とはいっても大分の有名温泉地ではなく、別府と書いて「べふ」と読む
兵庫県内の地名です。
かつて山陽線の土山(播磨町)から加古川の別府港までを結んでいた
小さな私鉄ですが、昭和50年代の終わりまで存在していた(しかも大阪
から1時間圏内!)にも関わらず、このように浮世離れしたような客車で
細々と旅客輸送も行っていました。(混結の編成には、貨車のほうが
よほど多かったようです)
この機関車とマッチ箱のような客車は、大中遺跡内にある「播磨町
郷土資料館」に保存されているものです。
車両の中も見ることができ、決してレトロ「風」のつくりものではなく、
ほんまもんの骨董品です。
機関車の運転台も見ることができますが、なにやらクラッチペダルや
シフトレバーのようなものがあって、びっくり。
背面にも運転台があるので、座席を180度くるっと回せば、後進時も
前向きで運転できます。
廃線跡に沿って別府港近くに行くと、本社でしょうか、「別府鉄道」の
大きな看板が。中を覗くと、現在はタクシー会社として存続している
ようです。
別府港から今度は加古川市内側に向かうと、いかにも元鉄道橋と
いった感じの橋も残ってました。
当時よその地方にいたので所詮無理な話ではあるのですが、こんな
鄙びた鉄道が私が中学生の頃まで存在してたなんて、一度は乗って
みたかったものです。
兵庫県内の地名です。
かつて山陽線の土山(播磨町)から加古川の別府港までを結んでいた
小さな私鉄ですが、昭和50年代の終わりまで存在していた(しかも大阪
から1時間圏内!)にも関わらず、このように浮世離れしたような客車で
細々と旅客輸送も行っていました。(混結の編成には、貨車のほうが
よほど多かったようです)
この機関車とマッチ箱のような客車は、大中遺跡内にある「播磨町
郷土資料館」に保存されているものです。
車両の中も見ることができ、決してレトロ「風」のつくりものではなく、
ほんまもんの骨董品です。
機関車の運転台も見ることができますが、なにやらクラッチペダルや
シフトレバーのようなものがあって、びっくり。
背面にも運転台があるので、座席を180度くるっと回せば、後進時も
前向きで運転できます。
廃線跡に沿って別府港近くに行くと、本社でしょうか、「別府鉄道」の
大きな看板が。中を覗くと、現在はタクシー会社として存続している
ようです。
別府港から今度は加古川市内側に向かうと、いかにも元鉄道橋と
いった感じの橋も残ってました。
当時よその地方にいたので所詮無理な話ではあるのですが、こんな
鄙びた鉄道が私が中学生の頃まで存在してたなんて、一度は乗って
みたかったものです。