ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

時代の人柱

2019-04-01 13:04:17 | 日記・エッセイ・コラム
人柱とはまた大仰な物言いである。
生贄という謂いだが、まあ今日的な言ではないだろう。
でも私はそう思っている。
時代の転換を促し、覚悟して逝った人達は皆そうだ。
明治維新を想えば、そう思うのです。
まことにまことに稀有な出来事だから。
・・・・・
以前にも言ったが、
最近維新を否定的に捉える本が出ている。
それなりの理由があり、
言っていることは分からないでもない。
もとより、どんな出来事でも光あれば影ありです。
見る位置を変えれば様相も変わる。
事実に大きな齟齬がなければ、どうとでも言えるのです。
それが事の成り行き、つまり歴史なのです。
一方的な美辞麗句もおかしいが、
頭からの非難・否定も同様です。
でもである。
明治維新の凄さは群を抜いている。
人の良し悪しや事の良し悪しなどは超越している。
出来事自体が稀有なのです。
・・・・・
当時の情勢からすれば国内で争っている場合ではない。
それは龍馬にはよく分かっていた、
だから強い思いとなったのだろう。
ゆえに朝廷と幕府及び雄藩による合議制を強く押していた。
そういう思いを良しとする人々にとっては、
龍馬は格好のシンボルであったろう。
だがである。
昨今の世界の有様を見れば分かるだろう、
民主主義(合議制)は変革期においては足手纏いになることも。
合議制とは聞えは良いが、時に実用には供さない。
維新とは画期である、国家の命運を懸けた。
独裁も必要だったのです。
結果としての薩長の横暴も必要ではあったのだ。
もとより幕府も独裁的組織なのだが、
それが機能できなくなっていた。
幕府に替わるものが必要であったのだ。
だからの幕府解体つまり討幕なのです。
ここに微妙な匙加減が必要である。
決定的な戦いは元も子もなくする。
勿論解体なき和平もない。
それでは変わらないのだ。
江戸城は無血開城をしたのだが、そこで終わればまた振り出しだ。
だからなお戦争が必要であった。
そしての幕府解体である。
その生贄になったのが東北雄藩である。
しかしてである。
その間徳川慶喜はまったく動かなかった。
幕府にとっては愚鈍にして戦犯となるも。
維新にとっては慶喜は慶喜(=維新)を貫いて英傑となった。
そして龍馬暗殺も必然であったか、
かくのごとくを実行するためには。
・・・・・
維新は成ったが、それは始まりである。
終わらせるためには幕引きが必要です。
最も大きな利権の処理、つまり四民平等の実現がある。
その最大の難関が武士の身分である。
それには当然武士が異を唱える。
維新を通じて日和見だった藩は逆らえない。
戦って敗れた藩は尚のこと。
問題は勝者である西國雄藩等である。
ご存知の通り、そこでは士族の叛乱が起きている。
佐賀の乱、神風連の乱、秋月の乱、萩の乱そして西南戦争である。
止めは何と言っても西南戦争である。
西郷隆盛が命を懸けて幕引きをしたのである。
まさに生贄である。
なおここに土佐が含まれていない。
勿論呼応して決起しようとしたのだ。
それはなぜか事前に発覚して抑えられた。
そして主だった者は捕らえられた。
それを立志社の獄と言う。
ともかく、これにて維新の幕は下りた。
後は国家の建設に邁進するのみ。
ここに至るまでには数多の人が命を落としている。
よく取り上げられる、あの新撰組もそうだ。
彼らは皆、維新の人柱である。
彼らは皆、神風の人である。
それぞれに思いはあったろうが、
命を顧みず時代を駆け抜けたのだ。