そばの花 2012-09-30 06:52:42 | 近所 家から歩いて15分ほどのところにある蕎麦畑。横浜では稀な生産地だ。 今年も秋ソバの花が咲くころとなった。 白い花はとても小さいけれどしっかりした姿だ。 ソバの花には雄しべがしっかり目だつ短花柱の株と雌しべの方が長い長花柱の株とがある。 自家受粉を裂けるための仕組みらしい。 10月中ごろになるとこの畑で ソバの花をめでるイベントが行われることになっている。
星みたいな白い花 2012-09-29 05:46:52 | 近所 近所の原っぱや道端にニラが咲いている。繁殖力が強いらしい。 星のような白い花が集まってアリやチョウなど虫にも人気がある。 もう面白い形の実が出来ているのもある。 家の庭にも星型の白い花が咲いている。トウガラシだ。 つぎつぎと青い実ができて熟すと赤くなる。 近所の林の縁で延びた蔓に花のようなものがついているので何だろうと足を止めた。 蔓や葉の様子からセンニンソウの花後と思い当たった。 この花柱がやがて仙人の髭になるのだろう。
最近見たイヌ・・ 2012-09-28 06:49:54 | 近所 イヌホオズキ(ナス科) 植物の名前の頭にイヌとつくものが知っているものだけでも20種類以上ある。 イヌゴマ(シソ科) イチモンジセセリが止まっているピンクの花はイヌゴマ。 シソ科にはイヌゴマのほかにイヌトウバナ、イヌコウジュ、イヌハッカなどもある。 イヌビワ(クワ科) 木ではイヌビワ。 名前はビワだけれどイチジクに近いので、これは実ではなくて花序だ。 イヌマキ(マキ科) イヌマキは単にマキとも呼ばれる。 ラカンマキやナギも同じマキ科だが、ホンマキとして人気があるコウヤマキは別の科だ。 イヌマキには面白い実がなる。 先端についているのが果実で紫色や赤くなっている部分は花託(花床)だ。 熟した花託はちょっと甘くて食べることが出来る。 さまざまなイヌがあって面白い。
根黄蜻蛉 2012-09-27 06:17:26 | 近所 ナツアカネにアキアカネなどさまざまな赤トンボが見られる季節になった 草を刈ったあとにフラフラと飛んだり止まったりする真っ赤なトンボがいた。 ショウジョウトンボだ。 猩々と呼ばれるように、脚も含めて全身が赤く翅の付け根のあたりも色づいている。 池の上で止まっているのも真っ赤だがショウジョウトンボと少し雰囲気が違う。 初めて見たネキトンボだ。 ショウジョウトンボによく似ているが脚は赤くないし胴体がほっそりしている。 少し分かりにくい写真だけれど胸のところにナツアカネなどと同じような黒筋の紋がある。 ショウジョウトンボには筋がないというのが大きな区別点だそうだ。 つまりネキトンボはアカネ属だがショウジョウトンボはそうでない。
田んぼの草花 2012-09-26 06:11:08 | 近所 チョウジタデ(アカバナ科) 田んぼや畔の周りには特有のさまざまな草花が見られる。 チョウジタデは水田の畔との境目あたりに見られ黄色い花と丁子のような実が特徴だ。 ホソバヒメミソハギ(ミソハギ科) ミソハギより小型のホソバヒメミソハギもチョウジタデと同じような場所に咲いている。 チョウジタデは稲作とともに入ってきた史前帰化植物だが、ホソバヒメミソハギは最近になって米大陸から帰化したらしい。 キカシグサ(ミソハギ科) さらに小さなキカシグサもホソバヒメミソハギの近くで見ることが多い。 ウリクサ(ゴマノハグサ科) ウリクサやトキワハゼなどは田んぼの中でなく畔の方で咲いている。 クルマバザクロソウ(ザクロソウ科) ザクロソウやクルマバザクロソウは田畑ばかりでなく道端など広い範囲で見られる。 花弁に見えるのは萼だそうだ。 3本の雄しべは雌しべに寄り添っているように見える。
ヤマホトトギスなど 2012-09-25 06:14:54 | 近所 ヤマホトトギス(ユリ科) いつまでも暑い暑いという長い夏だったがようやくヤマホトトギスが咲き始めた。 ホトトギスの仲間は似たのが多いがヤマホトトギスは斑点のある花被片が強く反り返る。 タイアザミ(キク科) アザミの仲間も春から夏に咲いていたノアザミに代わって秋のアザミが咲きだした。 タイアザミは総苞のトゲが大きくて痛い。 ノハラアザミもそろそろ咲き出すころだろう。 ツリバナ(ニシキギ科)の紅い実も弾けた。 マユミはどうなっているだろうか。
蝶がいるところ 2012-09-24 06:21:10 | 近所 ウラナミシジミがハギの花のまわりを飛んだりときどき止まったりしている。 蝶が草木に向かう目的の一つは花の蜜や樹液を吸うこと。もう一つは卵を産むことだろう。 このウラナミシジミはどちらの目的だろうか。 ウラナミシジミの幼虫の食草はマメ科なので葉の裏などに産卵したとにちがいない。 林の縁で見たイチモンジチョウはあちらの葉、こちらの葉と飛び移っていた。 イチモンジチョウの幼虫の食草はスイカズラ科だが、この時は特に産卵の気配を感じなかった。 ムラサキシジミもやっぱり林の縁で見ることが多い。 幼虫はアラカシなどブナ科の木の葉が好きなのだが成虫は何を食べたり吸ったりしているのだろう。 アカボシゴマダラはエノキのまわりで見つける機会が多い。それも幼虫の食草のせい。 この光景を見て成虫はクヌギなどの樹液を吸うのだと初めて知った。 そこへスズメバチがやってきてアカボシゴマダラは逃げて行った。
遅れているヒガンバナ 2012-09-23 07:10:28 | 近所 ヒガンバナ(ヒガンバナ科) 暑さのせいか雨が少なかったせいか遅れていたヒガンバナが何とかお彼岸に間に合わせた。 しかし有名な日向薬師あたりではヒガンバナが咲きそろう前に稲刈りが始まっている。 農家の方に聞くと例年よりずっと遅れているのことだった。 ここは日向薬師下の白髭神社の裏手の風景だ。 ヒガンバナにはアゲハの仲間が似合う。クロアゲハとモンキアゲハ。 こちらはキアゲハ。 蕾にはミヤマアカネなどトンボたちが止まる。 そんなのを観察しているとネジバナ(ラン科)が目に入った。 春の花とばかり思っていたが秋咲きもあるらしい。
近所の草花 2012-09-22 06:23:03 | 近所 ここは我が家から歩いて1分くらいの場所で、左手擁壁の上は県立高校。 右側には小さな川が流れていて道路との間に雑草と呼ばれるものがいっぱい生える。 今ごろ花が咲くものだけでもヨウシュヤマゴボウ、ヤブガラシ、ママコノシリヌグイそれにオオブタクサなど。 アメリカタカサブロウもそんな一つ。 アメリカタカサブロウ(キク科) 在来のタカサブロウは水田雑草の一つだそうだが、帰化植物のアメリカタカサブロウは広い範囲で見られる。 上の写真では筒状花の黄色いシベが目だち、こちらは舌状花の白い雌しべが見られる。 イヌホオズキ(ナス科) イヌホオズキの白い花は小さくても花弁が反り返って偉そうな雰囲気だ。 すでにたくさんの実がなっている。いずれ黒く熟すだろう。 オオニシキソウ(トウダイグサ科) イヌホオズキやアメリカタカサブロウ隙間を埋めるようにオオニシキソウも立ちあがっている。 オオニシキソウなどトウダイグサ科の仲間の杯状花序は何度見てもユニークだ。 マメアサガオ(ヒルガオ科) 川との境のフェンスに絡まんだ蔓が白い花を咲かせていた。 この茂みはときどき刈られるが、すぐまた草が延びて季節ごとにさまざまな花が咲く。 チョウやハチなど昆虫もたくさん見られるところだ。
スベリヒユとモロヘイヤ 2012-09-20 06:25:20 | 近所 スベリヒユ(スベリヒユ科) 伊勢原のほうを歩いていたら久しぶりにスベリヒユの花を見た。 よく見るとバッタが潜んでいる。 スベリヒユは午前中の短い間だけ咲いて、後は苞の中に隠れてしまうので花を見ることが少ない。 前に近所で見たときは8時半ごろに咲いていたのが2時間後には跡形もなくなっていた。 今回は10時半ごろに見たので何かの条件で咲く時間が違うらしい。 今まで見たスベリヒユの中では一番大きい花だったかったかもしれない。 モロヘイヤ(シナノキ科) さらに歩いているとモロヘイヤがあった。多分栽培されているのだろう。 カラスノゴマと同じシナノキ科と知っていたが花を見たのは初めてだ。 食べるほうからすればモロヘイヤは葉が命だからか花の数は少なかった。 葉元の方に2本のヒゲのようなものが出ているのが面白い。
田んぼの畦に 2012-09-18 06:22:33 | 近所 稲刈りを待つ田んぼの畔にいろんな草花が咲いている。 ゲンノショウコ(フウロソウ科) 関東では白花が主流のゲンノショウコ。昔は整腸生薬として用いられたらしい。 ミゾカクシ(キキョウ科) ミゾカクシは生薬としても用いられたかもしれないが別名をアゼムシロというほどで、 蔓延ることの印象が強かったようだ。 ちょっと変わった形の花で、キキョウ科の仲間だそうだ。 コマツナギ(マメ科) ピンク色のコマツナギ。茎がたくさん分岐して横に広がって稲穂のすぐ脇まで迫っていた。 田んぼのまわりには赤トンボの種類も増えた。 これはその中の一つミヤマアカネ。 翅の先の方の模様が特徴だ。
小豆と大豆 2012-09-17 06:26:18 | 近所 田んぼの稲穂もよく色づいて場所によっては稲刈りが始まっている。 上瀬谷の田んぼも間もなくであろうか。 薄い網をかけているところに黄色い花の蔓が延びている。 ヤブツルアズキ(マメ科) 黄色い花に小さな莢の実も出来ている。 ヤブツルアズキは小豆の原種だそうだ。 伊勢原・日向の田んぼの畔には5mmぐらいの紫色の花が咲いていた。 ツルマメ(マメ科) 紫色の蝶形弁の姿が可愛い。 ツルマメは大豆の原種だそうだ。 小豆の原種の花が大豆の原種の花よりうんと大きいのも面白い。 ツルマメの近くでじっとしていた蛾の仲間。 ベージュ色を基調に薄い紅が入っている。ベニスジヒメシャクかそれに近い仲間なのだろう。
彼岸の先駆け 2012-09-15 06:56:25 | 近所 ヒガンバナ(ヒガンバナ科) お彼岸まで1週間。今年はヒガンバナが遅いらしい。 それでも先駆けがポツリポツリと咲き始めた。 つぼみは茎の先でうっすら赤い。 根元の方を見ると斜面などでは球根がむき出しになっているのも多い。
青森市内 2012-09-14 06:46:42 | 旅行 旅行の最終日は三内丸山遺跡など青森市内をまわった。 なんとなく遺跡は山の方にあると思っていたが新青森からバスで10分ぐらいの近さで驚いた。 三内丸山遺跡は縄文時代前期から中期の大規模な集落跡だ。 発掘調査により住居跡、土器、石器、木製品に骨角製品などが見つかった。 さまざまな形式の住居跡のいくつかでは建物が復元されている。 掘立柱建物。 大型竪穴住居。長さ10m以上。 竪穴住居には茅葺き、樹皮葺きのほかに土葺き住居もあったそうだ。 縄文の家づくり体験というのをやっていた。3ヶ月あまりかけて造るらしい。 柱の下の方を焦がしてあるのは腐食を防ぐ昔の人の知恵だ。 これは4.2m間隔で並ぶ6個の大きな穴。 ここから最大径1.03mもあるクリの柱が出土したそうだ。 ここに建てられていたであろう6本の柱は建物だったのか非建物だったのか説が分かれている。 目的や用途も祭殿など宗教施設、物見やぐら、見張り台、天文や季節の基準を知る施設などと見方が分かれる。 大型掘立柱建物 青森県では建物説にたって県内のクリの幹高を参考に高さ約15mで3層床の建物を復元した。 屋根は構造や材料について検討不足ということを理由に復元しなかったようだ。 この後バスで 棟方志功記念館 を訪ねて たくさんの板画を鑑賞した。 つぎに行ったのは青森県立郷土館。 青森県の考古、自然、歴史、民俗、りんご、先人などの展示や児童生徒や一般むけのイベントが用意されている。 つがる市に三内丸山より後の縄文時代晩期のものとされる亀ヶ岡石器時代遺跡がある。 江戸時代から多くの土器などが勝手に発掘され亀ヶ岡物として人気があったらしい。 その後、明治と昭和から正式な調査と発掘が行われ土器、石器、木製品、漆器などが出土した。 北海道から東北南部にわたる広大な範囲で同質の文化が営まれたようで亀ヶ岡文化と呼ばれる。 この土偶は遮光器土偶と呼ばれる様式で女性の目の部分がイヌイットが雪中で着用する遮光器のような形をしている。 最後に青森港、青森駅方面まで歩きベイブリッジを渡って八甲田丸を見てきた。 1908年(明治41年)から1988年(昭和63年)まで青森と函館の間を結んだ青函連絡船。 旅客と鉄道車両を載せて津軽海峡を渡った。 八甲田丸は1964年8月に就航し1988年3月13日下り7便、青森側最終便として運航終了した。 今はメモリアルシップとして青森港に係留されている。 青函連絡船というと思い浮かべるのは「津軽海峡冬景色」。 この碑の前に立つと石川さゆりの歌声が流れてくる。 4日間、さまざまな青森を見ることが出来て楽しかった。 長い旅行記をお読みいただきありがとうございました。
下北半島 2012-09-13 06:23:17 | 旅行 東北旅行の3日目。「まさかり」のような形の下北半島の観光。 「ぐるりんしもきた」というガイドつき乗合観光バスでまさかりの刃の部分を周ってきた。 まずは本州最北端の大間崎から北海道を望む。曇り空だが、うっすらと函館山が見える。 残念ながらマグロの陸揚げの様子は見えなかったが、 ウニや昆布などの海産物を買ったり食事したりも出来る。 おこぼれを狙ってかカモメ、ウミネコ、カラスがたむろしていた。 マグロの串焼きを買って食べていたら突然バサッとやってきて気づいたらひとつ無くなっていた。 江ノ島のトンビと同じく油断禁物だ。 大間崎から少し南下して佐井で遊覧船に乗り換えて仏ヶ浦に向かう。 このあたりは断崖絶壁が続き冬には陸路も限られるそうだ。 白緑色の凝灰岩が2kmほど連なり長い年月をかけて波や風雨に洗われたさまざまな造形美が見られる。 個性的な岩々には呼び名があるようで、これは五百羅漢だとか。 この地を旅した大町桂月は「神のわざ 鬼の手づくり仏宇陀 人の世ならぬ 処なりけり」と読んだ。 宇陀とはアイヌ語で浜のことで、こんなに素晴らしい浜には仏が住んでいるに違いないということか。 そう広くない砂浜は極楽浜と呼ばれている。 さまざまな岩を羅列してみよう。これは仁王の顔。 蓬莱山の針の山 双鶏門 屏風岩のフクロウ 屏風岩の鷲 如来の首 弁慶の太刀跡。北へ逃亡する義経を守る弁慶が追手をなぎ払ったときにできた・・・? バスは海岸から内陸の山地に向かう。 さきほどは極楽浜だったが、この三途の川を渡ると地獄だ。 三途の川は火山のカルデラである宇曽利湖から流れ出している。 その湖畔の砂浜から少し上がると硫黄などのガスが噴出する岩場が広がっている。 恐山は比叡山、高野山と並ぶ三大霊場の一つ。 ここは恐山菩提寺。恐山は山の名前ではなく山号なのだ。 貞観4年(862)に慈覚大師円仁が開山した天台宗の修験道場であったが、現在は曹洞宗の寺院である。 大師堂。 夢のお告げに従い当地を訪れた慈覚大師は火山ガスの噴出する風景を霊山と確信して、 延命地蔵菩薩一体を彫刻し本尊として開山した。 人々は長きにわたって「人が死ねばお山に行く」という素朴な信仰と祈りを伝えてきた。 何か「おどろおどおろしい」イメージを植え付けたのは戦後のテレビなどのマスメディアだ。 今はイタコの姿もめったに見られない。 境内に温泉もあり誰でも利用できるが今回は時間がなかった。