
坪内寿夫(つぼうち ひさお、1914年9月4日 - 1999年12月28日)氏は愛媛県松前町生まれの実業家です。倒産寸前の企業を数多く再建させた手腕から、一時はマスコミによって「再建王」、また船舶・造船・ドック会社を多数抱えたことから「船舶王」、四国を中心としたグループ形態から「四国の大将」とも称されました。私は、この方の裏話を数多く存じ上げていますので、その一端をご紹介します。ご紹介しながら、経営の重要ポイントを皆様と共に考えてみます。
愛媛県松山市と言えば道後温泉が有名ですが、1960年代は、別府温泉に押されて、全国からの集客力がかなり落ち込んでいました。そこで、坪内さんが考えたのが、愛媛県を舞台にしたテレビドラマです。1966年、大洲市を舞台にした「おはなはん」をNHKの朝の連続ドラマで放映しました。もちろん、坪内さんはマスコミ関係者ではありませんが、放映への仕掛けを組み、働きかけることによって実現化したのです。おかげで、放映後は、一気に道後温泉の集客力が上がりました。
本来、原作は、徳島県を舞台にしていますが、作家の方と愛媛県を回り、作品に似合う雰囲気の町として、大洲市が選ばれました。坪内さんは、会社の宣伝法としては、映画やテレビあるいは本の題材に使われることが分かりやすいと考え、日ごろから、全国の作家と懇意なお付き合いをしていました。作家の方しかプレイできないゴルフ場を造るなど、作家の方とのおつきあいは並大抵ではなかったようです。その日ごろの交流があるがために、愛媛に朝の連ドラの舞台を引っ張ってきたわけです。
この壮大な広報戦略は、見事というしかありません。現代ならまだしも、数十年前にこのことを着想し、実現化したわけですからさすがです。
愛媛県松山市と言えば道後温泉が有名ですが、1960年代は、別府温泉に押されて、全国からの集客力がかなり落ち込んでいました。そこで、坪内さんが考えたのが、愛媛県を舞台にしたテレビドラマです。1966年、大洲市を舞台にした「おはなはん」をNHKの朝の連続ドラマで放映しました。もちろん、坪内さんはマスコミ関係者ではありませんが、放映への仕掛けを組み、働きかけることによって実現化したのです。おかげで、放映後は、一気に道後温泉の集客力が上がりました。
本来、原作は、徳島県を舞台にしていますが、作家の方と愛媛県を回り、作品に似合う雰囲気の町として、大洲市が選ばれました。坪内さんは、会社の宣伝法としては、映画やテレビあるいは本の題材に使われることが分かりやすいと考え、日ごろから、全国の作家と懇意なお付き合いをしていました。作家の方しかプレイできないゴルフ場を造るなど、作家の方とのおつきあいは並大抵ではなかったようです。その日ごろの交流があるがために、愛媛に朝の連ドラの舞台を引っ張ってきたわけです。
この壮大な広報戦略は、見事というしかありません。現代ならまだしも、数十年前にこのことを着想し、実現化したわけですからさすがです。