創価学会の信仰に功徳はあるか?

コメントする人は「01.創価学会の信仰に功徳はあるか?を書く前に」を読んでね。

某SNSのメモ 宗教の話を聞く側の「人」、救われる側の「人」4

2009年05月06日 19時25分34秒 | 創価学会
http://gree.jp/?mode=community&act=bbs_view&thread_id=9425068

96. そううそ (16) - 05/05 23:11
それと○○○○さん

現代人、あるいはあなたが日蓮本仏論を信仰したり選択することは許されていますよ。

では何が問題かというと2つ。
1.
人に教える時に教団都合の引用ではなく経文や釈、論などの原典を示し、宗教思想、仏教思想である旨を示し、現代語訳など誰にでも分かってもらう必要があります。
可能であればあなたが思想と同じ行動が取れる事がベストでしょう。
自分は「理由や根拠無し」でOKでも、他者には「信仰させる理由や根拠」が必要です。

「私、○○○○は日蓮本仏論以外の思想を知りません。
でも私、○○○○は日蓮本仏論は大好きです。私、○○○○は日蓮本仏論は素晴らしいと思います。」

好き、素晴らしい、であれば我々も否定は難しいでしょう。しかし他者への説得力、説明、「信仰させる理由や根拠」正しい根拠、教団の正当性の根拠にはなりません。議論への反論になり得ません。

好き、素晴らしい、は自分(I)の感情です。
他人は否定出来ません。他者は否定出来ません。
しかし説得力は「0」です。
鰯の頭が好き、素晴らしい、URLにも尊く見える、ありますね。

2.
日蓮本仏論の問題点は
「日蓮が御本仏であるから正宗、学会に入信しなさい」、という勧誘、(正宗、学会の)正義、最高位の思想として、根拠の一つとして長らく言われてきた点です。

現代、特にインターネット時代になってからは
「恵心流中古天台口伝法門」
「日蓮遺文に日蓮本仏論が書かれていない」
が明確になると、日蓮本仏論の根拠が崩れたということなのです。

犀角独歩さんが以前日記で
「結局のところ、学会・顕正会を含む大石寺教学は素人騙し」
http://gree.jp/8028711/blog/entry/214966064
この様に書かれていますが、同感です。
私は学会員であった当時も今も素人ですが、脱カルト出来る、退会出来る、嘘を言わない程度には勉強したという事です。

98. 犀角独歩 (19) - 05/06 09:34
(つづき)ここでわたしがぶち当たったのは「釈尊上行一体の異名」という相伝。
頭をぶん殴られるという譬えがありましたが、わたしはこの辺から、実はぐんと日蓮本仏論の第2ラウンドに入り込みます。

本尊相伝。

「日蓮と御判を置き給ふ事如何(三世印判日蓮躰具)、師の曰はく首題も釈迦多宝も上行無辺行等も普賢文殊等も舎利弗迦葉等も梵釈四天日月等も鬼子母神十羅刹女等も天照八幡等も悉く日蓮なりと申す心なり」

「釈迦と申すは天照太神西天に釈迦と顕はれ諸仏の本誓妙法蓮華経を説き一切衆生悉く是れ吾が子なりと宣ふ、日本に又大明神と顕はれ正直に方便を捨つる本願の誓に酬て正直の頭に宿る、末法濁世の時は日蓮聖人と顕はれ諸仏の本意を顕はす、左れば釈迦上行天照太神、日蓮聖人只一躰の習にして釈迦幼少の御名は日種と、天照幼少の御名は日神と云ふ最も謂れあることなり」
そして、極めつけは『(日)寛記雑々』。

「今寿量文底の意に拠るに、蓮祖は即ち是れ本因妙の教主釈尊なり」

「蓮祖は則ち一念三千の御主なるが故なり。日神は亦是れ本因妙の教主釈尊なり。本因妙の教主釈尊とは即ち是れ久遠元初の自受用報身、妙法蓮華経の五字なり。故に妙法、釈尊、蓮祖、天照大神は一体の異名なり」

「凡そ蓮祖大聖人は若し外用を論ぜば本化上行菩薩の再誕、諸抄の中に或は仏の御使と云ひ、或は霊山相伝等と云ふが如き是れなり。若し内証を論ずれば、久遠元初の本因妙の教主釈尊なり」

「只是れ久遠元初の釈尊の一身なり。故に蓮祖大聖を以て、或ひは上行の後身と云ひ或ひは本因妙の教主釈尊と云ふなり。若し深く此の意を識る則んば、内証外用の相伝天晴地明ならん」

「蓮祖は即ち是れ釈尊の事」(つづく)


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99. 犀角独歩 (19) - 05/06 09:34
(つづき)日蓮は、釈迦の師匠という学会教学は、まさに外用の辺であり、跨節し内証に踏み込めば、日蓮こそ釈迦であるというのが、大石寺における日蓮本仏論の極意であることを知ることになるわけです。
こうした点を外用から内証に、従浅至深に精緻に論じたのが、日応の「日蓮本仏論」でした。しかし、この説法は難解で、外用内証が従浅至深して語られているという文脈を敢えて理解できないように難渋に論じられているのでないかと思える内容です。極意とはそうしたものでしょうが、福重を簡び日応を選ぶ大石寺の流れは、ここにあるのでしょう。

「吾人衆生が主師親、三徳有縁の本仏、本門寿量文底下種の教主釈尊即宗祖日蓮大聖人の御事なるべし。血脉抄に曰く、我内証の寿量品と者脱益の寿量の文底本因妙の事也、其の教主者某也。 依之観之、宗祖は三大秘法総在の御本尊にして、久遠五百塵点劫の当初より此土有縁深厚の本仏教主釈尊なること晴天の日の如くならん。」

ところが、所謂「日蓮本仏論批判」は、この日蓮釈迦一体なる内証に踏み込まず、外用の辺域のみに終始して論じられているわけです。

この点は、いま、こちらのテーマになっている恵心流口伝法門を、換骨奪胎盗用という視点から論じた早坂さんの限界でもあります。

わたしが試みているのは、この内証における日蓮本仏論批判ですが、さて、うまくいくかどうか。

どうしたら、皆さんの理解を導けるか、考えあぐねているところです。


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100. そううそ (16) - 05/06 19:15
犀角独歩さん
こんちは

>この点は、いま、こちらのテーマになっている恵心流口伝法門を、換骨奪胎盗用という視点から論じた早坂さんの限界でもあります。
>わたしが試みているのは、この内証における日蓮本仏論批判ですが、さて、うまくいくかどうか。
>どうしたら、皆さんの理解を導けるか、考えあぐねているところです。

 なんだか書けとMCされている気がしないでもないですが(笑)書いちゃいます。ヽ(^o^;)ノ

>外用から内証に、従浅至深に精緻に論じたのが、日応の「日蓮本仏論」でした。しかし、この説法は難解で、外用内証が従浅至深して語られているという文脈を敢えて理解できないように難渋に論じられているのでないかと思える

そんなに難しい話でしょうか?
日応の「日蓮本仏論」を読んでいませんが、上記のコメントだけでもポイントがいくつかあげます。

1.「外用、内証、従浅至深」が原始仏教以来からの基本的な仏教用語ではない。
2.内証とかの「証」は証拠を前提としない主観的な「内」面的な評価や気持ちでしかない。

>「日蓮と御判を置き給ふ事如何(三世印判日蓮躰具)、
(中略)
>「蓮祖は即ち是れ釈尊の事」

犀角独歩さんが引用して下さった上記の記述は
3.良き評価、良きレッテル張り、執筆者の「そう思いたい」でしかありません。

具体的な言動や働きや結果や根拠を前提とした評価ではありません。
「妙法、釈尊、蓮祖、天照大神は一体の異名」とかありますが、妙法、天照大神なんて釈尊は言っていません。
天照大神なんて具体的な言動や働きにしたって日蓮と釈尊で一致するところは何もないはずです。
ツッコミどころ満載のような気がします。(^_^;A
そもそも「一体の異名」が理由になって信仰の本質ではないはずです。
正宗から見た邪宗に数多くありがちな祖師信仰と全く同じかと。

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101. そううそ (16) - 05/06 19:15
日蓮を称えたい、日蓮を褒めたい、日蓮を高く評価する、だから、その結果、下記のように「褒め称えている」にすぎません。

>妙法、釈尊、蓮祖、天照大神は一体の異名」
>本化上行菩薩の再誕、諸抄の中に或は仏の御使と云ひ、或は霊山相伝等と云ふ
>日蓮と御判を置き給ふ事如何(三世印判日蓮躰具)、(中略)鬼子母神十羅刹女等も天照八幡等も悉く日蓮なりと申す心なり
>学会教学は、まさに外用の辺であり、跨節し内証に踏み込めば、日蓮こそ釈迦である

「主」「師」「親」の三徳とはいいますが、具体的に仏陀が「主人」「師匠」「親」の言動(言葉と行動)をとったからその様に評価されたのでしょう。

難しい言葉の羅列に人は魅せられます。
特に法華経、日蓮遺文などもそうですが、漢字など半分日本語半分中国語で読んだら分かったような気になってしまう所が怖いです。

犀角独歩さんが書いて下さった日蓮本仏論の抜き書きも現代語訳されると、
「それでこれらの根拠は何処にあるの?」という事になる気がします。

やはり、いつかその内、日蓮真筆遺文現代語訳や富士門流BBSをネットにまとめていただくことが大事のような気がします。。。。

ではでは
そううそ

102. 犀角独歩 (21) - 05/06 19:53
そううそさん

どうもです。MC(笑)

日応さんはなかなか名文で、わたしがけっこう好き。また、先に挙げた本尊相伝已来日寛の釈迦日蓮一体の系譜を実に正鵠に表現していると思いますね。ただし、それはその門派での話です。こうした考えは、本地垂迹説の亜型ということでしょうね。

ただ、最終的なところまでいった大石寺教学は、“亜型”の釈迦一仏論である。だから、釈迦を日蓮正宗という批判は、実は外用面での話で、内証には当たらない、ここのところを勘違いして批判しても骨は斬れないということをわたしは言いたいわけです。

それでそううそさんが仰るとおり、「それでこれらの根拠は何処にあるの?」が大事で、そこを詰めていくと、結局、日蓮の言葉には行き当たらないわけですね。

1本は要法寺系、もう1本は仙波談林ということになり、このトピでは後者がテーマになっているわけですね。

現代語訳ですか。うーん、それほど、難しい言葉にはなっていないようですが、しかし、GREE を見ていると、たしかにそうしたことも大事かも知れませんね。

http://gree.jp/?mode=blog&act=view_per_entry&user_id=14637953&urn=urn%3Agree%3Ablog%3Aentry%3A232679214

そううそ (17) - 2009/05/07 06:58
おは!
そううそどぇーす。

 正宗系信徒に反論を行う場合、非常に良く相手を
見極めつつ1つ1つ慎重に会話をしないと、
カルト信者に「安易な」反論と受け取られて
物別れか、逃げ出します。

ですから相手の「スイッチ」に触れない様に慎重に議論を進める必要があると思います。
相手を責めるのではなく、思いやりが必要でしょう。
責めたり追いつめるとますます彼らはカルトに逃げ込みます。
そうではなく、彼らには読ませたり考える時間が必要です。

http://blog.goo.ne.jp/soukagakkai_usotuki/e/e0305b0d4ac2b2c788df266f4e76074f
greeなどで書いたコメントをここに残しています。
------------------------------------------------
日蓮正宗系の人は敵味方思考が強く、また客観的にみると
怒りと恐怖に囚われて思考停止している面があります。

さて、ではこういった一面を持つ人達にどうかかわるか?
というと、実はちょっと難しいところがあります。

ある程度、「反論が必要」だと私も考えていますが、
しかし、恐怖や怒りあるいは思考停止している人に、
こちらも怒りで対処するとますます彼らの恐怖や怒り、
あるいは思考停止は増大すると私は考えています。

ただでさえ現実の厳しさから逃避する傾向性があるわけですから、
アンチからのいじめなどは創価学会にとどまるきっかけになってしまうでしょう。

責める、反論する、これらの境目は無いように見えますが、
ちゃんとあります。
その人を見てケースバイケースに対処するしかないでしょう。
私も気をつけているのですが、彼らと関わった結果、
必要以上に彼らを見下すか、自分に怒りが出てくるなら、
それ以上は関わらない方が良いのかな?
とも考えています。
------------------------------------------------

それとこちらも時には怒っても良いですよ。
実は一般常識の範囲であればOKです。教学を知らない方が自由度が高いんですよ?
教義や相手の良心や信念には怒らない方がいいでしょう。

1.責める
という事と
1.反論する、説明する、説得する
は違います。後者は思いやりや優しさを与えられます。

一般常識

教義や相手の良心や信念
これらを見分けられますか?


返信する
7. そううそ (17) - 2009/05/07 07:11
○○さん
おは!です。

>私も坊主のはしくれですが、まだまだ足りません。
>私は一応はしくれなんでそうも言ってられません

 足りない??上記の内容は順序が違うのでは?

仏陀の思いやりや慈悲や優しさなどの言動があって、
それから、仏陀の言動を残そうと、弟子が「思いやりや慈悲や優しさの言動」を経文や教学としたのでは?
ekさんであれば私より知識はご存じなはず。
ですから教学や知識が足りないなんで事はなく、もうそれで十分かと。。。

修行が足りないと仰っています???


返信する
9. そううそ (17) - 2009/05/07 20:04
こんばんは。

>しかし、彼らには伝わらないような感じがしてます。

伝わらなくて正解です。

100人いたら1人説得出来たら上出来と思うくらいでないと。
1人に10個教学を教えて一つ伝われば上出来と思うくらいでないと。
そうでないと学会員と同じ心理状態になります。

1.私(○○)は日蓮宗の正しい教学を教えている。
2.私(○○)は正しいから説得できるはず。
3.私(○○)は説得出来ない時、腹が立つ。悩む。

悩んでいるのはこの記事な訳です。
折伏が出来なくて悩んだり、悩んだあげく、
学会の書籍や池田氏のスピーチから学ぼう!!!なんて学会員のHP腐るほどありますよ。

1から3の意識や心理状態は私が学会員でバリ活だったときと何も変わりがありません。
創価班だとか池田先生の弟子として。。。なんて歪んだプライドがないだけずっとマシですが。
今のままだとアンチ創価、アンチ正宗というカルトになってしまいますよ。

反論や説得をヤメロと言っていません。

不明点があれば一度TELで話しますか?

そううそ
ではでは

返信する
10. そううそ (17) - 2009/05/07 21:16
も一つ。
仏教を勉強するな、とも言っていません。

あくまで一般常識のほうが実は有利、という私個人の意見です。
仏教知識もFBIさんや犀角独歩さんのように知り尽くしていれば役に立つケースもあるでしょう。同時にFBIさんや犀角独歩さんも心理学やカウンセリング学も学んでいらっしゃるみたいですよ。

http://gree.jp/?mode=blog&act=view_per_entry&user_id=7737268&urn=urn:gree:blog:entry:259251395

13. そううそ (17) - 2009/06/06 18:34
FBIさん
ちはー。

>1度も書き込みもしていないのに、いきなり
>「サークル追放
>創価学会議論所5から追放されました。」

全速でFBIさんから逃げた。って感じですな。(笑)
「自分」が可「愛」いにも程がありますね。

とんでもなく自分、つまり自己愛が歪んでいますね。

こういうことすると悪影響や不健全を自分でがっしりと
抱き締めて維持しちゃうだろうなぁ。。。。。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1014180269/l50

3781 名前:TT 投稿日: 2009/06/15(月) 07:03:52
勤行というのは、どのようにすればいいのですか?
わかる方いらっしゃいましたらご指導宜しくお願いします。

3782 名前:そううそ 投稿日: 2009/06/17(水) 02:18:14
こんばんは
TTさん
はじまして、ハンドル名、「そううそ」といいます。

 そのうちどなたかがきちんとコメントしてくれると思いますが
あくまでも私個人の考え方を少しだけ書きます。

経文とは何なのでしょうか?
それを読む意味って何でしょうか?

経文を読んで書かれている内容を参考にして自分で考え、
困っている人や悩んでいる人を目の前にして救いの言葉や行動を
「与える」事が経文を読む目的だと私は考えています。
様々な経典には過去、人が納得出来たり人が救われたという
事実に近い記録や妄想、あるいは思想が書かれていると思います。

いろいろあると思いますが、一つ言えば病気の人がいれば
薬で済ませるか手術して直すかの手順書みたいなものでしょうか?

この病気にはこの薬。
この臓器の手術方法はこの様に。
とある不安や悩み事を抱えている人には「だいじょうぶだよ?」「こんな経験をした人がいるよ?」

対処、対策、言葉はなんでも良いですが、助け方を知らないよりは知っていた方が良いと思います。
ですから経文を読む目的は 「知ること」「記憶すること」 ではないでしょうか?
経文を日々読むという事で宗教的な意味としては次世代にも
経文の内容(良き宗教思想)を教える為、というのもあるのでしょう。
ですから現代人が他人を救おうと思って意味も内容も知らないで
漢文と日本語読み(?)の中間的な法華経読誦はほぼ無意味だと思います。

勤行で「人を救うという日々、決意をするのだ!!!」という人もいるでしょうが、
強く言う人であればあるほど、私はそこに不健全を感じます。

以上、私の勝手な考えを書きました。
原始仏教や日蓮遺文、宗教的な意義はどなたかがコメントをして下さると思います。

http://gree.jp/?mode=blog&act=view_per_entry&user_id=6780560&urn=urn:gree:blog:entry:264524641

そううそ (18) - 2009/06/22 20:41
こんばんは。
○○○○さん

○陥る理由

>なぜ創価学会に陥るのか?

私から見れば、つるまるさんが日蓮正宗に
陥るのと同じ理由だと考えています。

○正宗が選挙活動をしないから正しいのか?

○○○さんが創価学会の選挙活動に功徳はない、と
仰っていますが、この点は私も同意します。
しかし、選挙活動をする/しない、つまり正宗が選挙活動しないというだけでカルトでなく宗教であり100%正しいとは言えません。

カルトである要件は十分に満たしているか
限りなく黒に近いグレーだと私は考えています。

>仏法は本来、記録と記憶が表裏一体でなければならないのではないでしょう。
しかし、表裏一体では無いために報われぬものも多発しアンチが生まれるのでしょう。

もしかして私の富士門流BBSの発言
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1014180269/3782
「様々な経典は事実に近い記録」
から思いついた日記かもしれませんが、

「仏法は本来、記録と記憶が表裏一体では無いために報われぬものも多発しアンチが生まれるのでしょう。」

>報われぬものも多発しアンチが生まれる

というのは如何な発言かと思います。

私は心理学や原始仏教でMCを解く事が出来た
現実の証人です。私は現証です。

現証ですからキューキョクな御本仏である
日蓮大聖人の仰せのままに私のブログをよく読み
現証である私を肯定して下さい。

でも様々な点であなたが私を肯定出来ないでしょ?

最初からあなたの観点が報われる/報われない
アンチ/シンパ、この2つにしか無い事が問題なのです。
誤解無いように書いておきますが、あなたがこの2つの観点しか持っていないとは私は思っていません。そういう捉え方のクセ、軽はずみな言動パターンが問題なのです。

あなたとは葬儀の議論もさんざんしましたが
私から見ると、葬儀の議論と同じ問題に見えます。
そしてそれは創価などの正宗だけでなく、
カルト問題に共通する問題だと思います。
カルト問題の本質は教義の違いは問題ではありません。

オウムと創価は教義が違いますが、あなた自身がカルトに共通する問題(不健全)を抱えている、ということです。

×
そういう捉え方のクセ、軽はずみな言動パターンが問題なのです。

人や物事に対してそういう捉え方のクセ、軽はずみな言動パターンが問題なのです。
×
カルト問題の本質は教義の違いは問題ではありません。

カルト問題の本質的な問題は教義の違いではありません。
コメント (4)
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