花好き・旅好き80代の北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だったが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり外国は見合わせている。

憧れの富良野岳登山

2007年07月08日 | 軽登山・登山・軽スポーツ

 昨年、「夕張岳」に登ったメンバーで今年は「富良野岳」に行く事にした。
 登山前日、友人の車に乗り合わせて、午後、札幌を出発し、夕方「富良野岳」の登山口にある十勝岳温泉Rホテルに着いて一泊した。
このホテル自体が一番高い1350mの所に建っているので、1912mの「富良野岳」頂上との標高差は662mになるのだ。
 日没前、座敷のまどから「三峰山」「十勝岳」の頂上を見ながら夕食を食べた。

 しばらくすると、「日没が素敵なので玄関先に出ては」と、ホテルより連絡が来た。食事を中断して出て見ると、既に30人程の宿泊客が浴衣姿でベンチに座っていた。徐々に沈む太陽を見ながら、ビールの影響もあってか皆さんはしゃいでいた。

 翌朝4時に起き、前日の夜、ホテルに作って貰ったお握りを食べ、玄関前で簡単なストレッチをしてから5時に登山を開始した。天気予報は晴れ。空気は冷たく爽やかで、風通しの良い場所では寒い位だった。

 登山開始後30分で、1857年(安政4年5月)の大噴火後、今も噴煙を上げている「安政火口」の60m位手前に着いた。安政火口の後ろ側は、茶色い土がむき出しになった荒々しい山肌が屏風のように切り立った崖状になっている。その頂上は「三峰山」という名が付けられているが、古い昔の噴火を思い起こさせる光景だった。(写真左、日が昇る前なので暗い)
下の数件のホテルは、この火口の傍から湧く温泉水をパイプで下に引いているのだという。温泉の湯は茶色で不透明、かなり温度が高かった。
 前に来た時には無かった溶岩流の監視カメラが左手の崖の上に設置されていた。

 安政火口を左に見て、涸れ沢のヌッカクシ富良野川(写真右、下山時に撮した)を対岸に渡ると、そこはもう「富良野岳」への登山道だ。

 

 岩だらけの道を登る事1時間程で、ハイマツが群生していた。さらにしばらく登ると、雌阿寒キンバイやエゾルリソウ、高嶺ナナカマドなどがぎっしりと咲くお花畑に着いた。
 そこから頂上までは、登山道の両側に短い夏を精一杯謳歌する様に咲き誇る名の知らない花々を楽しみ、写真も時々撮りながら登った。(写真)
急な道では息が切れそうになって休んだが、間もなく頂上に着いた。時計を見たら8時、私達は、丁度、3時間で登ったのだ。
 

 頂上の丸太で作られた「富良野岳」の標識は立派だった。早速、その横に立って記念写真を撮った。
 360度、何処を見ても息を飲むような素晴らしい大自然だ。
 南西方向はるか遠くに、去年登った「夕張岳」が霞んで見えた。

 反対側に頂上が尖って、山肌が茶色い山は「十勝岳」2077mだ。見ると時々、形を変えながら白い噴煙を噴き上げている。
 「十勝岳」は安政の噴火後も明治20年、大正15年、昭和37年、昭和63年と4回の噴火を繰り返した山だ。本によると大正15年(1926年)の大噴火では、最初の爆発とその40分後の爆発で発生した泥流が硫黄鉱山事務所を飲み込み、一気に谷を下って、25分で25km離れた下の上富良野原野に到達し、二つの町を埋めて144人が死亡、372棟の建物と多くの家畜や鳥を失ったと書かれている。
 「十勝岳」の向こうには「美瑛岳」2052m、さらに奥には「オプタテシケ山」2013mと続き、一番遠くに筋状に沢山の残雪を見せ、青白く浮かぶのが「トムラウシ山」「旭岳」などが連なる大雪連峰だ。(写真)



 あまり広くない頂上に、続々と登山者が登って来て、すぐに20人を超えた。山開き後の晴天の日曜日ということで、私達のような登山者が沢山来るのだ。
 頂上では友人が簡易コンロで湧かしてくれたお湯で、スープとコーヒーを頂き、簡単な食事をした。私はバナナと菓子パンを食べた。

 下りは、眼前に十勝岳、遠くに大雪連峰、足元に咲き誇る高山植物を見ながらのすごく贅沢なものだった。
 私と一人の友達が膝が弱いので、ゆっくり慎重に下ったら3時間かかった。下る途中、ツアーらしいグループやタンクトップ姿の外国人家族、小学生の子どもを連れた家族、単独登山者などとすれ違った。
 登山口に戻って時計を見たら、丁度12時だった。頂上での40分の休憩を入れて、往復7時間かかった事になる。

 泊まったホテルの温泉で汗を流し、上がる前に冷水を足に何度も掛けてほてった足を冷やした。こうすると翌日の筋肉痛が軽くて済むようなのだ。着替えてから昼食を食べた。

 「富良野岳」は、岩がごろごろしている気の抜けない道が続くが、見晴らしも高山植物も素晴らしい良い山だった。疲れの中にも充実感を感じながら札幌に向かった。着いたのは夕方だった。 

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藻岩山に登った

2007年06月05日 | 軽登山・登山・軽スポーツ


  今朝は何故か3時半に目が醒めたので、掃除、洗濯を済ましても、まだ6時半。明日は久し振りに雨の予報なので、急遽、札幌の南区にある「藻岩山」に登ることに決めた。
 急いで食事をして、簡単な準備をし、7時半に家を出た。
 
 「藻岩山」は標高が531mの山でスキー場があり、山頂までは年中、北側からのロープウエーが運行しているし、南側からは有料の観光道路も整備されている市民の山だ。

 登山道は北側の慈恵会病院からのコースが最も一般的で夏木立の中を登るのは気持ちが良いが、その少し西側にある旭山公園からのコースはアップダウンを楽しめる。また、西側にある小林峠からのコースでは、登山というよりも静かな原始林の中を散策する様な雰囲気の登山道がしばらく続き、途中で慈恵会コースに合流するのである。
 私は最近、最も時間を短縮して登れるスキー場コースを利用する事が多い。東側にあるスキー場の駐車場まで車で上がれるので、その分、結構、登りが楽なのだ。

 人通りのほとんど無いスキー場の入り口に差し掛かった時、リュックをしょって日焼けした顔で歩いている男性を見かけた。
 車を止めて、「上の駐車場に行くなら、どうぞ乗って下さい。」と声を掛けた。車なら5分でも、歩くと20分位はかかる、結構、きつい上りなのだ。
 その人はリタイア組の私と違って、まだ若く見えたので、駐車場で登山靴に履き替えながら、「ウイークデイに来られて良いですね。」と話し掛けた。すると、「自営業なので適当に暇ができると、3年前から登山をするようになりました。」という答えが返って来た。そうなのかと納得した。
 10分程一緒に登ったが、私とはスピードが違うので先に行って貰った。

 それから少し登ると鶯の透き通った鳴き声が聞こえだした。歓迎してくれているようで嬉しかった。
 そう言えば前に来た時には、この辺りで雉に出逢ったな、等と思い出しながらゆっくり登って行った。間もなく、前を歩いていた男性の姿が見えなくなった。
 
 7合目辺りに行くと、山菜を採っている人達に出逢った。ある夫婦は採ったばかりのわらびをレジ袋一杯持っていたし、大分伸びたウドを採っている人達もいた。山菜採りが好きな人は、一石二鳥の登山をしているのだろう。

 頂上まで上りは1時間かかった。さっきの人が私が着くのを待っていてくれた様で、10分位登山の話しをしてから別れた。彼はスキー場とは反対側の慈恵会病院へ下り、それからまた、1時間で登れる丸山に登ってから帰ると言っていた。やはり若いし、私とは気力が違うなと思った。
 まだ時間が早かったためか、霞がかかっていて、札幌の街も、遠くの山並みもぼんやりしていた。東側の山並みの向こうに見える残雪がある山は、多分1、488mの「余市岳」だ。(写真) このような景色は、頂上でしか見ることはできないと、登山をするといつも思う。



 45分かかって下山した。
 
 家に向かう途中、時々利用する回転寿司屋が見えて来た。寄って昼を食べるかどうか迷ったが、時計を見るとまだ11時過ぎだった。昼には早すぎると考えて素通りし、帰宅してから携帯食に持参した餡パン一つとチーズに、冷蔵庫の牛乳を加えて食事を取った。何と私は節約家なのだろうか。
 今日は、とても満足した午前中を過ごせたので嬉しい。
 
 
 

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今年初めての軽登山

2007年05月12日 | 軽登山・登山・軽スポーツ

 シルバー人材センターの登山クラブに入れて貰って、今年初めての軽登山があった。
 目指す山は、札幌の奥座敷、定山渓温泉の「夕日岳」594mだ。
 名前の由来は、夕日を見る山ではなく、温泉街が日暮れても、その山が夕日に照り映える姿から来ているらしい。
 (温泉街を挟んで反対側に「朝日岳」という598mの山があるが、こちらも温泉街から見て、最初に朝日に照らされる山、という所から名付けられたらしい)

 車に何人かずつ便乗させて貰い、登山口まで1時間余りかけて行き、朝8時半頃、曇天の中を登山開始した。
 鶯の綺麗な鳴き声に迎えられながら、気分良く、森林の中の緩い登山道を登って行った。
 まもなく蝦夷エンゴサクの群生地があり、丁度、花が満開で、登山道の両側と山の斜面が明るい青紫色に染められていた。私がこの花の青紫色の絨毯を見たのは初めてだった。この花はやがて赤紫色に変化するらしい。

 また、少し行くと、斜面でピンク色の6弁の花をつけたカタクリの群落に出逢った。こんなに多くの満開のカタクリが、ぎっしりと密生している場所を見たのも始めてだった。
 カタクリは地下の鱗茎を洗って砕き、水に晒すと澱粉が採れる事から、片栗粉の語源となった植物だが、山菜実用図鑑によると、葉もおしたしにしたりテンプラにして食べると美味しいらしい。でも、春を待って一斉に可愛い花を開かせたカタクリを、とても採取する気持ちにはなれなかった。
 
 507m地点の見晴台からは、下の温泉街を挟んで遥か向こうに、まだ深い雪で真っ白に覆われている「無意根山」1,464m「余市岳」1,488mが臨まれた。新緑に覆われた山並みの向こうで、二つの山は白くキラキラと輝いているように見えた。

 見晴台を過ぎると、登山道の所々に残雪があり、滑らないように注意しながら登った。 
 リーダーは初参加した私を配慮してゆっくり登り、15分置きに休憩時間を取ってくれた。丁度1時間で標高差300mの頂上に到達した。

 頂上は高い木々で取り囲まれていて見晴らしは悪かったが、10分位の休憩時間に近くの方々と交流した。
 中でも、現役時代は営林署に勤めていて、国有林の林道の整備を仕事にしていたという初参加の方が履いていた立派な地下足袋には感嘆した。
 また、その方はとっくに退職しているのにもかかわらず、刃渡り30cmもあるような大きなナタを腰にぶら下げ、私達の先頭で登山道を塞いでいる倒木や枝をそのナタを力一杯振り下ろして切りながら登ったのだ。
 途中で仲間の女性が、「誰にも頼まれた訳でないのに、どうしてそんな大変な事をするの」と聞くと、彼は、「仕事で身に付いた癖が抜けないんだ」と答えていた。「仕事の癖」という説明には、私も十分納得できた。

 低いが中程からは結構な傾斜が続く山なので、下りは滑らないように緊張した。途中で数人のグループが登ってくるのにも会った。慎重に下ったので50分かかった。
 
 下山後、野外バーベキュー施設で楽しくお喋りしながら昼食を食べた。
 さすが何年も一緒に登山している仲間らしく和気藹々としていて、おまけに私よりもずっと高齢な方達なのに、皆、実にはつらつとしていた。実際はシルバー年齢でも、「もう年だから…」などとは決して思っていない方達ばかりで、私は大いに刺激を受けて帰宅した。初登山の疲れは快かった。
 
 

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私の軽登山略歴 《4》 2004年・2006年

2007年02月25日 | 軽登山・登山・軽スポーツ


 2004年 

 3月に60歳で38年間の仕事を停年退職しました。
 5月の「藻岩山」スキー場リフト上コースで、初めて雉と対面でき幸せでした。
 6月にはバスツアーで日高の「アポイ岳」に、また8月には網走まで7時間掛けて車で走り、翌朝、網走から知床の「ホテル地の果て」迄走り、木下小屋から一人で「羅臼岳」に登りました。
 二山とも今まで以上に疲れやすく、山頂を眼前にした8合目当たりでギブアップしてしまい、いよいよ年齢的に体力が衰えたのかなと残念に思っていました。

 ところが秋に思いがけない病気「
乳がん」になっている事が分かり、手術そして病院通いをする羽目になったのです。
それからの1年半は、軽くパークゴルフをしたり、ウオーキングをする程度で、登山は諦めざるを得ませんでした。

 2006年登山再開

 少しずつ体力が付いて来たと感じていた頃、友人から「雨竜沼湿原」(7月8日)のバスツアーに誘われたのです。それが契機になって再び登山を再開しました。

 ①「雨竜沼湿原」 今までの私は一人での登山が多かったのですが、このツアーでは雨後の滑りやすい岩だらけの登山道を、標高差を300m、2時間で若い男性添乗員に追われるように登らされました。
 さらに湿原に着くと1時間で遊歩道を一回りして来るように指示され、ゆっくりと花々を見る暇もなく、駆けるように回って降りて来ました。ツアー登山の欠点を思い知らされました。
 でも久し振りの登山に、私の気持ちのロックが外されてしまったのです。
 


②「夕張岳」 雨竜沼登山が契機になって元気が出、思い切って7月30日には憧れだった夕張岳(1668m)に登ることにしました。
 前日に友人2人と山小屋に泊まり、朝6時前に出発し、私のペースに合わせてもらってゆっくりと5時間50分かけて頂上に着きました。
 この登山で適切なガイド役の大切さを再認識しました。それと共に、ようやく私は前のような体力の自信を取り戻したのです。

 ③大雪「銀泉台」  

 9月17日には夕張岳に行った友人とバスツアーに参加して、「大雪山銀泉台」(標高1500m)へ行きました。
 紅葉は8分方進んでいて、人出も今年最高と報じられた位多かったのですが、友人と「今度はもっと上の赤岳まで登りたいね」と話したりしました。写真右は、銀泉台から遙か遠くの大雪山系を撮りました。中央の山は二度登った事のある黒岳です。
 山岳連盟の副会長という経験豊富なガイドが、適切な時間配分のガイドをしてくれたので、とても楽に紅葉を楽しめた良い登山でした。
 
 ④「愛山渓沼の平」


 さらに気を良くした私は、翌週の9月23日、一人で「愛山渓・沼の平」登山(1430m)のツアーに参加しました。
 登山道は背丈より高い笹藪に覆い隠された所が多く、また、湿原からの流水で粘土質の道がひどいぬかるみになっていて、私にとっては今まで経験した事の無い程、厳しい登山でした。
 でも山岳連盟会員で大雪山系に経験豊かな熟年のガイド氏のお陰で、「カムイミンタラ」(神々の遊ぶ庭)と名付けられた標高1500mの高地にあるいくつもの沼と、初雪をかぶった山々に映える素晴らしい綾錦の世界を見ることができました。私は大きな感動を覚えて下山しました。

 沼の平は私一人では絶対に行けない所でした。泥だらけの靴と服を「愛山渓温泉」に入って着替えてから、札幌までバスの中で眠りながら帰りました。疲れた身体で運転しなくても良いのもツアーの良さだと納得しました。

 ⑤ハワイ・オアフ島の「ダイヤモンドヘッド」   

 

 11月末に「ハワイ4島巡り」のツアーに参加しました。

スーツケースに杖を偲ばせ、最終日の12月2日の自由行動日には、真珠湾を見下ろす休火山の「ダイヤモンドヘッド」に登りました。写真は噴火口の底にある登山口から見た山頂です。
 ホノルルのホテル街から1弗支払ってワンマンカーの循環バスに乗り、登り口迄行きました。(ホノルルのバスには時刻表が有りません。20分も待ちました)
 ガイドブックでは登り1時間と出ていましたが、実際には登り35分、下り28分ととても楽な登山でした。
 頂上の展望台からの眺めは、青い海とビルが林立するホノルルの町、反対側の海岸沿いに広がる整備された緑地などが素晴らしく、休火山の火口を真下に見下ろせたのも貴重な体験でした。それと共に、私にとってハワイの旅の最高の思い出となりました。

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私の軽登山略歴 《3》 2002年・2003年

2007年02月24日 | 軽登山・登山・軽スポーツ

 ⑤2002年 

5年目は、家を早朝出発してニセコ迄1時間半程走り、 「ニセコアンヌプリ(1309m)「チセヌプリ」(1134m)「シャクナゲ岳」(1074m)「白樺岳」(923m)「目国内岳」(1220m)など、ニセコの山々に通った年でした。

 この年はまた、少し遠い当別「道民の森」にも通い、「神居尻山」(947m)「隈根尻山」(971m)に登りました。
ABCの3コースある「神居尻山」は、一番距離の長いAコースを残していましたが、この年の秋にAコースから登り、やっと全部のコースを体験したのです。急登のBコースは、いつも下りる時に利用していました。登りはCコースからが一番楽で、私に適していると思いました。

 秋の母の命日には「手稲山」(1023m)に行きました。

平和の滝奥、ガレ場入口の美しい紅葉に感動しましたが、帰り道の遠さにはすっかりバテてしまいました。

 ところが秋に受けた退職前の人間ドックで、私の「肺活量」が同年齢の女性の平均値の60%しか無い事を知りました。道理で登りの息の切れ方が強かった訳です。医者から「生まれつきなので、どうすることもできません。」と告げられました。
 それまでも登りはできるだけゆっくりと写真を撮ったりしながら行くようにしていたのですが、それからは一層、マイペースで無理をせずに登るように注意しました。

 ⑥2003年

この年は手近な「藻岩山」(531m)に通い、「慈恵会コース」以外に「旭山公園コース」「小林峠コース」「スキー場コース」「スキー場リフト下コース」と藻岩山の幾つものルートを体験しました。
 それ以来、頑張りたい時は「慈恵会コース」から楽をしたい時は負担の少ない「スキー場リフト下コース」から登るようになりました。
 「藻岩山」は大都市の傍にありながら、手軽に四季の変化を楽しめる素晴らしい札幌市民の山だと思います。

 春には「尻別岳」(1107.2m)に喜茂別コースから登りましたが、高めの気温と急登続きできつかったけれど、目の前の雄大な羊蹄山に感動しました。

 8月6日には2回目の「大雪山縦走」(黒岳ロープウエイ~旭岳ロープウエイ)ツアーに参加しました。
 今回は晴天に恵まれましたが、おにぎり3個と水だけで、10時間半の行程を頑張ってついて行けた事が嬉しかったです。

旭川の女性山岳会員の適切なガイドに感謝しました。
 

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私の軽登山略歴 《2》 2000年・2001年

2007年02月24日 | 軽登山・登山・軽スポーツ

 ③2000年

 この春は薬局で生ゴムのサポーターを買い下山時に傷む左膝に巻いて出掛ける事にしました。これは結構、効果がありました。
 春の足慣らしに「藻岩山」(531m)に3度通い、夏には「札幌岳」(1294m)「神居尻山」(947m)「空沼岳」(1251m)「岩内岳」(1085m)と登って、標高1000m前後の山ならマイペースで登れる様になり、大分、体力にも自信が持てるようになりました。

 でも下山後3~4日は決まってひどい筋肉痛になり、階段の下りが辛い日が続きました。

しかし、不思議と痛みが弱くなると、又、次の日曜日は、晴れたらどこに行こうかと、ガイドブックを開く自分がありました。

 ④2001年

 4年目になると、6月に支笏湖畔の「風不死岳」(1102m)に初めて行き、間近に見る樽前山、遠くの羊蹄山の景観に感動しつつも、帰路の遠さに疲れが増しました。

 夏7月30日、初めてツアーに参加して、雨の「大雪山を縦走」(黒岳→旭岳)する経験をしました。
前日、車で2時間走って層雲峡に行き、予約していたホテルに泊まりました。
翌朝は5時半にホテルを出発し手ロープウエーに乗りました。更に上でリフトに乗り換え、黒岳の登山口に着きました。霧雨の降る中、視界も不良で、黒岳山頂では何も見えません。一列になってアップダウンしながら行きました。
途中みぞれ交じりの雪が降り、真夏でも高山の気候の変わりやすさを知りました。雨の中、中岳で立ったままの状態で昼飯を初めて食べました。でも雨に霞むお花畑の素晴らしさに癒され、満足して下山しました。

 翌日の昼、ホテルから真っ直ぐ車で斜里に走り、翌日「斜里岳」(1545m)の登山口を確認、その次の日、初めて「斜里岳」の沢登りを体験しましたが、沢でぶよの洗礼を受け、何日か腫れて見られない顔になりました。この事があってから洋品店に行って黒のチュールを30cm買い、頭からすっぽりかぶる虫除けを手作りしました。

 秋、母の命日の9月23日に母が背中を押してくれる様に感じながら、初冠雪後「羊蹄山」(1898m)に登りました。
 前日急に思い立ったので、秋の連休日、宿を見つける事ができず、初めて役場の駐車場で車中泊をしました。毛布一枚では寒くてよく眠れませんでしたが、傍のコンビニで朝と昼の食料を調達し、こんな時のコンビニの良さに気づきました。

 朝日に輝く「羊蹄山」は初雪で覆われていました。水場が無いので水を3L持ち、7時前に登山を開始しました。
 口が渇くとまんじゅうやパンは喉を通らない事が解りました。
 「羊蹄山」の頂上に着いてみると、大きな噴火口が一つと小さなのが二つあり、その間に結構な面積の平地もある事が分かり、下から想像していた様子とは大違いでした。
 この登山で私は、「羊蹄山」は「一人でもマイペースで登れる山だ」と気を良くしました。

 下山後、祝日の中山峠がひどい渋滞で、札幌まで3時間もかかり疲れましたが、自宅近くの回転寿司に飛び込んで空腹を満たしました。
家に帰ってズボンを脱ぐと、後ろが泥だらけで、寿司店ではきっと嫌われたに違いないと反省しました。

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私の軽登山略歴 《1》1998年・1999年

2007年02月24日 | 軽登山・登山・軽スポーツ

 私が登山をするようになってから、かれこれもう8年位になります。
 当時、医者から高血圧症の治療の一環として毎日の運動を勧められたのですが、毎日朝早くから夜まで働いていたので、日曜日にまとめて1週間分の運動ができないものかと考えた結果、試しに始めたのが軽登山だったのです。
 それまでマンションの隣にあった市の公園周囲をジョギングしたり、少し遠くまでウォーキングをしたりもしましたが、単調で長続きしませんでした。
 しかし軽登山には、いつも目指す頂上があり、そこに辿り着けば、見たことのない凄い景観に我を忘れる事ができるのですから、飽きっぽい性格?の私にも続いたのだと思っています。

 次にこれまでの私の簡単な「登山記録」を書いて見ます。

 ①1998年 
始めは標高300m程度の琴似の「三角山」に登りました。そこから見た札幌の街は、信じられないくらいの迫力で私を圧倒しました。

 直ぐに次の計画を立て、近郊、定山渓の「八剣山」(標高498m)、JRで小樽の向こうの塩屋駅まで行って登った「塩屋丸山」(629m)、「定山渓小天狗岳」(765m)、車で7合目まで行けるので1時間弱で頂上に登れる「樽前山」(1041m)とガイドブックを頼りに少しずつ標高差の高い山に登り始めました。

 雨降りの翌日登った「小天狗岳」では、粘土質の急峻な登山道が滑って、なかなか上手く下りる事ができなかったのですが、近くに住み、よく登るという63歳の男性の方が助けてくれました。
それ以来、私は、赤い帽子やバンダナなどを身につけて、少しでも若々しく見えるような出で立ちで出掛ける事にしたのです。その方が困った時に助けて貰えそうだと思ったからです。
 
 そして、その年の夏にはついに「札幌岳」(1294m)や「尻別山」(1107m)に登頂でき、秋には「大雪山旭岳」(2290m)、「恵庭岳」(1320m)にも登れ、自分の登山力成長に気を良くしました。
 道民の森の「神居尻山」(947m)は、その急峻な山容が気に入り、少し遠いのですが、翌年から何度も通う事になりました。

 ②1999年 
この年は雪解けを待って初めての「藻岩山」(531m)、支笏湖を見下ろす「紋別岳」(865m)と隣の「イチャンコッペ山」(829m)、銭函から「春香山」(907m)に登りました。

 5月始めのこの年の「藻岩山」は、雪解け水が登山道に溢れてぬかるみに足を取られ、長靴を履いてくるべきだったと反省しました。
 また、「イチャンコッペ山」では、私の後を鶯が良い声で鳴きながらずっと着いてきてくれ、ことの他嬉しかったです。
 「春香山」では、5合目位から上にはまだたっぷりと残雪があり、特に山小屋の裏は雪解け水の流れる小川ができていて、短い登山靴で渡るのは厳しかったです。
下山時は頂上から雪上を滑り降りて楽しかったのですが、雪の傾斜路を登るのは一足ずつ滑って戻ってしまうため、本当に疲れるものだと思いました。下山後、車の運転中、意識が時々無くなるのではと思う程疲れ、やっと帰宅しました。

 夏には「手稲山」(1023m)、道民の森から「ピンネシリ」(1100m)にも登りました。
両山ともやっとの思いで頂上に着いたのですが、見ると立派な車道があり、ひどくガッカリした事を覚えています。手稲山では、大きな岩盤が積み重なっているガレ場のきつい登りを体験できました。
 
 秋には定山渓奥の元山鉱山から「無意根山」(1465m)へ、また、遠出をして「雄阿寒岳」(1370m)、「長万部岳」(972m)へと標高も所要時間も増して行きました。
それと同時に、下山時、左膝が傷むようになり、整形外科に行きましたが、「登山を止めなさい」と言われただけでした。

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私にとって登山とは

2007年02月16日 | 軽登山・登山・軽スポーツ

 
 医者が私に運動を勧めた目的は、血圧を下げるためのダイエットだったのですが、私の場合、結果的に登山は余り役に立ちませんでした。
 2日位前からは体力を付けるためにしっかりと食べますし、下山後は飲むもの食べるもの全てが美味しく、つい、食べ過ぎてしまうからです。でも、足腰の筋力と持久力はついたのではないかなと思います。

 何よりも登りは結構辛いのですが、頂上で見る景観はそこに立つ者だけに見ることを許された世界です。
 また、自分の足と身体、目で成し遂げた登頂の達成感、充実感、満足感、良い汗をたっぷりかいた後の快感は何物にも代え難く、それでみんな登山中毒(?)になるのだと思います。

 ドライブをしていても、山の形状を見れば遠くの山でもその名前が分かり、登山道の具体的な様子を思い出す事ができます。 登った山を見ると、頂上に自分が「バンザイ!」と両手を広げて立っている姿が見える様に思うのです。そして、その山が「私の山だ!」と思う様になれる事は凄いと思います。

 また、登山を始めてからの数年間、衣料品店に行けば、つい登山に良い綿のシャツやズボンに目が行ってしまい、そんなものばかり買っていました。ですから登山の費用といっても、今までは車のガソリン代位なものですから、他の趣味や休日の過ごし方に比べれば、登山は、随分、経済的であり、おまけに体力が付くなら、私にとってやっぱり最高なのです。
 これからは、今まで登った山を再訪して、自然をたっぷり楽しみ、安全な登山をしたいなと考えています。友達と一緒に行く場合は、交流も大切にしたいと思っています。

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