄り道しました。
旧布原信号場(現布原駅)は、新見から米子方面にひと駅行ったところ
で、鉄道も急勾配がある難所であれば、道路も乗用車がやっとのような、
狭くて険しいワインディングで、行くのに往生しました。布原駅は狭い
山間にあり、周囲の人家もまばらで平均乗降客数は1日1人、まさに
秘境の駅といった感じです。
現・布原駅の様子。
JR発足時に信号場から駅に格上げされていますが、まるで仮設のよう
な短いプラットホームは当時のままのようです。伯備線の列車は全て
この駅を通過し、芸備線の列車が一日に数本止まるだけです。
駅から新見側に数百mほど行くと、かつての有名撮影地であった第23
西川橋梁があります。この写真のちょうど右上あたりの斜面が、列車
撮影の「お立ち台」だったようです。
冒頭の写真と全く同じ角度で列車の写真を撮りたかったのですが、この
写真からも分かる通り、木が生い茂っているうえ、すごい急斜面のよう
なので断念しました。
今は人影まばらな静かな山間ですが、1972年3月の三重連ラストデー
が近付くにつれ大フィーバーとなり、何百人というファンが大挙してここ
でカメラを構えていたようです。
第23西川橋梁を真横から見た新旧比較。
あまり変化していないようです。
腕木式信号機の名残り。
線路より随分離れた位置に立っていますが、見ようによってはシュール
レアリズムかも?(笑)