ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

ヒト型ロボット

2023-12-18 09:30:41 | 日記・エッセイ・コラム
日本はその先頭にいる。
実際ヒト型ロボットは結構あるようだ。
その性能は様々ですが。
にしても多くは都会であり、
なかでもそれは東京だろう。
ネット等を見ていると、
ときに外国人が驚いている。
スマホにしろ自動改札にしろ、
普及し始めればアッというまだ。
そのへん日本は凄いと思う。
てかこれは余談である。
・・・・・
時、これが曲者である。
一分一秒でも過ぎればもう戻れない。
それは一万年前でも同じである。
ちょっと前ここを恐竜が歩いていた、
と言われても否定できない。
気づけば今はいつも過去に。
気づけば未来はいつも今に。
なら今は余りにもはかない。
瞬間の刹那である。
そんなことはない。
今はすべてなのだ。
過去と未来を包含した野太いもので、
それが今というものである。
大古の人はそれを心得ていたか。
過去を踏まえて今があり、
今が未来を創ってゆくと。
だから古事を伝えて物語りをし、
だから未来を託して子を育てる、
それが生きること。
自の分とはそこにあると。
それが現今は時をぶつ切りにする。
そして瞬間の刹那に生きる。
もはや過去は捨て去るもの。
未来は我関せずと知らん顔。
そんな思いに染まっている。
ムッシッシムッシッシ、
保守はもう虫の息。

金、これが曲者である。
ちなみにこれは金属のことではない。
これはお金のこと通貨のことである。
金属の金は伝統的に価値がある。
でもそれはそれだけのこと。
人間にとっての真の価値は、
この星が命溢れる星であること、
それがすべてです。
だから生きていられる。
そしてその生を維持するために働く。
さらにそれをより有効に活かすために、
それを交換するのです。
その本意は助け合いである。
そこで登場するのがお金である。
お金は交換の尺度として必要なもの、
てか今やなくてはならぬものに。
それは尤もなことだが、
それは価値の本体ではない、
価値の本体は働きにあると。
それにまた、
その本意を思えば、
それは自由人の自由な働きでないと、
それが奴隷人の強制労働であるなら、
そもその本意にも悖る。
なのに現今はそこが可笑しくなった。
お金が価値の本体かの如し。
どこで違えたのか。
てか仕組まれたか。
・・・・・
時は金なり、
という慣用句がある。
上記はその順に則っている。
でも私の本意は違うのです。
本意は「時は鐘なり」です。
時とは流れそのもの、それは「こと」です。
柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺てか、
鐘とは音であり、それは流れです。
だから鐘の方が相応しいと。
すべては波動に帰するから。
その心は「ことば」にある。
言葉は波動の中の波動なり。
言葉を持たない生き物らは、
いつもその全細胞全DNAで反応する。
全身全霊で反応するのです。
そして生きている。
人間も生き物であり、本質的には同じかと。
でも言葉を持ってしまった。
言葉の反応は脳内で起こる。
だからなのか、脳内でだけ反応する人が増えた。
そういうヒトが増えたのである。
どういうヒトかは言わずもがな。
私が以前言ったことに、
コンピュータは言葉で出来ていると、
つまり言葉の権化であると。
そういう人間はコンピュータ的人間である。
違うのはそれが機械であるか生体であるかだけ。
似ているのです。
標題はそのことです。
彼らはヒト型ロボットであると。
もうその様にしか見えない。
人間とは思えないのだ。
ということです。
にしても彼らはAIを恐れているような。
自分に似ているから怖いのかも。
似ていて自分より性能がいいし。
私には分からない。
私にとっては道具は道具でしかない。
使いこなしてなんぼのものです。
恐れることなどありません。
そも根本的に違うもの。
勘違いも甚だしい。
・・・・・
でも恐ろしいこともある。
それはAIなどではない。
AIを利用して人類を支配しようとする者です。
怖いのはそんな人間です。
彼らの武器は言葉である。
知っての通りAIは言葉の権化です。
それを利用するのは当然。
しかもAIが怖いと吹聴する。
恐怖が心魂を縛るからである。
そして知らぬ間にロボットにされる。
油断も隙もない。
注意しましょう。
ハイ!