忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

甦る勘当

2006-03-21 | 共に
 遠い過去親から勘当されたある人についての話を聞いた。当人を知っているわけでもなく、忘れてしまっていた。
 昔そんな話を聞いても落語に出てくる大店の主人が、遊び好きの若旦那を懲らしめ反省させる時に使うことばくらいに思っていた。
 実際に親子の縁を切ったことがあるとは、その噂を聞くまで知らなかった。自分の子供を捨てた理由はなにだったのだろう。
 その後その家庭の『』への差別意識の根強い偏見を知った。原因は別としても人権や差別に対する意識が、意に染まない息子を勘当させたのだろうか。
 別の町だが『』差別が関係した勘当を聞いたことがあった。『』の女性と結婚をするなら勘当すると、実行し縁を切り故郷を取り上げた。
 この件は当人も勘当も知らない頃その兄とよく会う機会があったが、差別を聞いたことはなかった。
 家族の本音はどうなんだろう。現在なら表面的には許されたかもしれないのに。 勘当した子供の家族にも会えないまま、亡くなったとすれば親たちも浮かばれないだろうに。

大いなる西部

2006-03-20 | 平和を
 町に映画館はない。テレビで映画を見ることも滅多にない。ゆっくり見たいが時間もない。この夜も通しては見れなかった。
 過去に見ていると思ったのは、間違いだろうか。他の西部劇での風景かもしれない。だが流れる音楽だけは、確かにこれだと覚えている。
 カラーテレビの無かった頃、もちろんモノクロの西部劇映画をよく見た。シリーズ物があるほど人気もあったのだろう。
 アメリカ開拓時代の西部が舞台。物珍しさで見ていたが、決闘やインディアンとの戦闘など人間が人間を殺すシーンの多さに驚いた。
 居住地を奪われ殺されるアメリカ原住民が悪役で、侵略者といえる白人たちが正義を独占している。時代は変わってもアメリカは変わっていないのか。
 大いなる西部の正義感のある暴力を否定する主人公を見てせめて今のアメリカに彼ほどの心があればと思ってしまう。

タンタンタン

2006-03-19 | 追憶
 昨日は山の方は雪で白くなっていた。山桜が咲き始めたというのに、まだ雪が積もるのだ。そして今朝は霜が降りていた。
 放射冷却の朝だ。太陽が顔を出すと十分な暖かさを感じる。陽の当たる場所で、ナタを使って杭作りをする。かなり久しぶりの作業だ。
 まずナタを砥石で研ぐことから始めなければならない。下に台代りにする短かい角材を置き、杭にする角材を立てナタを振り下ろす。
 トントントン懐かしい音が連続して聞こえる。飛び散る木クズの香りも好きだ。近くでウグイスの鳴き声がする。
 日溜まりでの同じような姿を、遠い昔に見たことを思い出す。道具は違うが祖父母が脱穀をしている。トントントンの音が響く。

体験の共有

2006-03-18 | 平和を
 戦後生まれの世代が、戦争体験者の体験を共有することは不可能である。との文を読んだ。戦後生まれの私だが、現在までずっと『戦争』を共有し引きずって生きている。
 反戦・平和に名を借りて戦争を語り継ぐ文や言葉もあるが、それはあくまで個人の問題で他の人に押しつけるのはよくない。というような部分もあった。
 平和を望むのは人間としても当然のこと。反戦の言葉は苦手でも、戦争はイヤの気持ちは子供の頃から持ち続けている。
 押しつける気はないが、同じ気持ちの人を知ると心強い。戦争の起こらない平和な世の中であって欲しいのは私の期待だ。
 身内から戦争や戦時を聞いている。国内での空襲、侵略地で受けた砲弾による傷、戦死もしている。満州・中国・朝鮮、インドシナまで従軍看護婦でも行っている。
 知人たちからも聞いた。どれもその人一人に限定できる話ではない。だからこそ二度と繰り返さないためにも戦争体験を口にしたのだと受け止めている。

声が出せずに

2006-03-17 | 日々
 病院の売店の前にいる時、通路の向こうから車椅子で知人がこちらに来る。退院してから初めて顔を見た。診察の後、リハビリを受けるためだろうか。
 そばにいる奥さんはわかるが、車椅子を押している人もその後ろの人たちも知らない人だ。誰もこちらに気付かず、通り過ぎる。
 私も声をかけられなかった。奥さんが横の人と話をしていたのと、車椅子の知人の少し上に向けたはっきりしない視線に、呼び掛けることを躊躇してしまった。
 なぜ話をしなかったかと申し訳なく、いまでも苦になる。あの場合知らない風をするのも彼のため、とも思ったのだ。見られたくない姿もあるかもしれない。
 笑いの大好きな彼だった。笑えない感情と環境の長さがいつまでのものか気になるが、今度会ったら声を掛けようと待っている。

イヤでなく

2006-03-16 | 共に
 ガソリンスタンドに入って行くと似たような顔、当人だ。もしかしてここで働いているのだろうか、そうだとよいのだが。勤め先を辞めたと聞いてしばらく経つが、その後初めての出会いにうれしくて声をかける。彼も笑顔でやって来た。
 もう懐かしくも感じてしまう。二人のその後も含めてしばらく話す。他の人から聞いてもいたが、黙るべきところは口にしない。
 自分を後悔しないために選んだ道だろうが、次の仕事もなく順調ではないようだ。でも苦労を笑顔で話しているのをうらやましくも思う。
 家族を大切に思っているが、欲もない。自分の生き方は、たとえ損をしても守るというのか?また会える日には、良い話を聞きたいものだ。

軍歌の世代

2006-03-15 | 平和を
 妻が出かけた夜、風呂に入ろうとしてふと軍歌を歌いたくなった。思えば長年軍歌を歌っていない気がする。
 このところ湯に浸かりながら、日本帝国の戦争の思い出集を読んでいる。一晩に数ページずつだが、後幾日かで一冊を読み終えることができそうだ。
 その本が軍歌を歌いたくさせたのだろう。戦後の生まれだが、軍歌の世代に育ったと言ってもよい。よく聞きよく歌った時代がある。
 だけど勇ましく元気には歌えない。どこか寂しげになってしまう。私の好きな軍歌の多くが、戦時中には歌うことを禁止されていたようだ。
 祖国や家族や戦友たちのことを、思いやることさえ監視され処罰される日々が長く続いた。戦争に敗れて貧しいけれど平和を喜べる時代となり、やっと封印されていた歌も歌えることになったのだ。
 風呂で何曲か歌った。途中忘れている部分もある。軍歌を忘れる国、無い国でよい。新しい軍歌の育たない国であって欲しいことを願う。

昼寝を希望

2006-03-14 | 日々
 小雨の天候でもあり、用事を頼まれ助手として家をでる。済ませて帰ると「今日はあとこれをしたら休んでいいから」と優しいことばがうれしかった。
 今日は朝から、できれば少し疲れをとっておきたいと思ってもいた。「毛布でも掛けていないと風邪ひくよ」とまで言ってくれる。
 まずは少しでも眠れたらと布団に入った。いつもと同じで昼間は眠れず、諦めて片付けなどし一休みと座りテレビを点けた。
 数分後、それを見つかりお小言をもらう。先程との矛盾に優しさはどこへと、返す言葉もない。それからは用事をするのに時間もかかり、休みどころではなく日が暮れた。
 夜はいつもよりかなり早めに床に就くが、眠れない夜の繰り返しになるだけ。暖かくなれば、ぐっすり眠れる夜が来るだろうと心待ちしている。

商店街を通る

2006-03-13 | 追憶
 アーケードもあり閉じた店が増えたが、商店街の名前が変とは思わない。休日でもあり人も少し多めだが、普段の人通りの少なさには淋しくなる。
 町の数ヶ所の通りは、もう商店街とも呼ばなくなった。昔は頻繁にバスの通っていた商店街もあった。近隣からも客がたくさんやって来る活気溢れる町だった。
 その賑やかな町へ、子供の頃は家族に連れられ歩いて行った。大きくなるとバスにも乗ることがあった。
 舗装をしていない道路を、満員の客を乗せて走る。緊張している人楽しそうな人様々だ。商店街に入ると、両側の家々の軒を引っ掛けそうになる。
 年に何度も行ける町ではなかったが、大都会を想像させる大勢の人が集まる町だった。もっともテレビさえなく大都会など知りもしなかった頃。
 一方通行や車輌通行禁止に駐車場の数と買い物にも不便なこともあり、つい郊外の大型店や別の町まで出かけてしまう。
 店に入りやすい商店街になれば、もっと利用したいと買い物をして思った。今でも好きないい町だから。

菜の花川

2006-03-12 | 日々
 特に余分なことをしてもいないが、最近のんびりした気分とは遠ざかっている。夜が睡眠不足のわりに、目覚めている間は少々興奮気味?が続いている。
 春の訪れを感じるようになったはずなのに、感覚を認めていない。気持ちの上でも、早く春を感じたい。
 あちこちで鮮やかな明るい花が咲き始めた。数日前には、満開の大きい桜も見た。菜の花も時季が長く、よく見かける。
 雪の中から顔を出す黄色の花に寒さを感じたりしたが、もう川の流れの中で咲いていても、水の温度が気にならない。
 暖かい季節が好き。ぐっすり睡眠も取れるようになれば、ゆっくりした時間でのんびりと自然の変化を楽しめると待っている。