忘却への扉

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せめて聴くことで

2009-09-03 | 追憶
 薄暗くなった里道が散歩コースだ。運転はしないが移動ほとんど自動車で、細い道などほとんどが草に覆われ忘れ去られそうな状態になっている。散歩している里道も昔は草一本生えることない踏み締め易い感触の土の道だった。
 山道を歩いていると必ず誰かに出会った。大人も子供も明るく声かけ合った。湧き水の水飲み場で出会い、道から多少離れていても呼びかけあった。時間を忘れて長話もした。
 祖父母の年齢など文字の読めない人もいて、停電と放送時間制限に電気料金節約で短時間聴くブラウン管ラジオと周囲の人たちとの会話が貴重な情報源だった。誤りも真実もあったが意図的な嘘やデマでなければ人のことばは暖かかった。
 そして現在、どこかあの頃のような暖か味のある会話の広がりが乏しくなったと感じるのは私だけだろうか。土地柄なのか私のせいか、まあ両方に問題もある。離れて見ていると、本当の人間関係の狭さと疑問を感じることがある。
 まるでテレビを見ているかのよう。最近のテレビ番組や出演者の多くに、生の感情を表現できない軽さが出ている。良い番組を見てない証拠と言わればそれまでだが、ハイビジョンの大画面で見せて恥ずかしくなる番組とや出演者の繰り返しは残念。
 姿は見えるのに気持ちの見えないテレビよりはラジオが好き。声や音だけなのに、後に深く残り伝わるものがある。私には人との会話の代わりを、ラジオを聴くことでしているのかも・・・。