創価学会の信仰に功徳はあるか?

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講義メモ SUGATA塾('19年09月) 教派神道概論(2) 扶桑教

2019年10月07日 00時00分22秒 | その他
SUGATA塾(2019年09月度)での講義内容を一部抜粋。

----------<ここから>----------
教派神道概論(2)
〔神道十三派〕

扶桑教…明治十五年五月十五日認可。宍野 半(ししの なかば)(1844~84)。平田篤胤の没後門人。(中略)富士講系。

1.富士信仰は神仏習合である。
2.宍野 半は明治七(1874)年七月二十五日に富士山頂で天拝式を行った。これ以降、宍野は廃仏棄釈を行う為、富士山近辺の石仏、仏像を破壊して回った。
3.明治初期頃に富士吉田口に神殿を造営し現在の扶桑教(冨士道 神道扶桑教)となる。

(2の注:明治政府の廃仏棄釈の意図は仏教を捨てよとの命ではなく、現在は神仏分離と優先順位だと言われている。当時の解釈を宍野 半が廃仏の立場としたか?なお廃仏棄釈の傾向は幕末から存在する。)

----------<ここまで>----------

上記の内容は信○町や上○村の集団が隠そうとしても無駄である。

明治七年に注目。
「明治七年に某寺の大きな本尊が破壊を免れる為、移設された」との噂話がある。
今まで移設(避難)の噂話しか知らなかったが、扶桑教の動きは大きな裏付けと言える。

大きな本尊について自分から積極的に調べるつもりはありません。
複数体や魂の問題はこれだけでは全貌は見えません。
こうした歴史を隠蔽したまま、信○町や上○村の集団が某本尊について語っていたことになります。
n興の弟子に神社神主がいたことや、n有、n寛の某本尊は神道(神社)と関わりがあったことをお忘れなく。
信○町の集団は、こうした一連の流れも知らず、n寛なh尊を拝んで滑稽としか。(笑)

仏教側から神道側に復讐せよとの意図で本記事を書いていませんので絶対に誤解しないで下さい。

以上

参考
富士門流信徒の掲示板 素朴な疑問(https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/364/1014180269/1353)

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