ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

熊さんの話

2023-07-03 09:51:51 | 日記・エッセイ・コラム
なんやねんこれは…。
プリゴジンの話かな。
確かに熊のような顔しとるしな。
最近ワグネルワグネルとか妙にやかましかったし。
ロウ戦争の話は嘘ばっかり。
プーチンとバイデンのおちゃらけはもう結構。
困ってるのはウクライナの国民だけ。
誰がこんな世界にしたんだ。
ホントにもう。
・・・・・
歴史に詳しい訳ではないが、
大陸(含む地中海世界)はそも戦争ばっかり。
その戦士はほぼ傭兵だとか。
そも国家の概念はなかった。
国と言っても出身地のこと。
ヤクザの仁義の生国に近いものか。
国民の軍隊など影も形もなかった。
もちろん国境もなし。
あるのは縄張りだけ。
そこには族長がいる。
その族長の中で力を持つ者、それが王となる。
その王らの中で力を持つ者、それが王の中の王となる。
そして王朝国家ができる。
そこには核となる軍隊がある。
それを親衛隊という。
これが王朝の最後の砦である。
後はほぼ傭兵か奴隷兵である。
とまあ思っているが。
だから興亡は目まぐるしく、
その国境?は早回しすれば、
まるでアメーバの移動線のごとし、
変幻自在この上なし。
その点、海洋国家(島嶼国)は少し違う。
その成り立ちが変らなくとも。
出入りに大きな制限があって、
その纏まりは国家のごとしか。
てか国境線?が明確でもあり。
逆にまた国境線は無きも同然。
その活動範囲が海なのだから。
だから今の国家感とは違うと。
ところで日本の武士はどうか。
初めは傭兵的であったろうが、
それが大方親衛隊的になった。
それは一所懸命という言葉が示している。
自らを守る為に命を懸けたと。
それは王朝を守る為にも発揮された。
それが元寇と言われるあの戦いです。
ところで最近学校では元寇とは言わせないようだ。
てか歴史は完全に乗っ取られている。
それはまあ横に置いて。
だからイギリスも同じかもと。
大陸からの遠さは一寸違うが。
アメリカもそのようだが。
アメリカは歴史が浅いから王朝国家ではない。
その初めから国民国家ではあった。
ゆえ先の戦争に傭兵はいなかった。
それにまた奴隷兵もいなかったと。
実際に黒人兵が一人もいなかった。
ともかく国民兵であった。
そこは日本と似てはいた。
それが激突したのである。
だからアメリカ軍は強かった。
しかしそれも変わったようだ。
国民兵とは国民にしかず。
国民が亡くなれば当然批判が出る。
先の戦争ではそれが封じ込まれた。
しかし今はそれができないようだ。
だからアメリカも主流は傭兵。
実際ワグネルのような組織がある。
それが正規軍の中にも紛れてると。
てかとか思っている。
・・・・・
さてここで熊さんに戻る。
今年悲惨な事件があった。
釣りに出掛けた人が行方不明になったのだ。
後にその事情が判明した。
熊に食われていたのです。
捕えた熊を調べて分かったらしい。
それに熊は頭と足は食わないので、
その骨が付近で見つかったのです。
他にもそういう例があるようです。
それは北海道開拓時代の話である。
家ごと襲われて母と子らを含めて、
4~5人が食われたとか。
熊も好んで人は襲わないだろうが。
まあときの事情だろうか。
で思うのです、
以前は熊に遭遇したら、
死んだ振りをしろとか、
木に登って避けよとか、
言われてたが、
実際のところ、
実は逃げたら襲われる。
だから逃げるのが一番の愚作、
でも戦うのはもっと愚作。
てか熊が鼻から襲うつもりなら戦うしかない。
でもそういうことは少ないと。
だから結局方法はひとつ。
しっかり向き合って対峙すること。
その姿勢を崩さず少しづつ後ずさりする。
そして距離が取れたら離れる。
ということです。
なぜ今ここで言うのか。
これはまさに安全保障政策そのもの。
もとより必要がなければ関わりもないのだが、
境がある限り必ず関りはある。
それに交易は人類の始めからあるもので、
だから必ず関りはできるのだ。
そこで平和的に過ごすのなら、
それを求める呼びかけは必要。
その上で正面を向き逃げない。
いざとなれば戦う姿勢を示す。
その覚悟が何より必要なのだ。
所謂平和主義が駄目なのは論を待たない。
それを知ろう。
・・・・・
だから軍備は必要です。
なおその前に心の構えが何より必要。
それが日本にはあると。
それは靖国神社にある。
それが靖国の心である。
これが国の安全保障の要です。
安全保障とは戦争することではない。
安全保障とは戦争させないことです。
さあ皆で神の風に吹かれよう。
そして熊さんと仲良く、