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創価学会の信仰に功徳はあるか?

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スピリチュアルの危険性について。

2008年03月15日 13時17分39秒 | 創価学会
スピリチュアルの危険性について。以下、メモ書き箇条書き。

ネットで検索。
批判や危険を指摘した物は
「スピリチュアル 批判」「スピリチュアル 危険」。
肯定的な検索をする場合は
「スピリチュアル カウンセラー」「スピリチュアル ヒーリング」
「スピリチュアル カウンセリング」。

見れば分かると思うが後者は当然というか通信販売になっているサイトもあり。
「商売」「商業」ってこと。
創価学会の様に人が押しかけてきて聖教新聞押しつけられるよりかは良いのかもしれないが、本質的には同じ営業の一環だと個人的に思う。

 スピリチュアルについて個人的な考え
スピリチュアルなもの、霊体験、幽体離脱体験、臨死体験など、それらの体験に至るには様々な方法がありすぎ。偶然、突然、幽霊を見たという人もいる。
死後の世界で死んだ人に会うのは仮に良いとしても別の場所で生きている人同士が臨死体験して死後の世界で会えるのか?(笑)

○仏教とスピリチュアル。

 方法が多彩すぎ、あるいは特殊すぎ(一個人の能力?資格無しでなれない医者や薬?がないと駄目?)る事。霊魂だとか、幽体離脱だとか死後の世界などのスピリチュアルを強調すればするほど、仏教者が本尊への唱題とかの必要性は薄くなる方にあると思う。退行催眠や臨死体験で医学や医者が仏教学や日蓮を超えた事になり経文や日蓮は不要では?
 唱題で退行催眠や臨死体験出来るのは10000人に1人か10000人に9000人なのか?という問題もある。
 そもそも私がネット上で検索した限りでも梵本や鳩摩羅什の法華経、あるいは日蓮真筆遺文に退行催眠や臨死体験は無いと思う。

(以前から考えていたが宗教において 称える、という事はやっかいな問題だと思う。)

 仮に医学による退行催眠や臨死体験を認めたとしても、医学や医者はブッダの教団にもあったであろうが(日蓮も健康などに言及。)元々、医学や医者はブッダの教団にしか無かった訳ではない。

○仏教哲学の「無記」と宇宙。

 また、退行催眠体験や臨死体験は生命のありようの一部なのかもしれないが、仏教哲学を支えてはいない。創価学会など生命論を説く宗教団体には魅力ある話なのかもしれませんが。
 ここでも宇宙生命論によって宇宙と生命、その生命に関わる退行催眠体験や臨死体験という話しから、いつの間にか宇宙と退行催眠体験や臨死体験が「ごっちゃになっている」気がする。「死後の世界=宇宙」と証明されたとは思えない。
 過去の私と同様に仏教の前提としてブッダの「毒矢のたとえ」などの無記を知らないということか?

参考
スピリチュアル・ブームにひそむ危険――現代人はどこに向かって生きるのか 島薗進・宗教学とその周辺

スピリチュアルは取り扱えないのでコメント禁止。
余程の理由がない限りは雑談記事でも議論禁止。
特にスピリチュアルが素敵!正しい!体験がある!だから創価学会の信仰が、、、云々は問題外。
まじない信仰を強く信じていた私が言うのはおかしいかもしれませんし、やや恥ずかしい面もありますが、改めてお断りしておきます。

以上。
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