ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

アインシュタイン

2015-11-06 16:52:32 | 日記・エッセイ・コラム
相対性理論のアインシュタインである。
物理学では最も有名な一人である。
そのアインシュタインは一度日本に来ている。
大正時代である。
たぶん第一次世界大戦後である。
彼は日本に大きな感銘を受けたようだ。
雑誌か何かで読んだのだが、
アインシュタインは
「この世界に日本という国を残しておいてくれたことを神に感謝する」
という言葉を残してる。
正確な言辞は覚えていないが、
まあこんなようなことだ。
・・・・・
彼は当時ドイツにいたと聞く。
いわゆるユダヤ人である。
宗教はユダヤ教だろう。
と思うのだが国籍がドイツであれば、
キリスト教であってもおかしくない。
どちらにしても一神教である。
絶対神を信仰している。
ちなみに、
アインシュタインのことが頭をよぎったのは、
その理論である。
絶対神を信仰してる欧米人が相対性とは…、
ちょっと奇異な感じがしたので。
学問だからそれはあまり関係ないのだろう。
そうだろうが…。
欧米人は基本的には二元論だと思っている。
神か悪魔か、善か悪か…のように。
ところが相対性とはつまり多元論である。
中心(絶対)が無い。
それは欧米人の発想ではない。
多神教の日本こその発想である。
そう思うのだが。
彼はそうではなかったようだ。
・・・・・
欧米は個人主義と謂われるが、
個人主義と利己主義は紙一重である。
というより同じものだ。
あくまでも自分中心なのである。
ともかく自分が在り、相手は二の次なのだ。
そこを抜け出せない。
自分を相対化できないのだ。
能力の問題ではない。
そういう発想が乏しいのである。
彼らが議論好きなのも頷ける。
聞くだけでは駄目なのである。
議論している自分があってこそだ。
それでこそ自分自身が認められる。
日本人はそうではない。
自分は当然在るのだが、むしろ相手の方を気にする。
だから万般控え目である、
故に議論が不得手なのである。