日本はその先頭にいる。
実際ヒト型ロボットは結構あるようだ。
その性能は様々ですが。
にしても多くは都会であり、
なかでもそれは東京だろう。
ネット等を見ていると、
ときに外国人が驚いている。
スマホにしろ自動改札にしろ、
普及し始めればアッというまだ。
そのへん日本は凄いと思う。
てかこれは余談である。
・・・・・
時、これが曲者である。
一分一秒でも過ぎればもう戻れない。
それは一万年前でも同じである。
ちょっと前ここを恐竜が歩いていた、
と言われても否定できない。
気づけば今はいつも過去に。
気づけば未来はいつも今に。
なら今は余りにもはかない。
瞬間の刹那である。
そんなことはない。
今はすべてなのだ。
過去と未来を包含した野太いもので、
それが今というものである。
大古の人はそれを心得ていたか。
過去を踏まえて今があり、
今が未来を創ってゆくと。
だから古事を伝えて物語りをし、
だから未来を託して子を育てる、
それが生きること。
自の分とはそこにあると。
それが現今は時をぶつ切りにする。
そして瞬間の刹那に生きる。
もはや過去は捨て去るもの。
未来は我関せずと知らん顔。
そんな思いに染まっている。
ムッシッシムッシッシ、
保守はもう虫の息。
・
金、これが曲者である。
ちなみにこれは金属のことではない。
これはお金のこと通貨のことである。
金属の金は伝統的に価値がある。
でもそれはそれだけのこと。
人間にとっての真の価値は、
この星が命溢れる星であること、
それがすべてです。
だから生きていられる。
そしてその生を維持するために働く。
さらにそれをより有効に活かすために、
それを交換するのです。
その本意は助け合いである。
そこで登場するのがお金である。
お金は交換の尺度として必要なもの、
てか今やなくてはならぬものに。
それは尤もなことだが、
それは価値の本体ではない、
価値の本体は働きにあると。
それにまた、
その本意を思えば、
それは自由人の自由な働きでないと、
それが奴隷人の強制労働であるなら、
そもその本意にも悖る。
なのに現今はそこが可笑しくなった。
お金が価値の本体かの如し。
どこで違えたのか。
てか仕組まれたか。
・・・・・
時は金なり、
という慣用句がある。
上記はその順に則っている。
でも私の本意は違うのです。
本意は「時は鐘なり」です。
時とは流れそのもの、それは「こと」です。
柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺てか、
鐘とは音であり、それは流れです。
だから鐘の方が相応しいと。
すべては波動に帰するから。
その心は「ことば」にある。
言葉は波動の中の波動なり。
言葉を持たない生き物らは、
いつもその全細胞全DNAで反応する。
全身全霊で反応するのです。
そして生きている。
人間も生き物であり、本質的には同じかと。
でも言葉を持ってしまった。
言葉の反応は脳内で起こる。
だからなのか、脳内でだけ反応する人が増えた。
そういうヒトが増えたのである。
どういうヒトかは言わずもがな。
私が以前言ったことに、
コンピュータは言葉で出来ていると、
つまり言葉の権化であると。
そういう人間はコンピュータ的人間である。
違うのはそれが機械であるか生体であるかだけ。
似ているのです。
標題はそのことです。
彼らはヒト型ロボットであると。
もうその様にしか見えない。
人間とは思えないのだ。
ということです。
にしても彼らはAIを恐れているような。
自分に似ているから怖いのかも。
似ていて自分より性能がいいし。
私には分からない。
私にとっては道具は道具でしかない。
使いこなしてなんぼのものです。
恐れることなどありません。
そも根本的に違うもの。
勘違いも甚だしい。
・・・・・
でも恐ろしいこともある。
それはAIなどではない。
AIを利用して人類を支配しようとする者です。
怖いのはそんな人間です。
彼らの武器は言葉である。
知っての通りAIは言葉の権化です。
それを利用するのは当然。
しかもAIが怖いと吹聴する。
恐怖が心魂を縛るからである。
そして知らぬ間にロボットにされる。
油断も隙もない。
注意しましょう。
ハイ!
実際ヒト型ロボットは結構あるようだ。
その性能は様々ですが。
にしても多くは都会であり、
なかでもそれは東京だろう。
ネット等を見ていると、
ときに外国人が驚いている。
スマホにしろ自動改札にしろ、
普及し始めればアッというまだ。
そのへん日本は凄いと思う。
てかこれは余談である。
・・・・・
時、これが曲者である。
一分一秒でも過ぎればもう戻れない。
それは一万年前でも同じである。
ちょっと前ここを恐竜が歩いていた、
と言われても否定できない。
気づけば今はいつも過去に。
気づけば未来はいつも今に。
なら今は余りにもはかない。
瞬間の刹那である。
そんなことはない。
今はすべてなのだ。
過去と未来を包含した野太いもので、
それが今というものである。
大古の人はそれを心得ていたか。
過去を踏まえて今があり、
今が未来を創ってゆくと。
だから古事を伝えて物語りをし、
だから未来を託して子を育てる、
それが生きること。
自の分とはそこにあると。
それが現今は時をぶつ切りにする。
そして瞬間の刹那に生きる。
もはや過去は捨て去るもの。
未来は我関せずと知らん顔。
そんな思いに染まっている。
ムッシッシムッシッシ、
保守はもう虫の息。
・
金、これが曲者である。
ちなみにこれは金属のことではない。
これはお金のこと通貨のことである。
金属の金は伝統的に価値がある。
でもそれはそれだけのこと。
人間にとっての真の価値は、
この星が命溢れる星であること、
それがすべてです。
だから生きていられる。
そしてその生を維持するために働く。
さらにそれをより有効に活かすために、
それを交換するのです。
その本意は助け合いである。
そこで登場するのがお金である。
お金は交換の尺度として必要なもの、
てか今やなくてはならぬものに。
それは尤もなことだが、
それは価値の本体ではない、
価値の本体は働きにあると。
それにまた、
その本意を思えば、
それは自由人の自由な働きでないと、
それが奴隷人の強制労働であるなら、
そもその本意にも悖る。
なのに現今はそこが可笑しくなった。
お金が価値の本体かの如し。
どこで違えたのか。
てか仕組まれたか。
・・・・・
時は金なり、
という慣用句がある。
上記はその順に則っている。
でも私の本意は違うのです。
本意は「時は鐘なり」です。
時とは流れそのもの、それは「こと」です。
柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺てか、
鐘とは音であり、それは流れです。
だから鐘の方が相応しいと。
すべては波動に帰するから。
その心は「ことば」にある。
言葉は波動の中の波動なり。
言葉を持たない生き物らは、
いつもその全細胞全DNAで反応する。
全身全霊で反応するのです。
そして生きている。
人間も生き物であり、本質的には同じかと。
でも言葉を持ってしまった。
言葉の反応は脳内で起こる。
だからなのか、脳内でだけ反応する人が増えた。
そういうヒトが増えたのである。
どういうヒトかは言わずもがな。
私が以前言ったことに、
コンピュータは言葉で出来ていると、
つまり言葉の権化であると。
そういう人間はコンピュータ的人間である。
違うのはそれが機械であるか生体であるかだけ。
似ているのです。
標題はそのことです。
彼らはヒト型ロボットであると。
もうその様にしか見えない。
人間とは思えないのだ。
ということです。
にしても彼らはAIを恐れているような。
自分に似ているから怖いのかも。
似ていて自分より性能がいいし。
私には分からない。
私にとっては道具は道具でしかない。
使いこなしてなんぼのものです。
恐れることなどありません。
そも根本的に違うもの。
勘違いも甚だしい。
・・・・・
でも恐ろしいこともある。
それはAIなどではない。
AIを利用して人類を支配しようとする者です。
怖いのはそんな人間です。
彼らの武器は言葉である。
知っての通りAIは言葉の権化です。
それを利用するのは当然。
しかもAIが怖いと吹聴する。
恐怖が心魂を縛るからである。
そして知らぬ間にロボットにされる。
油断も隙もない。
注意しましょう。
ハイ!