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Ma Vie Quotidienne

一歳に二度も来ぬ春なればいとなく今日は花をこそ見れ

宗谷本線で小旅行 ② 塩狩

2015-07-25 22:15:45 | Travel
さて、塩狩到着しました。



のどかなところです・・・。

駅のすぐそばに今夜の宿があります。

塩狩ヒュッテユースホステル。
塩狩がある和寒町出身のご主人は、大阪でお過ごしだったんですが、
ご家族とともに和寒町にUターンされ、
ご自身も参加されて建てられた丸太小屋にて
2013年からこの宿をオープンされたそうです。


各部屋には野菜の名前が・・・。


この2段ベッドも手作りだそうです。
相部屋でもう一人の方がすでに下のほうに陣取っておられたんで
わたしは必然的に上のほうへ

晩ごはんまで30分ぐらいあるので軽く散策いきますか

おもな見どころは駅周辺にギュッと凝縮されてます


まずは、駅とユースホルテルの間ぐらいにあるココから。

側面には「天塩国と石狩国の国境 二七四米」と書いてあります。
戊辰戦争(箱館戦争)終結直後に、
蝦夷の地も、大宝律令の国郡里制を踏襲した形で11の国に区分され、
そのなかの天塩国と石狩国の境界がこの塩狩峠だったのだそうです。

今年は、小樽の龍宮神社のお祭りや、函館旅行を通じて、そしてここ塩狩でも、
なにかと北海道の歴史に触れる機会が多いですな・・・。
20年以上も住んでいるのに今まで全く知ろうともしなかった・・・

ここは三浦綾子さんの有名な小説「塩狩峠」の舞台でもあります。
塩狩に泊まることに決めてから「塩狩峠」を読みました。
主人公のモデルとなった方の慰霊碑がありました。

長野政雄さんという方が、
峠を暴走する列車を身を挺して停車させ、多くの人の命を救ったのだそうです。

長野さんと同じ旭川の教会に通っていた三浦綾子さんがこのお話を知り、
小説の書かれたとのことです。

そんなつながりから、ここ塩狩には、
旭川にあった三浦綾子さんの旧宅を復元した「塩狩峠記念館」と、
三浦綾子さんやご主人が詠んだ歌の碑がある「歌碑の森」があります。


ウッドチップが敷かれ、小さな歌碑が点在するかわいい森です。






森の中にたたずむ「三浦綾子旧宅」。

駄菓子屋さんだったみたいで、それもそっくりに復元されています。
通常は16時ぐらいまでしか見学できないんですが、
希望すればユースホステルのご主人が案内してくださるということで、
夕食後に見学させていただきました。
小説「氷点」執筆の部屋や、小説・映画「塩狩峠」に関する資料などの展示、
三浦夫妻の生活用品等の展示のほか、
三浦綾子さんの肉声の朗読をCDで聞くことができたりと、
けっこう楽しめました。
「塩狩峠」読んでから来てよかったー

「歌碑の森」を出て、
さっき駅の近くに何やら気になる物体があったので行ってみることに。

あれ。いったいなんでしょう・・・。


ほほう・・・。
あとで調べたら、塩狩峠は昔から桜の名所として知られているそうです。
5月中旬には約1,600本のエゾヤマ桜が峠一面をおおい、
『塩狩峠さくらノロッコ号』が運行され、お花見ツアー客が多く訪れるとか。
ぜーんぜん知らなかったー!

さて、周辺散策終了し、晩ごはんの時間です。



野菜中心のヘルシー晩ごはん。
おいしかったー

ここではじめて同室の方とご対面
名古屋から1週間ほどの北海道旅行にいらした方で、
礼文島で知る人ぞ知るユースホステル桃岩荘に3泊、
三浦綾子さんがお好きということで塩狩に2泊で
「北海道フリーきっぷ」というのを使って旭川まで行って
旭山動物園や三浦綾子文学館などみてきたそうです。

いま初めて会った方といろんな話しながらご飯を食べるっていうのも
ユースホステルならではです。
っていうか、
わたしよりも多分年上の女性なんですが、
礼文の桃岩荘に3泊ってすごいなー。
なんていうか、大学のサークルみたいなノリのユースなんですよね・・・。
わたしはたぶん・・・できないかも
逆に昔のユースホステルを知っている人だからこそ泊まれるのかも

お食事のあと私は塩狩峠記念館へ。
20時過ぎに戻ってきたら部屋は真っ暗で彼女はもう寝てましたんで、
静かに2段ベッドの上段でお風呂に行く準備をして、
お風呂から戻って真っ暗な中、自前のライトつけて静かに明日の準備をして、
静かにストレッチ。
2段ベッドの上なんで、あんまり十分にストレッチできなかった
マラソン前日に相部屋っていうのはダメね・・・と反省して寝ました

それでもぐっすりと眠って、ウグイスの鳴き声で覚醒。
また静かにお支度してたら、同室の方も起きられたので、
またいろいろ話しながらストレッチング。
朝ごはんは時間的に無理だったんでいただかずにセルフのコーヒーをいただいて、
同室の彼女とユースのご主人にごあいさつしてユースホステルをあとにしました。
短い滞在でしたが、なんだか刺激的というか、
いろいろな意味でいつもと違った体験した気がします。
おもしろい巡りあわせでした、塩狩


ということで、
始発の下り列車にてハーフマラソン開催の士別に向かいました。

つづく。



宗谷本線で小旅行 ① 旭川から塩狩へ

2015-07-25 18:24:08 | Travel
この週末は、ハーフマラソン出走のため、旭川の北にある士別市というところに向かいました。
土曜日、半日仕事をしてからまずは旭川へ。
さらに北に行く宗谷本線への乗り継ぎに少し時間があったので、
駅周辺を散策してみました。


ガラス張りでかっこいい旭川駅。


昨年まで工事中だった駅前の広場もすっかり完成し、
ビアガーデン開催中です。
帰りに1杯飲みに来ようかなあ

内部は木目調の落ち着いた雰囲気でこれまた素敵です。

駅直結のイオンモールも完成し、賑わっていました。

旭川駅で私のお気に入りはここ。

繁華街と反対側、南口にある北彩都ガーデン 。
すぐそこに忠別川が流れ、
晴れていればはるか向こうに大雪の山々を見ることができます。
この日は曇りでとっても残念

近代的な外観と、自然と調和した内装がステキな旭川駅。
乗車案内なんかも電光掲示板で、とっても近代的です。


が、乗り込む列車はこんな感じ

このギャップが北海道らしい!?


さて、それでは宗谷本線、快速なよろに乗りまして北に向かいます。
この日の目的地は、士別の少し手前、塩狩です。

宗谷本線に乗ったのは20年ぐらい前に夜行で稚内行った時以来
夜行だったんで真っ暗で車窓からの景色は全く記憶にないのですが、
今回は、緑、ただひたすら草木の緑の中を北へ向かうこと約40分。

塩狩到着。


なんかもう北海道って感じです。
東北の田舎の駅とはまたちょっと違うんだよなー

さて、今宵の宿は駅のすぐ目の前です。

つづく。





道南遠征 ⑨ アフターは・・・

2015-06-28 14:06:53 | Travel
函館ハーフマラソンは8時スタートで10時前にはもう終了。
温泉入ってサッパリしましょうかねーと、市電にて湯の川温泉へ。


電停そばには足湯があります

午前中から日帰り入浴やっているところは2軒しかなくて、
電停から最寄りのこちらにて。

お風呂は地元のお母さんたちでにぎわってました。

さてー帰る前にお昼ごはん食べましょう。
また雨脚が強くなって肌寒くなってきたし、
せっかくだから函館の塩ラーメン食べようかなー。


電車にて駅前まで行って、
何軒か行ってみましたが雨の中どこも行列
もうめんどくさくなって、また電車に乗ってベイエリアへ。

結局こちらに落ち着きました

はこだてビール。
ビールが美味い天候ではなかったんですけどね


仕込み釜を眺めながら・・・


テイスティングセットをいただきました。
左から、
五陵の星(ヴァイツェン)、明治館(アルト)、北の一歩(エール)、北の夜景(ケルシュ)。
全体的に薄い感じですね・・・。
さらっと飲むにはいい感じ。
ヴァイツェンが華やかでフルーティでおいしかった!

お料理は、なんかテキトウに

いかしゅうまい。


いかめし。

で、終了。

さて、おなかも満たされたし、
雨の中歩くのはもう疲れちゃったので、
さっさと札幌に戻りましょうか。


帰りはJRで4時間弱の旅。

すごい満喫しました函館。
ありがとう、また来ます

おわり。



道南遠征 ⑦ 函館散策、五稜郭エリア編

2015-06-27 20:01:46 | Travel
しばし宿にてのんびりしまして4時ぐらいに五稜郭方面へ出かけました。
五稜郭近くの千代台陸上競技場にてマラソンの受付が18時からとなっていたので
かるく五稜郭みてから行こうかなと

そのまえにおやつタイム

函館のご当地バーガー店、ラッキーピエロ。


チャイニーズ・バーガー(鶏のから揚げのハンバーガー)を
セットでいただきました。

おなかいっぱいで五稜郭へ。

五稜郭は箱館開港時に函館山の麓に置かれた箱館奉行所の移転先として築造されました。
しかし、1866年(慶応2年)の完成からわずか2年後に幕府が崩壊。
短期間箱館府が使用した後、箱館戦争で旧幕府軍に占領され、その本拠となりました。
明治に入ると郭内の建物は1棟を除いて解体され、陸軍の練兵場として使用されましたが
その後、1914年(大正3年)から五稜郭公園として一般開放されました。
(以上、ウィキペディアより)





解体された函館奉行所の復元のための発掘調査が1983年から始められ、
さまざまな手続きを経て復元計画が進められ、
2006年着工、そしてついに2010年に完成。



つい最近じゃないですか。
全然知らなかった

建物の中は、
ペリー来航による函館開港から戊辰戦争の歴史、
そしてこの函館奉行所の復元計画や工事に関する資料館となっています。







あー予定より時間かけてじっくりみちゃいました
でもすごく面白かった。
北海道に住んでるのに、こういうの全然いままで勉強してなかったからねー


五稜郭を一望できる五稜郭タワー。


ということで、
ここからはマラソンモード

陸上競技場にて受付を。




金曜日に札幌を出るときには
レース当日日曜日の最高気温予想が20度だったんで、
夏だし、短パンランシャツでいっか!と、短いウエアしか持ってこなかったんですが、
この日も気温低かったし、翌日の予報は雨、最高気温15度と
ヤバイ・・・
体冷やしてどこか怪我でもしたらこれまでの練習の日々が台無しになる・・・・
仕方なくランニングタイツなど購入することにしました
マラソン受付でスタッフにスポーツ店の場所をきいて、
てくてく歩き、お買いもの1時間、そのあとまた電停までてくてく歩き、
ホテル近くのコンビニで明日の朝食を買って、
晩ごはんに行こうと思ってたホテル近くのラーメン屋さんに行ったら
スープが無くなり閉店と
またコンビニまで戻って晩ごはんのお弁当を買ってやっとホテルに戻ったのは20時半過ぎ
予定よりも1時間半遅れです・・・

ああ、脚がだいぶ疲れている・・・大丈夫かな明日・・・・と不安を抱えつつも、
「月曜から夜更かし」のスペシャルを見て、あははと笑いながら
ストレッチして寝ました。


つづく。








道南遠征 ⑥ 函館散策、谷地頭エリア編

2015-06-27 14:45:01 | Travel
さて、雨の函館散策、谷地頭方面に向かいます。

途中で、護国神社に寄ってみました。

江戸後期に函館の発展に貢献した高田屋嘉兵衛の像。


神社までの坂とドンヨリ雲がかかった函館山。





ここには幕末の戊辰戦争で命を落とした新政府軍の兵士の墓地があります。




さて、またまた電車に乗りまして、終点谷地頭へ。

ここもブラタモリで紹介されてましたね・・・


車止め

さて、函館八幡宮に参りましょう。






ここから山のほうにしばらく歩いていくと、
今度は戊辰戦争で亡くなった旧幕府軍の兵士のお墓があります。



碧血碑。
戊辰戦争が終わってしばらくは、
旧幕府軍の兵士は弔わなくてもいいと言うことで
遺体なんかもしばらく野晒しになってたみたいですが、
柳川熊吉という任侠人の尽力によりここに弔うことになりました。
負けたものたちはこんな山の中じゃないと弔ってもらえなかったんですね・・・


碑の後ろには、
この碑を建てるのは容易ではなかったという趣旨の漢字が書かれているそうです。


その柳川熊吉の碑も近くにあります。

さらに先に進みますと墓地が広がり、
その一角に石川啄木のお墓があります。



啄木は岩手県出身で東京で亡くなりましたが、
函館、小樽、札幌、釧路と北海道を放浪した時期があり、
生前から「死ぬときは函館で死にたい」と言っていたそうで、
ここにお墓が立てられました。

実はわたくし、啄木と生まれ故郷が同じでしてね・・・


啄木のお墓からは函館山、津軽海峡、そして函館の街が一望できます。

すぐ先には立待岬があります。




さてー、だいぶ歩きました。
もうお昼なのでランチにしましょう!と狙っていたお店へ。

同楽舎さん。
おばあちゃんと娘さんでやっている、担担麺のみ提供するお店。
こちらも札幌の馴染みのお店で教えてもらって
今回の旅のマストアイテムでございました


しみじみとした旨みのある担担麺。
程よい辛さでお味が優しいのでスープまで完食しました
辛いの苦手な人には辛みぬきも作れるみたいです。
すごい美味しかった。
ごちそうさまでした

もう一つ、谷地頭ではここに寄ろうと思っていました。

谷地頭温泉。
雨の中、結構歩いてしまったので、
ここでのんびりお風呂に入っていきましょう

出たり入ったりストレッチしたり地元のおばさんと話したりしながら
ゆっくり過ごし、
休憩所の畳の上で人目もはばからずストレッチング
そして、

マッサージチェアまで

あー気持ちよかった!

さて、電車に乗っていったん宿に戻り、また少し体を休めてから、
今度は五稜郭方面を見に行きます。

つづく。





道南遠征 ⑤ 函館散策 元町エリア編

2015-06-27 11:55:25 | Travel
土曜日は予報通りの雨。
せっかく20年ぶりくらいに函館に来たのでまち歩きも楽しみにしていたのに
まあぐちぐち言っても仕方ないので、
まずは朝食べに行きましょう


函館朝市。


お天気悪いせいか、まだ朝6時前だからか、人少ないですね・・・。


イカ刺しもいいけど・・・

まあ今回は観光客いっぱいのこちらで。

私が入った時はまだ空いてましたが、
6時過ぎたころからすごい混んできました


元祖巴(ともえ)丼。
うにがグダグダです
税込1820円・・・観光客プライスで

さて雨降りですが、
午前中のうちにまち歩きをしちゃって、午後はゆっくり脚を休める作戦です

まずはベイエリアへ。


古いアーチ橋、七財橋を渡って、金森赤レンガ倉庫群へ。


朝早すぎてどこも開いてないのでスルー

古い木造とレンガの建物が立ち並ぶ町並みを眺めながら・・・


函館名物、坂を上り下りしてみましょうか



八幡坂。
上ってみますか!

上から坂を見下ろすと・・・

青函連絡船最後の日まで運行していた摩周丸が見えます。
この画、よくテレビ番組なんかでも使われますよね
つい先日も「ブラタモリ」で、坂好きのタモリさんがここに来てました

坂の上には教会群。



ハリストス正教会は工事中でした。
時間が早くて中には入れず


元町カトリック教会


チャチャ登り。
教会周辺の石畳の坂は風情がありますね・・・。

教会ばかりではなくお寺も。




東本願寺函館別院。
なんか不思議な建物だなーと思ったら、コンクリート製なんです。
函館は大火が多い町だったので防火のためにコンクリートにしたそうです。
和風建築の細部を鉄筋コンクリート造で表現した寺院建築としては日本最古のもので、
建築史上価値が高く、国の重要文化財にも指定されているのだそうです。


二十軒坂を下りると・・・


日本最古のコンクリート製の現役電柱。
円柱ではなく四角いのがおもしろい。

地図に西本願寺の別院も記してあるので、ちょっとわざわざ行ってみた



大きな親鸞像ですね・・・。

北海道って浄土真宗強いですよね、なんとなく。
なんか歴史的に意味合いがあるのかしら・・・。

さて、結構歩きましたのでひと休み。
歩いている途中に素敵なカフェとかあって入ってみたかったんですが、
みなさん10時開店で、
まだ9時にもなってなかったんで・・・・

スタバにてコーヒータイム。

あんまり歩きすぎないように電車もこまめに乗りながら散策再開。


おや、

これは先日の「ブラタモリ」でも紹介されていた「相馬株式会社社屋」ですね・・・。
幕末から明治・大正にかけて財を成し函館の発展に貢献した豪商相馬哲平氏の会社です。


基坂を上って元町公園に行きましょう。


途中にはイギリス旧領事館。


元町公園到着。公園内には2つの歴史的建築物があります。


旧北海道庁函館支庁庁舎。


そして旧函館区公会堂。国の重要文化財です。
大火事で町の集会所が無くなったのを受けて
相馬哲平の寄付により明治43年に立てられ、
大正天皇や昭和天皇が皇太子時代に宿舎として使用されたりしたそうです。


当時の家具なんかが展示してあります。


大広間では現在でもミニコンサートが行われたりしているそうです。


大広間のバルコニーからの眺め。


相馬哲平さん、すごい人だったのですね・・・。

旧公会堂近くには、相馬哲平さんのお住まいたっだ建物も。

旧相馬邸。
ブラタモリで紹介されましたって張り紙してありました


日和坂。
ここもタモさん歩いてた

さてだいぶ歩きました、元町エリア。

お次は谷地頭方面に向かいます。

つづく。




道南遠征 ③ 震災学習と奥尻の風景

2015-06-26 20:59:27 | Travel
青苗地区の公園をあとにしまして、青苗漁港へ。


かさ上げされた道路から港のほうに下りていってみましょう。


あ!

あれが「望海橋」、人工地盤(緊急避難用高台)ですね・・・。


港は海抜2mやそこらですから・・・


津波が来たときにすぐに一つ上の高台に逃げられるようになっているんですね。

階段で人工地盤の上に行ってみると・・・

結構もう寂れた感じでしたが・・・

ひとつ上の高さにある道路とつながっていました。



その道路の高さは海抜6m。

そのもう少し先は・・・、

海抜8m。
高台になっているところは海抜12~3mでしょうか・・・。
階段が付いて避難路になっているので上ってみましょう。


あっ、階段じゃなくてスロープだった。
お年寄りとかって階段よりスロープのほうがいいのかな・・・


一番上は宅地です。


高台から海を眺める・・・。

三陸でも、かさ上げして、
こんな風に階層がある町並みになるんだろうなーなんて思いながら・・・。

さて、また道路に戻りまして、青苗の商店街を北に向かって歩きます。
奥尻の町内バスは、路線上ではどこでも乗ることができるシステムなので、
うしろを振り返ってバスが来るのを待ちながら、のんびり歩き


町は翌日の奥尻ムーンライトマラソン歓迎ムード一色です。

ほどなくしてバスが来ましたので乗車し、フェリーターミナルに向かいます。


奥尻のシンボル、なべつる岩も車窓から見ることができました


ということで、フェリーターミナル到着。



南西沖地震の時この辺りは、
津波の被害よりもあの山の土砂崩れで多くの人が無くなったとのことでした。

津波館で、この辺りにも慰霊碑があると聞いていたので、
探してウロウロ歩くと、
ガソリンスタンドの北側に発見しました。

亡くなられた方の名前が刻まれていたのですが、
札幌とか旭川とかから旅行に来ていた方が多かったです。

さて、フェリーターミナルに戻りまして、
ひと休み。
正午に飛行機で到着して、お昼も食べずに歩いたので
なんか食べようかなと思ったんですが、
思いのほかフェリーターミナルには食堂とかなくて

仕方がないので売店でおみやげ買ったついでに、
ビールと、奥尻特産のアワビが入ったかまぼこをゲットし食す



北海道本島からのフェリーが入港してきました。

下船してきたお客さんを、奥尻のゆるキャラ「うにまる」がお出迎え。


めんこい
毎日毎回お出迎えしてるのかな、
翌日ムーンライトマラソンだから出てきたのかな・・・?

さて、本島に戻る時間です。
フェリーに乗り込みましょう。

うにまるくんはお見送りもしてくれるのですね。

ではでは、たった4時間の滞在でしたが、
奥尻島、ありがとうございました。
たくさん学びました。



またねー

さて、本島の江差ターミナルまで約2時間の船の旅。
半分ぐらい爆睡、残りは函館観光の予定を立てたり・・・


見えてきました、江差。


戊辰戦争の時に、このあたりで旧幕府軍の船が沈んだということで、
その復元船があります。

はい到着!



ありがとう、定時運行に感謝!

というのも、
江差からの函館行きのバスの最終便まで乗り継ぎ時間が7分しかなくて、
この旅の唯一の不安ポイントだったんですが、
フェリー下船時もバスに乗り換えの人は優先的に下りれるように配慮してくれたりして
よかったです。

ということで、

18時15分江差港到着で、18時22分発の函館行きバスに乗り込みひと安心

お天気に恵まれ、安全な空と海の旅、
そしてゆるーりとした島の雰囲気と22年前の震災の記憶に触れて、
短時間ながらとても良い滞在でした。
今度はぜひ、特産のウニやアワビを堪能したいなー

そしてまたまた爆睡で函館へ。

つづく。

道南遠征 ② 奥尻にて震災学習

2015-06-26 20:46:05 | Travel
奥尻の青苗地区に到着しました。
22年前の北海道南西沖地震で津波の被害が一番多かった地区です。


当時この灯台も傾いてましたね・・・。

当時多くの人が住んでいたエリアは震災記念公園になっています。


その真ん中にある、奥尻島津波館。

まずはここで震災学習です。

入館料を払うときに自分で自由に見学するか説明つきにするかと聞かれたので、
せっかくだから説明つきでお願いしました。

まずはエントランスホールにある、青苗地区の震災前後の航空写真から。


漁港近くは海抜が0~1mだったにもかかわらず、
多くの民家や番屋が密集していました。


島の北部で起こった地震により3分後には北岸地区に津波が到達、
津波は島を伝って南へ向かい、
周囲の海底地形の影響をうけて地震から5分後には島南部をえぐるように飲み込み、
北海道本島にぶつかって戻ってきた波や第2波、第3波にも飲まれ、
合計7回の波に襲われたそうです。


震災後、青苗地区には民家は立てられないこととなり、
町が土地を買い上げて盛土をして公園とし、
民家は6mの盛土をして移転されました。


そして館内メインホールへ。

地震や津波を表現するアーティスティックなモニュメントと、
48個の立体模型による奥尻島の歴史と震災の再現、
当時の写真などにより構成されています。


震災で亡くなった奥尻島民198名の鎮魂のための「198のひかり」


振動を表すモニュメント。


立体模型による再現。

津波の襲来。


1週間後には仮設住宅の設置工事が始まったのですって。
びっくり!


全て波に奪われた青苗地区はかさ上げと公園を作る工事がはじまりました。
などなど・・・・。


そして写真展示。

傾いた青苗灯台。


奥尻のシンボル、なべつる岩付近。

職員さんの説明はすごくわかりやすく、
当時のご自身の体験も交えながら話してくださったりして、
たいへんためになりました。

そのあと地下の映像ルームで10分ぐらいのビデオを見せていただくのですが、
準備の間に、奥尻で見つかった縄文土器などの展示を見ることができます。


ビデオ含めてざっくり40~45分でしょうか。
わたしは一人でじっくり説明書きや子供たちの詩なんかを読むために
もう一回りしたのでもうちょっとかかりました。

津波館をあとにして、正面にある鎮魂慰霊碑「時空翔」へ。

青苗地区を襲った津波の高さと同じ13mの高さになっているそうです。

階段を上るとモニュメントがあります。

震災があった7月12日には毎年、
夕陽が真ん中のくぼみに入って落ちていくように設計してあるそうです。



時空翔の丘からみた奥尻の海。



さて、公園内を歩いて島の南端に行ってみましょう。


なだらかに海に向かって下って行きます。
これくらいかさ上げしているってことですね・・・・。


公園には遊具もあったりしますが、ひっそりとしています。
まあ平日(金曜)のお昼っていうのもありますが、
人口が激減しているので公園で遊ぶ世代が少ないっていうのもあると思います。


島の南端にある徳洋記念碑。
1880(明治13)年、
当時のイギリス東洋艦隊旗艦が函館から小樽へ向かう途中に青苗沖で座礁した際、
訓練のため乗艦していた有栖川宮様が先頭に立って救助を行ったのを記念して、
1931(昭和6)年に建立。
これは津波に耐えて残ったんですって。
皇族絡みだから頑丈に作られていたんでしょうね・・・。


島南端から日本海を望む・・・。


島南端から津波館方向を望む・・・・。

さて、それでは漁港方面に向かって少し歩いていきましょうか。


堤防は9mだか10mだかにしたっていってました・・・。


青苗漁港。

ここからも震災について考えながら奥尻の町並みをみて歩きます。

つづく。







道南遠征 ① 奥尻へ・・・

2015-06-26 13:52:31 | Travel
奥尻に行ってみたいと思って2年、ようやく行くことができます

まずは丘珠空港からプロペラ機で函館へ。





函館空港、中を散策したくて乗り継ぎに1時間半余裕を持たせました


ソフトクリーム食べたり・・・


アイヌの展示観たり・・・

で、いよいよ奥尻へ。



プロペラ機で30分の旅です。


函館の街。
函館山は雲の中・・・

ほどなく、見えてきました奥尻島


はい到着!



うにまるくんがお出迎え。


町内バスにて青苗地区の津波館に向かいます。


つづく。


道南へ

2015-06-26 10:20:48 | Travel
この週末は函館ハーフマラソンを走ります。

函館はいつも東北に行くときに通過するんですが、
なかなか街を歩くことがなくて、
たぶんこれ、20年ぶりくらいです(汗)

いつも9月開催だった同マラソンが今年からこの時期になり、
ならば走るか!と(笑)

それだけなら土日の旅でよかったんですが、
今回、欲張って(悪いクセ)、金曜日有休取りまして、
奥尻島にも行くことにしました。

2年前に北海道南西沖地震から20年ということで、
津波被害にあった奥尻島に行って「その後」をみて歩きたいと思ってましたが、
アクセスが結構難しくなかなか実現しませんでした(汗)
今回函館へのアクセスを検討しているときに、
函館-奥尻の航空便があることを思いだしまして、
突如ひらめきました。
半日しかいられないんで短い滞在ですが、
ようやく奥尻行けます。
お天気も金曜日はなんとか持ちそうなので、
飛行機もフェリーも運航支障なしと思われます。


さてマラソンですが、
6月レースサーキットの最終戦なのでビシッと決めたいんですが、
ここに来て仕事がバタバタと忙しく残業の毎日(疲)
晩御飯もちゃんと食べられなかったり、
湯船に浸かる時間もなく、ストレッチも不十分だったりで、
ひどい調整となりました(涙)
現在腰痛・坐骨神経痛が結構ひどい状態です(苦)

はじめての奥尻、久々の函館ということで、
あちこち歩いてしまいそうですが、
気持ちをコントロールして、
できるだけ良い状態で出走したいと思います。