現代は情報の量が飛躍的に拡大している時代であり、技術の進化によって、情報量の拡大は続ける一方である。
しかし、その質の面が進化するには、技術ではなくて「社会の制度の進化」が、伴わなければならない。
組織のリーダーは、この錯綜した情報のなかで、重要な判断をする責任があるが、末端の仕事の指示ができるはずはないから、その現場に近い責任者にまかせる。 すべての件の結果を把握できていることは不可能だから一方通行になる。
それゆえに、巨大な官僚組織のなかでは、上司の判断がどのような意向で左右されるか、常に気を使って、上ばかり見ながら仕事進めている。
今回の森友学園問題は、末端の近畿財務局の官僚が、国有地の払い下げを実施するにあたって、【特別の忖度をして格安に実施した】ことが発端である。
官僚機構のトップは、総理大臣であり、その意向が反映されることが確かであって、手続き上は法律の範囲でも、トップの意向が忖度されている。
これを、安倍総理は、問い合わせに対する「役所の回答内容」だけの文面で、【官僚の忖度はない、「ゼロ回答である」】と強弁している。
これには、野党も、マスメディアも、疑問だらけであるから、国民の信用は得られない状態だ。
総理大臣の意向が忖度されるのは当然の話であり、その判断を自分の責任外であるという方が、トップの意識が薄すぎる。
仕事が動くのは、組織で働く人の忖度で動くのである。
その忖度の基準が、上司の命令と、組織の規則による決定プロセスであるが、その範囲を超える判断は、末端の組織で働く人の意識に頼るしかない。
中国のような後進国の組織では、上司の命令だけで【規則が曖昧】であれば、末端の役人や企業人は、自分の利益になるかどうか、で判断する。
上司の意向やトップの方針など、判断の意識からは抜け落ちているから、自分の利権の範囲での最大の利益、つまり、【賄賂が取れるかの忖度】で判断する。
しかし、情報の量が発展して、秘密のできる状態が減るにつれて、「賄賂のリスクが付きまとう事態を避ける」ために、「上司の意向に添えるかの忖度」に変わる。
日本の官庁や大企業の仕事は、上司の意向、つまり、最高権力者の意向を汲み取る「忖度の実行」によって、仕事が進むのである。
組織を効率的に動かすには、命令系統はもちろん、組織の規則の充実を図った上で、『トップの意向が全組織の人に明確に伝わる』ように徹底する必要がある。
命令がおざなりで、トップの意向が表明もなく曖昧では、実務者の判断に忖度を入れることができず、つまり、わかるまでは仕事を遅らせる。
「森友学園問題は、首相夫人が名誉校長になった段階から、あらゆる手法を使っても、早期に建設が進み、認可が降りる方向に忖度して、突進したのである。(続)