ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

西郷どん

2018-12-10 12:42:57 | 日記・エッセイ・コラム
いよいよ終わりです。
興味があるのでずっと見ていた。
史実は押さえているだろうが、これはあくまでフィクションです。
西郷どんの真実は西郷どんの中にしかない。
真実は一つながら、思いは人の数だけある。
周りにいた人々にとってはそれぞれの西郷どんがいるのです。
それぞれの語りがあるのです。
それをできるだけ集約すれば、それが皆の西郷どんという訳です。
この西郷どんは脚本家や演出家にとっての西郷どんである。
でも西郷どんである。
色んな人の思いを受け止めた上での、西郷どんである。
間違いなく。
・・・・・
西郷どんは維新の中心にいた一人です。
だから西郷どんを語ることは維新を語ることでもある。
西郷どんを通して歴史の一端を知るのです。
維新という大きな歴史の。
ちなみに人間だから欠点も弱点もありましょう。
当然聖人のように素晴らしいことばかりではないでしょう。
でも成果は成果である、確かに。
その成果が大きければ大きいほど持てはやされる。
その中でそれは濾過され凝縮される。
そして時に神話になる。
神話はまったきフィクションではないのです。
実があってこそなのです。
神話も歴史の一部ということである。
・・・・・
維新では活躍している者が多数いる。
多く語られるのは西国雄藩であるが、
幕府や東北諸藩さらに日本全国にも活躍の志士はいる。
それに有力商人を含め庶民すべてが関係者だ。
当然ながら、日本人全員が当事者なのである。
そういう維新はまさに奇跡です。
奇跡の大変革である。
支配者(武士)が支配者(武士)から降り、
四民平等が実現されたのである。
それも革命ではなく継続としてである。
圧倒的なしがらみをほとんど瞬時に解体したその力は…。
現下の日本を鑑みると想像もできないことだ。
これを奇跡と言わずして何と言うか。
・・・・・
しかるに維新は間違いだったとか、
だから結局道を間違えたのだとか、
ときに知識人は訳の分からんことを言う。
過去(歴史)を現代の目で断罪するな。
過去は過去として向き合え。
それが歴史(魂の軌跡)を知ることだ。
人を知ることだ。
直近では坂本龍馬を歴史の教科書からはずすとか。
確かに司馬遼太郎の小説以来、龍馬は持てはやされ過ぎている。
だがである。
龍馬は暗殺された。
維新の渦中にいて暗殺されたのだ。
単なる私怨ではないだろう。
だからその軌跡を知ることは維新を知ることにもなる。
それも大いにだ。
龍馬を語る意味はあるのです。
・・・・・
最近は何かと歴史(の教科書)を変えたがる。
聖徳太子の件もそうだ。
作り話のようで、実在は疑わしいとか。
どうも変な力がうごめいているようだ。
つまり日本隠しであり日本潰しである。
日本人(の心・魂)が邪魔なのだろう。