伯母が満99歳で亡くなってから3年が経ったので、今まで捨てられなかった伯母の学習帳やノートを昨日、片づけることにした。
伯母と一緒にした算数の問題や漢字練習、また、滑舌を良くするために私が書いた「早口言葉」などを懐かしく見ていた。
ページをめくって行ったら、私宛の手紙文があった。
『○○様
大変お世話になりました
細やかな心づかひ本当に有り難く 感謝で一ぱいです
ありがとうを何度言っても 心のそこからお礼を申上げます
安心してあのよに行きます
どうかお元気でね ありがとう
楽しい毎日でした さようなら』
と薄い鉛筆の字で書かれていた。日付は書かれていないが、ノートの頁から考えて、目がかなり悪くなっていた伯母が、脳梗塞で倒れる直前に家で書いたらしかった。
伯母の私への最後の手紙だ。胸が一杯になった。果たして伯母に感謝されるような介護ができていたのか、反省させられた。
このページは大切に、私の日記帳に保管したい。
感謝の言葉が言えるなんて、素敵な叔母様ですよね。
ソナタさんのお世話が伯母様にとって最高だったという事だと察します、至らなかったなど思う必要は無いですよ。
叔母様の気持ちが有難く嬉しい事と私は感銘します。
我が母は、若い頃、かなり苦労があったようで、時折、ポツリと口にする事もあったのですが、私自体が苦労話や過去を語りたく無い人間だったので、じっくり聞く事も無く、ただ、ノートを渡して「完成したら自費出版してあげるから書いてみて」と言ったのですよ。
後に、母の遺品を整理している時、そのノートを開いてきたら、全く、解読不能な字でつらつらと綴ってあったので、あぁ、話しを聞いてあげるべきだったな・・・と後悔しました。
でも、それもまた人生・・・と思う事にしましたよ。
「伯母様」と変換すべきを「叔母様」とミスしてました、それも2回も。
一応、直したつもりだったのに訂正が完了してなかったようで、何故か、最近、度々、発生するのでパソコンの所為にしていますが・・・私がボケたのでしょう。
早速のコメントを有り難うございました。
文字の変換連絡もご丁寧に有り難うございました。
「伯叔父母」の意味の違いも、私達の年代なら分かるのかも知れないと思ったりしています。
伊豆の花さんの言葉を、そのまま真っ直ぐに受け取らせていただきます。
昨日、ブログに記事を書いていた時に、初めて伯母の気持ちが有り難く、涙が出ました。
お母様の事を教えていただき、伊豆の花さんのお母様への愛情の深さを感じました。ありがとう!
叔母様から、最後の贈り物が届きましたね。
ブログの上でしか存じ上げませんが、叔母様は素晴らしい人ですね。目の見えるうちにと、ソナタさんへの感謝のお気持ちを記されたのでしょう…
お互いに、気遣い素晴らしい関係を築かれていた証ですね。介護現場にいて、いろいろな御家族様を見ていますが、ソナタさんは素晴らしい介護をなさったと思います。なかなか、そこまで出来ない方もたくさんみえます…読ませていただいて、涙が溢れました…
人生の最後にこんな素敵な贈り物を残せる叔母様の生き方…私も見習いたいです。
早速コメントをいただき、有り難うございました。
また、伯母を専門家としてガチャピンさんに認めていただき、嬉しく思いました。
そうですね。ガチャピンさんの仰る通り、3年後にこうして伯母から最後の贈り物をいただきました。
振り返ると、伯母は私の伯父の連れ合いでしたから、私とは血族でも無く、伯母の養子が生きていれば私の出番は無かった方でした。
縁あって我が家に迎えましたが、近過ぎない関係性が、却って我が儘を取り除き、お互いに程良い精神的な距離間を生み、良い関係を築けたのではないかと思います。
私にとっては人生の先輩として見習うことが沢山ありました。何よりも老いる事の現実を教えて貰いました。
私も伯母の様に老いて行けたらと思います。ありがとうございました。
言い訳になりますが、最近小さなミスが増えました…集中力が途切れるというか…まあ、これも年齢的な物として、悲観的にはとらえないようにしています。
本当に申し訳ありませんでした。
最近では「伯叔父母」の使い方など、余り気にしない時代になっているのではと思います。
最近は私も思いがけないミスをして、他人様に迷惑をかけ、自信が無くなってきました。
脳の処理能力が狭くなって来て、同時に2~3の事ができないようです。
注意したいと思っています。