忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

知覚過敏

2009-09-20 | 日々
 虫歯が痛み始めて数ヶ月が経つ。「こっちに居る間に、早く歯科医院に行って治療しておけば」と長女に注意されたのは半年以上前なのにそのまま放っていた。古い治療が駄目になったのは数年のこと。
 それまでにも痛みを感じることはあった。次女に歯磨き方法を教えてもらって、間違った歯磨きと時間だったと知る。聞いたようにして来たつもりだったが、甘かった。虫歯の侵攻を食い止められなかったのを今回の痛みで認める。
 歯科医院に行きたいげど、現在それを切り出し難い家庭内の事情がある。食事や間食に水分補給時と痛さはいろいろな場合に悩ませる。だら逃れたい。そんな時に知人たちから痛み止め用の歯磨きの話を聞いた。
 CMでも知っていても自分で使うとなると半信半疑のまま、ドラッグストアで買った。普通300円以内の価格の品が、薬用と知覚過敏の文字があれば1000円プラス数100円に値が上がるのを見ながらしばらく買うのに抵抗する。
 痛みに負けて結局レジを通過した。このところ痛みの回数が減ったようにも思うが、効果か気のせいかはわからない。 『知覚過敏』の文字を再確認できただけでもいいかとも思ったが、脳力低下とも言われる私への皮肉もあるかと歯痛の気持ち。

ゆれる音

2009-09-19 | 平和を
 天気図には太平洋上に台風の存在が示されている。その影響なのだろうか、家の周辺の木々が大きく揺れざわついている。お地蔵さん前の園地での続き仕事がまだ残り数日分ある。
 その付近の高い雑木林の急傾斜の道を登る。台風が本土から遠く離れて移動していると知らなければ怖いほどの風の音が聞こえて来る。こちら側の山はあちこちで揺れているが、向かい側では動いていない。
 陽の当たる場所に出ると少し寒かった日陰と変わって、一瞬暑さを感じたが、すぐに風がちょうどの心地良さをくれた。雑木林を離れるにつれ風の音は聞こえなくなる。
 嵐ではないちょっぴり強風の下ていど、それも吹いたり止んだりの1日だった。午前中は先日行った生活習慣病検査の結果通知で、胃の精密検査をする必要がとあり病院に行った
 風による揺れや音ではないが、胃癌の疑いだともっと私の心は揺れるのが本当なのかと数分間は考えた。答を聞く前に無駄なことだと気づいて止めた。ただ老いと共に病を避けるのは難しくなる。
 今回の結果は疑い無しと出た。いつかは死を迎える。どうせなら内臓などを残しせた姿で死ねると良いなと思っている。過剰な治療の可能性を追求せず、いい加減が私は好き。なによりも献体のできる死を願う。だから非戦の平和も望む。

皆、明るかった!

2009-09-18 | 平和を
 [広島を撮り続けて六十一年、明田弘司(写真家)が見た [昭和二十年代 → 三十年代] 【百二十八枚の広島】 著者/明田弘司 発行所/南々社 なぜか、皆、明るかった! 戦後広島の復興ドラマ。「人と街」が甦る!]
 先月広島の書店で購入したのだがそこで写真集の表紙を見て少し迷ったのは、コラージュのような原爆ドーム横には太い木が育ち商店街を想わせる通りや川の向こうに慰霊碑と平和記念資料館まで見える場面の真ん中にある赤い文字。
 『なぜか、皆、明るかった!』当時の人々に笑顔は不自然との、先入観を私は 持っていたと本を開いて気づかされる。ページをめくると私の育った時代があった。衣服やも家屋に小舟に三輪車その他の暮らし。
 あとでカバー写真の説明を見つけた。【平和の日の原爆ドーム周辺】とある。[原爆ドームの手前には、大衆食堂や自転車預かり所などが立ち並び、にぎわいをみせている。先祖先祖供養のため全国こくから集まった大勢の仏教家が、相生橋から平和公園の慰霊碑へ向かっている。 昭和32(1957)年8月6日/現広島商工会議所から南西を望む]
 そうだった。昭和20年代から30年代貧しい生活も気にならず、わが家の家族も明るかった。戦時中と敗戦を引きずっていた筈なのに、明るさと幸せを自由に感じていた。

自由に育つと

2009-09-17 | 日々
 縁側に置いてあった採ったばかりの3本のナス。その1本がきれいに丸まった形をしている。私は水やりをしただけで、他には何も手伝っていない。台所に持って入り夕食の材料になる前に記念写真を1枚パチリ。
 野菜畑と言える広さはないが、無農薬野菜の育つ土地が少しでも有る幸せ。多少曲がったり鳥や虫に傷つけられていても、気にならない。このナスも輪切りにされ味付け煮炊きなどされ、お腹の中に入って行った。

桐の木を見て

2009-09-16 | 追憶
 いつもの通り道だが、所々に桐の木が植えてある。1つの場所に最初に植えられてから、もう数10年が経つ。「子供が 結婚をする時でも来れば、祝いに家具を贈ろうと思って。今、桐の木を植えておけば、ちょうど良い年数で切ることができる」
 わが家の山にも祖父母や父母の代には 桐の木があって、タンスや下駄などの材料として買いに来る人がいた。私も登って遊んだだけでなく大人になってからも桐の木は売れた。
 当時は山で大きく成長た桐の木をどこからか見つけて交渉に来た人と売る気だったらお金をもらう。まだ道路のできていない時代で、相手は山に入って桐を切り道路のある場所まで運び出す手間と労力をかけても利益になったのだろう。
 娘さんの嫁入り道具に持たせる桐のタンスのために、桐の木を育てているとの話はよく聞いていた。通り道の桐の木は、そのような風習がこの町でもなくなってからのこと‥‥。懐かしくうれしい話と思っていたが、風で幹が折れたり倒れたり。
 新たに植えかえた りしたのは覚えているが、スラリと真っ直ぐに育った桐の木を見た記憶がない。1本の株から幾本も細い幹を伸ばしている木もある。どうやら家具に加工されてはないようだ。
 横を通っても普段ほとんど気にしないでいた。なぜだか今日は桐の木が主役のように思った。活用するには難しい樹形が残念だが、倒れず生きろよと声かけたい気持ちになる。

楽しく見せて

2009-09-15 | 共に
 孫たちとの別れの朝、住宅街の高台で暮らす孫を幼稚園まで散歩がてらに3人で送って行く。いつもと違ってお母さんと一緒ではない初めての通園。お母さんが来ないのを理解するのにちょっと数10秒かかったが、あとはニコニコ笑顔で歩きだす。
 「人に出会ったら、『おはようございます』って言うのよ」お母さんとの約束はいつ実行するのか、数人とはすれ違っただけ。右上の道路に友だち親子を見つけて、やっと「おはよう」を言い手を振った。
 見上げてもまだ園長さんの姿は見えない。石段をゆっくり上がって幼稚園前でお別れを言う前に、孫は後ろも見ないで園内の角を曲がってすぐ消えた。母親の「泣かれるのも困るけど、物足りなさを感じる」の気持ちがわかる。
 その日に長距離を移動して午後に小学校で孫たちに会う。一緒に集団下校につき合って帰宅し、スイミングスクールまで送って行ってそこでお別れの約束。ロビーまで入り「またね。バイバイ」
 孫娘が走って来て「おじいちゃん」と抱きついたので私も抱きしめる。孫と2人交互におばあちゃんとも握手して、次は私と繰り返す。更衣室の角からも顔を出しては笑顔で手を振る。
 帰ろうとすると顔を出す。全てガラス窓の事務所から見えているけど、平気でこちらも手で答える。精一杯明るく振る舞っているのがわかるだけに、別れの心残りはしかたがないか。

幸せな1日

2009-09-14 | 平和を
 【こびとくんの しあわせないちにち】 マックス・ベルジュイス文と絵 清水奈緒子訳 発行/セーラー出版 孫の借りている絵本を、帰る日の朝孫を幼稚園まで送ってから読んだ。
 [きれいに晴れた暖かな朝、小人さんは散歩に出かけ四つ葉のクローバーを見つけた。よいことが有りそうな嬉しい気持ちになれる。茎の長さは小人さんの背丈ほど、肩に担いで楽しい散歩。
 木の枝につまづいて転んでも、足を折らずにすんだのは四つ葉のクローバーのおかげ。間違えて池にドボンと、でも溺れなかったのは四つ葉のクローバーのおかげ。
 大きなバッタは葉っぱをかじる。小人さんは食べないでと頼む。栗の実が落ちてきたが、無事だったのは四つ葉のクローバーを持っていたから。幸せの1日の続きを夢見ながら眠る。]
 公園などクローバーの生えている場所に行くと、つい四つ葉のを探すことがある。子供にもらっただけでも、ちょっぴり若い頃に戻れるような気にもなる。押し花には何度もしたのだが、いつだっかも覚えていない。
 小人さんが見つけた幸せの四つ葉のクローバーのように、…自分の気持ちを良い方に変化できる物があれば乗り越えられるかも知れない…先日、病気療養中の友人と話した。
 偽物宗教のカルト集団などは別として、もっと身近で幸せや手助けをくれる「四つ葉のクローバー」を自分で見つければ‥。

孫ん家はしご

2009-09-13 | 平和を
 一泊して階段を下りると孫が横になり、1人テレビに夢中でいる。登校日は遅刻が危ないのに、土日に限って特別の早起きをして目当ての番組を見るためテレビを独占する。
 その朝夕の時間に民放だけでなくNHKまでもが、子供に媚びを売っているようにも思える。無意識だかどうだか、テレビ画面に目を釘付けにしながらいまだに指しゃぶりを卒業できないでいる小3の孫。
 次に起きて来た孫娘はすぐにキッチンに入り、朝食の準備を手伝う。孫たち親子はプロ野球観戦に行く予定、私たちはそれより先に出発にした。短い別れなのに淋しさと温もりを感じて何回も繰り返すバイバーイ、見えなくなるまで手を振り合う。
 稲作農村地帯を走ると、収穫前の稲が1区画全てが倒れ乱れている農地をよく見かけた。風害だろうが稲刈りの大変さが思いやられる。何が起きるかわからない社会、孫たちもどんな環境でも生き抜く人間に育って欲しい。
 今そちらに向かってるからと電話した。孫が受けるのはいつものことで、けっこう上手に話しができる。お出かけするところだけど、おじいちゃんが来るんだったら待ってる。お母さんにも聞かないで勝手な返事。
 用事も済んで家に帰った所にちょうど私たちも到着く、1人っ子の孫からにぎやか過ぎる歓迎を受けた。夕食時まで寝たり起きたり、猫のメルは逃げるし孫には呼びつけにされても気持ちの休まる場所のある幸せ。

水との競争

2009-09-12 | 共に
 島根県の羽須美村で開催される、島根・広島両県SC対抗水泳大会の応援をかねて出かけた。主な目的は孫たちに会うこと。昨日の予報では、夕方頃から雨になるので気温は高めと。
 早朝よりは夜中近くに出発する時、長袖の上着2枚にしたのが正解だった。羽須美に着けば本降りの雨で、重ね着しても寒いのは走った3つの県の差でもある。
 温水プールだが屋外だ。選手たちも応援席もテントの屋根だけ、雨漏り我慢とテントが破れないよう溜まり水の除去は観客の勝手。重ね着をしても寒いのに、ほとんど裸の水着姿でプールで競技し雨に打たれる小中学生男女たち。
 若いってすごいが 雨の下では、やはり寒そうにしている。孫たちのグループは私たちからほぼ正面のプールサイドに位置する。水着姿の時間が長いと風邪をひかないか気になる。
 昼前に上に1枚羽織って孫娘が説明に来た。「寒くないか」聞くと「大丈夫、平気」そのときは言ったが帰ると「外は震えるほどだった。水の中の方が温くかった」終わり近くまで雨は降り寒いままだったスイミングスクール対抗水泳大会。
 ビート板やヘルパーを使い選手仲間の先輩が補助員が見守る初心者から、小学校低学年高学年に中学生とは分かれても他は一緒の試合。リレーや競技によっては50mプールの長さ以上に遅れる選手も。ゴールするまで所属チームだけでなく、あちこちからの大きな声援に地方の暖かさを聞いた。

ごろん、なでて

2009-09-11 | 共に
 夜の散歩は犬の気分に合わせる。行きたそうにしているかどうか。寒く感じるのか最近は引き戸の開いた玄関の外でなく中に入って廊下の布団に丸まって出ないこともある。
 無精な私は、できれば散歩しないで眠りたい。そっと部屋を出て、暗い中を布団で寝ている犬を踏まないよう注意して寝室に行こうとする。あれ犬が居ない?先に玄関の土間に下りて、しっぽを振っている犬が月明かりにぼんやり見える。
 短い距離の散歩で満足してくれるので楽。いろいろ指示して一緒に遊ぶ。ちゃんとできると頭をなでる。もっとほめてとごろんと横になり仰向けになりお腹をなでてと催促する犬との安らぎ。