ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

令和のとき

2020-01-06 12:17:30 | 日記・エッセイ・コラム
新年あけましておめでとうございます。
令和の初めての正月を迎えました。
まことに身の引き締まる思いです。
今年はどんな年になるのやら。
①リベラルの退潮
②中華世界の崩壊
③原理主義の後退
とはやや希望が入っているが、
概ね現実でもありましょうか。
でもまだまだ先が見えません。
年の初めを祈りで開けられる日本は、
とにもかくにも有難い。
・・・・・
はじめに神は天と地を創造された。
神は光あれと言われた、すると光があった。
これはまんま色即是空の世界である。
私はそう思っている。
そしてそこからすべてがはじまる。
変化の様を「こと」と謂うのだが、
その「こと」はそこからはじまる。
それを森羅万象というが、
私見にして勝手ながらも、
仏教では輪廻転生という。
己が心底にて感得すればそういうことかと…。
もとより私ごときには計れないが。
実に美しい。
言葉の綾が。
聖書では「天と地」と「光」である、
仏教では「空」と「色」である。
そしてその後に「事」が続くのである。
それが世界だと。
・・・・・
天と地や空とは場であり物である。
その天と地(空)と事を繋ぐのは光(色)であると。
光は「もの」か「こと」か?はさて置き、
この妙を思わざるを得ない。
故なるかな。
日本の最高神が天照大神であるのは。
天照大神は太陽神である。
思うに単に太陽神と謂うのではないだろう。
太陽系では勿論太陽だが、
宇宙を鑑みればそれは光ということだ。
つまり光の神である。
それを最高神として頂いている。
ところで天照大神は女神である。
もとは男神であった、とも言う。
古事記や日本書記では初期に登場する神は単身であり、
独り神とされている。
途中から男女の対となり性別が現れる。
伊弉諾・伊弉冉のように。
だがどちらでもいいと思っている。
でももとは男神だとも思っている。
そも光に性別はなかろう。
でも歴史上の聖者に仮託するなら話は別だ。
ときに性別が発生する。
それは大いにありえる。
・・・・・
法隆寺の秘仏として救世観音がある。
明治期にフェノロサと岡倉天心によって世に出された。
その仏像には光背が付けられていた。
それも頭に釘で打ち込まれて。
何とも奇妙ではある。
だから色んな説が出てくる。
それはさておき、ここでは光背に注目する。
光を背負うとは光の世界から来るということです。
そして人々を救済する。
似ているものにイエスの再臨がある。
件の絵(教会の宗教画)には背後に光が描かれている。
知悉してはいないが、そういうものらしい。
イエスも光の世界から来るのか。
それが光背のように描かれているのか。
なら救世観音に同じである。
関わりがあるのか。
ともかくも光の世界は共通している。
それなら天照大神とも共通している。
なかなかに面白いことです。