人柱とはまた大仰な物言いである。
生贄という謂いだが、まあ今日的な言ではないだろう。
でも私はそう思っている。
時代の転換を促し、覚悟して逝った人達は皆そうだ。
明治維新を想えば、そう思うのです。
まことにまことに稀有な出来事だから。
・・・・・
以前にも言ったが、
最近維新を否定的に捉える本が出ている。
それなりの理由があり、
言っていることは分からないでもない。
もとより、どんな出来事でも光あれば影ありです。
見る位置を変えれば様相も変わる。
事実に大きな齟齬がなければ、どうとでも言えるのです。
それが事の成り行き、つまり歴史なのです。
一方的な美辞麗句もおかしいが、
頭からの非難・否定も同様です。
でもである。
明治維新の凄さは群を抜いている。
人の良し悪しや事の良し悪しなどは超越している。
出来事自体が稀有なのです。
・・・・・
当時の情勢からすれば国内で争っている場合ではない。
それは龍馬にはよく分かっていた、
だから強い思いとなったのだろう。
ゆえに朝廷と幕府及び雄藩による合議制を強く押していた。
そういう思いを良しとする人々にとっては、
龍馬は格好のシンボルであったろう。
だがである。
昨今の世界の有様を見れば分かるだろう、
民主主義(合議制)は変革期においては足手纏いになることも。
合議制とは聞えは良いが、時に実用には供さない。
維新とは画期である、国家の命運を懸けた。
独裁も必要だったのです。
結果としての薩長の横暴も必要ではあったのだ。
もとより幕府も独裁的組織なのだが、
それが機能できなくなっていた。
幕府に替わるものが必要であったのだ。
だからの幕府解体つまり討幕なのです。
ここに微妙な匙加減が必要である。
決定的な戦いは元も子もなくする。
勿論解体なき和平もない。
それでは変わらないのだ。
江戸城は無血開城をしたのだが、そこで終わればまた振り出しだ。
だからなお戦争が必要であった。
そしての幕府解体である。
その生贄になったのが東北雄藩である。
しかしてである。
その間徳川慶喜はまったく動かなかった。
幕府にとっては愚鈍にして戦犯となるも。
維新にとっては慶喜は慶喜(=維新)を貫いて英傑となった。
そして龍馬暗殺も必然であったか、
かくのごとくを実行するためには。
・・・・・
維新は成ったが、それは始まりである。
終わらせるためには幕引きが必要です。
最も大きな利権の処理、つまり四民平等の実現がある。
その最大の難関が武士の身分である。
それには当然武士が異を唱える。
維新を通じて日和見だった藩は逆らえない。
戦って敗れた藩は尚のこと。
問題は勝者である西國雄藩等である。
ご存知の通り、そこでは士族の叛乱が起きている。
佐賀の乱、神風連の乱、秋月の乱、萩の乱そして西南戦争である。
止めは何と言っても西南戦争である。
西郷隆盛が命を懸けて幕引きをしたのである。
まさに生贄である。
なおここに土佐が含まれていない。
勿論呼応して決起しようとしたのだ。
それはなぜか事前に発覚して抑えられた。
そして主だった者は捕らえられた。
それを立志社の獄と言う。
ともかく、これにて維新の幕は下りた。
後は国家の建設に邁進するのみ。
ここに至るまでには数多の人が命を落としている。
よく取り上げられる、あの新撰組もそうだ。
彼らは皆、維新の人柱である。
彼らは皆、神風の人である。
それぞれに思いはあったろうが、
命を顧みず時代を駆け抜けたのだ。
生贄という謂いだが、まあ今日的な言ではないだろう。
でも私はそう思っている。
時代の転換を促し、覚悟して逝った人達は皆そうだ。
明治維新を想えば、そう思うのです。
まことにまことに稀有な出来事だから。
・・・・・
以前にも言ったが、
最近維新を否定的に捉える本が出ている。
それなりの理由があり、
言っていることは分からないでもない。
もとより、どんな出来事でも光あれば影ありです。
見る位置を変えれば様相も変わる。
事実に大きな齟齬がなければ、どうとでも言えるのです。
それが事の成り行き、つまり歴史なのです。
一方的な美辞麗句もおかしいが、
頭からの非難・否定も同様です。
でもである。
明治維新の凄さは群を抜いている。
人の良し悪しや事の良し悪しなどは超越している。
出来事自体が稀有なのです。
・・・・・
当時の情勢からすれば国内で争っている場合ではない。
それは龍馬にはよく分かっていた、
だから強い思いとなったのだろう。
ゆえに朝廷と幕府及び雄藩による合議制を強く押していた。
そういう思いを良しとする人々にとっては、
龍馬は格好のシンボルであったろう。
だがである。
昨今の世界の有様を見れば分かるだろう、
民主主義(合議制)は変革期においては足手纏いになることも。
合議制とは聞えは良いが、時に実用には供さない。
維新とは画期である、国家の命運を懸けた。
独裁も必要だったのです。
結果としての薩長の横暴も必要ではあったのだ。
もとより幕府も独裁的組織なのだが、
それが機能できなくなっていた。
幕府に替わるものが必要であったのだ。
だからの幕府解体つまり討幕なのです。
ここに微妙な匙加減が必要である。
決定的な戦いは元も子もなくする。
勿論解体なき和平もない。
それでは変わらないのだ。
江戸城は無血開城をしたのだが、そこで終わればまた振り出しだ。
だからなお戦争が必要であった。
そしての幕府解体である。
その生贄になったのが東北雄藩である。
しかしてである。
その間徳川慶喜はまったく動かなかった。
幕府にとっては愚鈍にして戦犯となるも。
維新にとっては慶喜は慶喜(=維新)を貫いて英傑となった。
そして龍馬暗殺も必然であったか、
かくのごとくを実行するためには。
・・・・・
維新は成ったが、それは始まりである。
終わらせるためには幕引きが必要です。
最も大きな利権の処理、つまり四民平等の実現がある。
その最大の難関が武士の身分である。
それには当然武士が異を唱える。
維新を通じて日和見だった藩は逆らえない。
戦って敗れた藩は尚のこと。
問題は勝者である西國雄藩等である。
ご存知の通り、そこでは士族の叛乱が起きている。
佐賀の乱、神風連の乱、秋月の乱、萩の乱そして西南戦争である。
止めは何と言っても西南戦争である。
西郷隆盛が命を懸けて幕引きをしたのである。
まさに生贄である。
なおここに土佐が含まれていない。
勿論呼応して決起しようとしたのだ。
それはなぜか事前に発覚して抑えられた。
そして主だった者は捕らえられた。
それを立志社の獄と言う。
ともかく、これにて維新の幕は下りた。
後は国家の建設に邁進するのみ。
ここに至るまでには数多の人が命を落としている。
よく取り上げられる、あの新撰組もそうだ。
彼らは皆、維新の人柱である。
彼らは皆、神風の人である。
それぞれに思いはあったろうが、
命を顧みず時代を駆け抜けたのだ。