蟹工船 小林多喜二 新潮文庫
今この作品がベストセラーになっているらしい。それは厳しい労働条件の中で働く労働者の姿が、派遣など非正規労働の若者の共感を得ているからだ。今の企業は若者を安い賃金で働かせ会社の人件費を浮かせている。経団連の会長の話の中にも使い捨ては企業生き残りのため止むを得ないというニュアンスが感じとれる。大体人権感覚が希薄なのだ。それがグローバリスムの流れだと言い切る資本家に明日は無い。人を大事にしない家も、地方自治体も、国も未来はない。どこかの知事は予算削減命と言って、年収100万あまりの弱い立場の非常勤職員を斬って捨てた。自分も貧乏な少年時代を過ごして、貧乏人の苦しさがわかっているはずなのに逆のリアクションをしてしまうのは、貧困層に対する屈折した心情があるのだろう。しかし、そう簡単に自分の出自を改めることは出来ない。知事になったとたん、経済連の金持ちから「君も知事になって毛並みがよくなったなあ」などという言葉を投げかけられるのがオチだ。ことほど左様に人間というのはいやらしいものなのだ。
北の漁場での蟹工船のメンバーは多士済々で本職もいれば、炭鉱離職者、学生もいる。船長は会社側の人間でこれらの荒くれを束ねている。その中に共産党の細胞がいて、労働条件改善を訴えるわけだ。資本主義の黎明期と共産党の誕生間もないころの緊張した雰囲気がひしひしと伝わってくる。資本家と労働者の対立、資本家の後ろには特高など国家権力がついているので、これは言ってみれば国家と個人の対立に擬せられる。今の若者がどれだけ時代背景を理解して読んでいるのかは分からないが、少なくとも搾取されることの痛みだけは共感できるのだろう。連帯という言葉は古くなってしまったが、いまこそ必要な気もする。
もう一編の「党生活者」は党員の日常を過不足なく描いて興味深い。政治組織の一員として活動することは簡単ではない。情熱と強固な意志が要請される。政治活動で必要なのは戦略だ。最近どの職場でも戦略、戦略とうるさいが、横文字でストラテジーと表記しているが、昔はタクティークと言っていたような気がする。まあどうでもいい話だが、「戦略立つるほどの組織はありや」というのが本音である。