いよいよ終わりです。
興味があるのでずっと見ていた。
史実は押さえているだろうが、これはあくまでフィクションです。
西郷どんの真実は西郷どんの中にしかない。
真実は一つながら、思いは人の数だけある。
周りにいた人々にとってはそれぞれの西郷どんがいるのです。
それぞれの語りがあるのです。
それをできるだけ集約すれば、それが皆の西郷どんという訳です。
この西郷どんは脚本家や演出家にとっての西郷どんである。
でも西郷どんである。
色んな人の思いを受け止めた上での、西郷どんである。
間違いなく。
・・・・・
西郷どんは維新の中心にいた一人です。
だから西郷どんを語ることは維新を語ることでもある。
西郷どんを通して歴史の一端を知るのです。
維新という大きな歴史の。
ちなみに人間だから欠点も弱点もありましょう。
当然聖人のように素晴らしいことばかりではないでしょう。
でも成果は成果である、確かに。
その成果が大きければ大きいほど持てはやされる。
その中でそれは濾過され凝縮される。
そして時に神話になる。
神話はまったきフィクションではないのです。
実があってこそなのです。
神話も歴史の一部ということである。
・・・・・
維新では活躍している者が多数いる。
多く語られるのは西国雄藩であるが、
幕府や東北諸藩さらに日本全国にも活躍の志士はいる。
それに有力商人を含め庶民すべてが関係者だ。
当然ながら、日本人全員が当事者なのである。
そういう維新はまさに奇跡です。
奇跡の大変革である。
支配者(武士)が支配者(武士)から降り、
四民平等が実現されたのである。
それも革命ではなく継続としてである。
圧倒的なしがらみをほとんど瞬時に解体したその力は…。
現下の日本を鑑みると想像もできないことだ。
これを奇跡と言わずして何と言うか。
・・・・・
しかるに維新は間違いだったとか、
だから結局道を間違えたのだとか、
ときに知識人は訳の分からんことを言う。
過去(歴史)を現代の目で断罪するな。
過去は過去として向き合え。
それが歴史(魂の軌跡)を知ることだ。
人を知ることだ。
直近では坂本龍馬を歴史の教科書からはずすとか。
確かに司馬遼太郎の小説以来、龍馬は持てはやされ過ぎている。
だがである。
龍馬は暗殺された。
維新の渦中にいて暗殺されたのだ。
単なる私怨ではないだろう。
だからその軌跡を知ることは維新を知ることにもなる。
それも大いにだ。
龍馬を語る意味はあるのです。
・・・・・
最近は何かと歴史(の教科書)を変えたがる。
聖徳太子の件もそうだ。
作り話のようで、実在は疑わしいとか。
どうも変な力がうごめいているようだ。
つまり日本隠しであり日本潰しである。
日本人(の心・魂)が邪魔なのだろう。
興味があるのでずっと見ていた。
史実は押さえているだろうが、これはあくまでフィクションです。
西郷どんの真実は西郷どんの中にしかない。
真実は一つながら、思いは人の数だけある。
周りにいた人々にとってはそれぞれの西郷どんがいるのです。
それぞれの語りがあるのです。
それをできるだけ集約すれば、それが皆の西郷どんという訳です。
この西郷どんは脚本家や演出家にとっての西郷どんである。
でも西郷どんである。
色んな人の思いを受け止めた上での、西郷どんである。
間違いなく。
・・・・・
西郷どんは維新の中心にいた一人です。
だから西郷どんを語ることは維新を語ることでもある。
西郷どんを通して歴史の一端を知るのです。
維新という大きな歴史の。
ちなみに人間だから欠点も弱点もありましょう。
当然聖人のように素晴らしいことばかりではないでしょう。
でも成果は成果である、確かに。
その成果が大きければ大きいほど持てはやされる。
その中でそれは濾過され凝縮される。
そして時に神話になる。
神話はまったきフィクションではないのです。
実があってこそなのです。
神話も歴史の一部ということである。
・・・・・
維新では活躍している者が多数いる。
多く語られるのは西国雄藩であるが、
幕府や東北諸藩さらに日本全国にも活躍の志士はいる。
それに有力商人を含め庶民すべてが関係者だ。
当然ながら、日本人全員が当事者なのである。
そういう維新はまさに奇跡です。
奇跡の大変革である。
支配者(武士)が支配者(武士)から降り、
四民平等が実現されたのである。
それも革命ではなく継続としてである。
圧倒的なしがらみをほとんど瞬時に解体したその力は…。
現下の日本を鑑みると想像もできないことだ。
これを奇跡と言わずして何と言うか。
・・・・・
しかるに維新は間違いだったとか、
だから結局道を間違えたのだとか、
ときに知識人は訳の分からんことを言う。
過去(歴史)を現代の目で断罪するな。
過去は過去として向き合え。
それが歴史(魂の軌跡)を知ることだ。
人を知ることだ。
直近では坂本龍馬を歴史の教科書からはずすとか。
確かに司馬遼太郎の小説以来、龍馬は持てはやされ過ぎている。
だがである。
龍馬は暗殺された。
維新の渦中にいて暗殺されたのだ。
単なる私怨ではないだろう。
だからその軌跡を知ることは維新を知ることにもなる。
それも大いにだ。
龍馬を語る意味はあるのです。
・・・・・
最近は何かと歴史(の教科書)を変えたがる。
聖徳太子の件もそうだ。
作り話のようで、実在は疑わしいとか。
どうも変な力がうごめいているようだ。
つまり日本隠しであり日本潰しである。
日本人(の心・魂)が邪魔なのだろう。