NHK紅白で「千の風になって」を聞いていてお墓の話になった。この歌のヒットもあり、墓を持たない人が増えてきたとか。
「私はお墓に入らない」と一方の娘。夫婦で理解はまだのようだ。父親の私も若い頃にはお墓は要らないと考えていた。
でも母が墓を作ると決めたのを、強く反対まではしなかった。どうせ生きている人のためにある形にすぎない。
死は当人には無で、そこまでの過程の方が大事。それからはその後を生きる人の想い出になるものが、あるかどうかだ。
「お墓に入っても、後を見てくれる人がいるとは限らない」のも娘の理由の1つ。子孫の血縁や信仰はどうなるかは不明。
でも先祖に繋がる形ではある。自分以外の人の意識を拒否はしない。私は会えなくなった人たちの事をよく思う。時には墓にも手を合わす。
裏の農地には他家の江戸時代の墓が並ぶ。きれいに掃除し拝み、無関心ではいない。自分については子供たちにも頼む。
「葬儀やお墓はどうでもいい。ただ(死ねば直ぐ)献体の会への連絡だけは実行を‥」忘れないように今年から、会報【しらぎく】を本の部屋のよくわかる所に置くようにした。
「私はお墓に入らない」と一方の娘。夫婦で理解はまだのようだ。父親の私も若い頃にはお墓は要らないと考えていた。
でも母が墓を作ると決めたのを、強く反対まではしなかった。どうせ生きている人のためにある形にすぎない。
死は当人には無で、そこまでの過程の方が大事。それからはその後を生きる人の想い出になるものが、あるかどうかだ。
「お墓に入っても、後を見てくれる人がいるとは限らない」のも娘の理由の1つ。子孫の血縁や信仰はどうなるかは不明。
でも先祖に繋がる形ではある。自分以外の人の意識を拒否はしない。私は会えなくなった人たちの事をよく思う。時には墓にも手を合わす。
裏の農地には他家の江戸時代の墓が並ぶ。きれいに掃除し拝み、無関心ではいない。自分については子供たちにも頼む。
「葬儀やお墓はどうでもいい。ただ(死ねば直ぐ)献体の会への連絡だけは実行を‥」忘れないように今年から、会報【しらぎく】を本の部屋のよくわかる所に置くようにした。