横浜のほほん

横浜のはずれで、のほほんと暮らす男の見聞、考察、感想をつれづれに記す

蕾・花・実

2005-06-30 19:27:35 | 近所
普通の植物は、種、蕾、花、実(種)と繰り返して生きていく。おかげで我々は季節ごとにいろんな形を楽しめる。
これまで漠然と植物の前を通り過ぎていて、名前や蕾・花・実の関係をほとんど知らない。
くちなしは栗キントンに入れる実しかしか知らなかったが、今年花を覚え、きょうは蕾もいいなと分かった。


いろんな方の記事でヒメヒオウギスイセンという花を教えてもらった。
家のすぐ近くの雑草の中に一本だけ生えている、この蕾はもしかしてヒメヒオウギスイセンなのでは?
花ひらくのがたのしみだ。


きのうは元いた会社の株主総会で東京まで出かけた。
毎日通っていた道に、見たことのない大きな花が咲いている。
こんな花が前からあったのか。
帰ってから調べたら、これぞエンゼルストランペット、名前を聞いたことはある。


家の近くに戻ると公園の森の入口、緑の中に小さく白い花が咲いている。
厳密な名前はハナゾノツクバネウツギ、普通アベリアという。
このアベリアも意識すると町のあちこちで見かける。
常緑で花の咲く期間が長いので人気があるようだ。


キイウイは実の方を先に知っていて、花は今年になって分かった。
逆に、五月に愉しんだ近所の藤の花は、こんな実をつけるマメ科の植物だったのだ。
今にこの実ははじけて勢いよく種をとばすという。そんなところを見たいものだ。
寺田寅彦の随筆などによると12月ごろのことらしい。


最近、ある人がヤマモモをたくさん収穫してヤマモモ酒やジュースにしたと書いておられた。
そんな話を妻にしていたら、翌日だったかそのような実が公園の木の下にいっぱい落ちている、と言う。
見に行くと、たしかにヤマモモらしい。
手の届く範囲には無いけれど、3メートルぐらい上にはたくさんの実がなっている。
来年は蕾や花の姿を見よう。



梅雨さなか

2005-06-29 17:02:25 | 歳時記


      梅雨最中  
       
どくだみも咲けば
         
にくからぬ     (弦四朗)


つゆさなか、とは言えない日が続いたが今朝は雨で、植物にはありがたい。

義父は、四人の子供の中で一人だけ遠くに住む末娘に、
頻繁に葉書を送ってくれた。
さらさらと絵を描いて句や近況を添えたものが多かった。
この葉書は18年前の六月のものだ。


日本丸総帆展帆

2005-06-28 16:48:34 | イベント
この前の日曜日は、帆船日本丸の総帆展帆(そうはんてんぱん)の日だった。
日本丸は航海練習所の練習船として、1930年に進水した。1984年に使命を終えて翌年以来、横浜みなとみらい・ランドマークタワーの近くに係留されている。


ふだんは帆を畳んでいるが、月に一度ぐらい総帆展帆して市民らを楽しませる。
総帆展帆とは総ての帆を展ろげるということである。
今回はボランティア86名と専門の乗組員12名で作業を行う。女性も30名以上いる。

伝統の準備体操を入念に行った後、マストへ登って行く。登る途中は命綱なしだ。


帆桁に取り付いて、まず帆を畳み込んでいるロープをほどいて行く。
作業の安全は3点支持が基本。
帆桁の下1メートルほどの所に張られたロープを両足で確実に踏ん張る。これで2点だが、両手は作業に使うので残る1点は自分の腹だ。
おなかをしっかり帆桁につけることで体を安定させるのだ。
この作業中は命綱をつけている。


3本のマストに各6枚の帆が有るほか、船首、船尾、マストの間の帆を合わせると全部で29枚の帆がある。
詳しくは知らないが作業の順番が決まっているらしい。風向きによっても多少違うようだ。


全部のロープがほどかれて展帆の準備が完了した。
まず船首の帆が張られる。


下から2番目の帆がひろげられる。3本のマスト同時だ。たくさんの人が掛け声にあわせてロープを引く。
3番目の帆は帆桁ごと上へ張って行く。3トンもあるとか。5番も帆桁を上げるくちだ。


こうして一番上まで展帆すると、船尾の帆も張られる。


最後に一番下の3枚の帆がいっせいに張られて完了だ。
畳むときはほぼ逆の手順だが、帆桁の上で畳み込む作業はかなりの力が必要のようだ。
実際の洋上では風雨でも、暗闇の中でも作業しなければならないので大変だったろう。
展帆、畳帆とも1時間かかる。



かって  太平洋の白鳥    と呼ばれていた。


なおAQUARIUMさんが畳帆の様子をきれいな写真で伝えておられる。

三渓園の半夏生

2005-06-27 21:10:48 | あれこれ
はずれとはいえ一応横浜市民なので、横浜らしいところも記事にしてみよう。
日曜日、みなとみらいで日本丸を見たあと三渓園を訪ねた。

ちょうど昼だったのでバスを降りたところでパンを買う。
入ってすぐの藤棚の下で池を眺めながらパンを食べた。
水彩画のサークルか中年の人たちが、えんぴつや絵筆を走らせている。

菖蒲はまだまだ盛りで、あちこちで絵や写真の対象になっている。

すぐ近く、一面にハンゲショウがあるのに驚いた。


池を少し離れた道をたどると色んな花や木に出会う。ギボウシ、早咲きの萩、ホタルブクロなど。
これはナデシコだろうか。ドクダミとの取り合わせが面白い。


梅の木がたくさんあって、実は十分熟れて下に落ちているものもあるが、収穫などはしないのだろうか。
初音茶屋に近い臥龍梅(がりょうばい)は下村観山の絵のモデルになったという。


歩き進むと、いろんな建物にも出会う。
外苑にも、今回行かなかった内苑にも、各地から移築された寺院、建築物、茶室、合掌造など由緒あるものが多数配置されている。
茶会などにはもってこいの場所なのだろう。二つの大学の茶道部がそれぞれ研究会を開いていた。

池に近づいてみると鯉がたくさんいる。
エサを投げてもらって群がる鯉の外側で、つがいの鴨がおずおずと様子を見ている。


時間が遅いのか睡蓮は開いていなかった。
となりの蓮池も蕾が固く向こうの紫陽花を望むばかりだ。


出口で係りをしていた80ぐらいのおばあさんに、あの大きい白い花の木はなんですかと、訪ねたら泰山木だという。
そして、白いネジバナを見ましたよと教えてくれた。場所を聞いてすぐ見に行くと、ひっそりと気品高く咲いていた。
どちらの花も電池切れに泣かされたが、記憶には残った。


追記:ドクダミの隣の花について、クロアジサシさんからセンノウの一種で「ガンビ」だと教えていただいた。やはりナデシコ科ではある。(7月1日)


布草履の道具

2005-06-27 10:39:57 | 家族


今朝は1時間ちょっと汗をかいた。
布草履を作るとき足の指に芯紐をかけて編んでいくのだが、楽でない姿勢が続く。
この道具に座布団を敷いて座って足指代わりにすれば、前作よりしっかりした布草履ができるという。
材料は近くの建材リサイクルで50円で買った板が一枚だけ。美しくはないが、がっちり出来た。



我が家のミニトマト2号が赤くなってきた。1号は先日、半分づつ食べてしまった。




ブログで教えてもらって、脇芽をとってコップで根を出し挿し木をしたのが2本、しっかり育っている。
感謝。
なお、その隣はサニーレタス。狭い庭でもいろんな食材ができてくれるものだ。

戸外の花、室内の花

2005-06-26 18:21:48 | 近所
ここしばらく冗長な記事が多かった。簡潔を旨とすべし、反省。

京都から帰って、しばらくぶりに歩くと、なじみのない花が咲いていた。
というより最初は、もう花びらが落ちて実になるのかなあと思った。
よく見るとちゃんとした花で、調べてみるとマトリカリア(キク科、ナツシロギク)だ。
遠慮がちの花びらが可愛い。



ご近所だけでなく我が家にも新しい花が咲いた。
おなじみのネジバナ(ラン科)。確かにネジのように咲き上がる。
ピンクの花が多いが、きょう三渓園ではじめて白いネジバナを見た。
写真に撮れなかったのが残念。


室内では、前に載せた短毛丸が今回は三役揃い踏みの形になった。
開き始めて2時間ほどで開ききった。
今回は同時に咲いた珍しい花と組み合わせてみた。


観葉植物のサンセベリア(リュウゼツラン科)の花だ。
昼間は閉じていて、夕方から咲き始める。6枚の花弁は大きく反り返って開く。
昼間は閉じているが、花の命は一日か二日かよく分からない。
蕾の頃から花茎に蜜がつき、なかなか甘い。




何有荘

2005-06-25 18:01:17 | 京都


疎水出口近くの、この洞穴の先に何がある。

何か有る様で何も無い。何も無い様で何か有る。

色即是空  色は有る物。  空は無い物。

何有荘(かいうそう)は南禅寺塔頭であったが、明治時代に三門再建のため売却され今は宗教法人の所有。裁判事件の舞台になっている。
疎水出口にむけての斜面を利用した大きな庭園で小川治兵衛作という。

庭への入口は、編笠様の飛泉門。
一花開天下春


右手に向かうと、神泉亭。床の下に流れを引き込むなど趣がある。
これも華の姿。人を写す。




鐘堂は塔頭時代そのままに残された。
このあたりから斜面を登っていく。









登りきると、茶室もある草堂。
近くには能舞台や展望台もあり、石川五右衛門・絶景かなの南禅寺三門を下に見る。ゆえに市内、西山、北山も一望だ。
眼下には本堂も見える。法華経寺なのである。


雨の日、草堂にはトンネルを通って来る事ができる。

トンネルは中で二つに分かれている。
閉鎖されている先を進めば冒頭の写真、「上の門」のところに出る。
明治天皇行幸のときは、上の門から入りトンネルをお成り道として利用されたという。


右手へ下っていくと、二つの茶室がある龍吟庵。  残月亭という待合を持つ。


本堂の目前に配置された大池は心字の池になっていて、疎水の一番水が瑞龍の滝から流れ込んでいる。
右手に連珠の滝、左手には龍吟の滝も。

写真にはないが、杜若か菖蒲も咲いていた。
聞けば、交配が進みどの花がどちらか分からないという。
平日の朝、庭園を独り占めであった。
17種類の紅葉があるらしいので、その季節は混雑し、上の門も開かれるという。



さて、何か有っただろうか。

南禅寺界隈

2005-06-24 17:46:13 | 京都
早朝の蹴上駅は閑散としていた。
改札を出ると、3人の若い僧とすれちがう。托鉢に向かうのだろうか。
インクラインの下のネジリマンポと呼ばれるトンネルを抜けて、しばらく歩くと何有荘がある。
9時開門と書いてあるので、金地院の前を通って南禅寺に向かう。溝を小魚が走っている。

静かな朝だ。
松のむこうの山門にも人影はない。


夜明けまで降っていたらしく夏椿も露にぬれている。


北側へまわると聴松院。ここは麻利支天なので、狛犬のかわりに猪が守っている。


野村美術館のあたりまで行くと、ノートルダムや東山学園へ通う生徒を見かける。

ここから脇道を抜けると南禅寺法堂と方丈の間に出る。
方丈への道もきれいに掃き清めれていたが、時間が早いので庭園の参観は諦めた。

水路閣をくぐった向こうにある南禅院への参道の敷石にに彫刻をみつけた。
2年前に、南禅寺開基亀山法皇七百年御忌記念として彫られたものだという。
万物形成の五元素、地(堅性)水(湿性)火(煖性)風(道性)空(円性)の五つのシンボルが彫刻されたらしい。
残念ながら残り4つは修復作業なのかカバーされていて見えなかった。
さて、これが何のシンボルに当たるか不明の徒には分からない。


この彫刻の真上が水路閣である。  色即是空。


水路閣の上部は文字通り水路になっていて、疎水の分水だ。
はるか琵琶湖からトンネルを抜けて疎水を流れてきた貴重な水が、哲学の道などを通って市内の浄水場に向かっている。



蹴上に戻って、疎水の出口に登ってみる。
ちょっとしたダムになっていて、これを利用して今も水力発電が行われている。
サギがじーっと佇んで何を考えているのか。
少し離れたところにはカモがこれもひとりで遊んでいる。
それを見る人間も私ひとりだ。


明治の半ばに大工事を完成させて、京都市民の水、電気事情を磐石にしたのが、若い技師田辺朔郎博士であった。


疎水は琵琶湖との間の舟運にも大いに使われた。
舟と荷物を岡崎動物園近くの舟溜りまで上げ下ろしするのが、インクラインという一種のケーブルカーであって、その動力には先ほどの水力発電が使われた。

困難や犠牲も多かったと聞くが、なんと壮大で総合的によく考えられた事業であったことか。


朝とは言え約2時間、いい汗をかいた。開門の近い何有荘へ行くことにしよう。

再会の喜びと感謝

2005-06-23 17:10:55 | あれこれ


JR太秦駅へ向かう道の脇にクチナシが咲いていた。
朝から歩いて少し暑かったところにさわやかだ。


駅に着くと、すでに先生はじめ参加者が談笑していた。
ご挨拶して他の参加者の到着を待つ。


今日は高校1,2年でお世話になった、S先生の74回目の誕生日を祝う会を行うのだ。
先生は数学を教えていただいたほか、1年生のあるクラスの担任でもあった。
物事を真っ直ぐ考え、真摯な態度で我々生徒に接していただいた。
生徒にとって残念なことには、3年生になるときに先生は退職された。先生26歳の時だ。
上智大学で神学を専攻されたあと、ずっと信仰の道を歩んで来られた。
今は東京の大きなカトリック教会の司祭をしておられる。

大部分の生徒は47年ぶりにお目にかかることになるのだが、人柄にひかれて40名も参加する。

近くの嵯峨野高校へ移動すると、幹事の尽力で授業中にもかかわらず、先生が校舎内を案内してくださる。
木造だったのが4階建てになっていて、パソコンやプラネタリウムなど特別教室も充実している。
校庭に昔の茶室もそのまま残っているが、加えて4階に和室があり4つの炉を切るようにできている。

校長先生から現況をお話いただいた。発展ぶりに、みんな感心する。
仲間のなかには子供、孫も嵯峨野高校という者がいた。



みんなで写真を撮ったあと宴会場へ向かう。
鷹ケ峰の「しょうざん 光悦芸術村」の料亭、千寿閣だ。



幹事から、先生に誕生日のお祝いと、お世話になったお礼を述べたあと乾杯し会食に入ったが、今日ばかりは飲食にはあまり興味がない。
先生にもご挨拶と、近況を話していただいた。ずっと信仰心と奉仕の精神を持ち続けておられるのがよくわかる。
先生は、これまでに何冊も神学の本を翻訳出版されている。ごく最近、イタリアの最も高名な枢機卿に会われて、その方から直接に本を手渡され、この本を翻訳するようにと勧められたと大変感激し、また感謝もしておられた。
74歳にして、大きな仕事に取り組まれる意欲をお聞きして、驚くばかりだ。
このような先生に教えられ再会できたことを、あらためてうれしく思う。

明朝早くからミサがあるからと夕方にお帰りになった先生を見送ったあと京都駅前で2次会。
先生の喜寿のときに、また集まろうかなどと言いながら、同窓生同士で別れを惜しんだ。



付録:本阿弥光悦ゆかりの 「しょうざん」 の風景

北庭、茶花宴、あじさい園などの庭園がある。


北庭にある北山杉の台杉。台杉とは一本の親杉から幾本もの垂木が取れるもので、500年近い歴史があるという。
酒樽茶室も珍しい。


千寿閣の近くに御土居が残っている。豊臣秀吉が荒れた京都を整理し洛中洛外を分けるために築いた土塁。
今は市内3ヶ所しか残っていない。


ほかにも染色工芸館、染色ギャラリー、いくつかの料亭・レストランに加えて、チャペルもある。
おりしも国際結婚のおふたり、新郎のお父さんにコングラチュレーションと言ったら、とても嬉しそうだった。




ポケットに デジカメ

2005-06-22 23:00:22 | あれこれ
同窓会が盛り上がって帰るのが遅くなった。
京都のことは整理して明日以降書こう。


これは2年間愛用のデジカメだ。鏡に映して撮ったので裏向けになっている。
望遠も接写もないが私の技術に見合っている。
なによりシャツの胸ポケットにも入るのが便利だ。
いつも持ち歩いて何かの時にはすぐに使う。
何かの時の例を挙げてみる。

あ、これだ。ブログで教えてもらったものを見つけたとき。

木苺は区役所へ行く途中の垣根にあった。


あれ、ちょっと違うかな と思うとき。

ほんのり赤いのがいいなあと近づくと、ナンテンの木のようだけど、
ナンテンの花はもっと白いんじゃない?
よく見ると蕾はピンクでも花は白い。近くには蕾のときから白いものもあったが、品種の違いなんだろうなあ。


ほおー、面白い。愉快、珍妙、感心そういう風景とか状態を見たとき。

トウモロコシにしてはまばらに植えられていると思ったらクリの若木だった。


名前の分からない花をみつけたとき。
とにかくカメラに覚えてもらって、調べる手がかりにする。

近所の木に咲くこの花、名前が分からなかったのでパチリ。
家に帰って妻に聞いても、写りが悪いせいもあってか首をひねる。
図鑑でも出てこない。妻がひょこっとザクロかなと言う。
あの家にはザクロの実がなるから、同じ花が咲いていればザクロだと。
行ってみると、たしかに同じ花だ。
ザクロの独特の実は知っていても、花とは結びついていなかった。

ザクロの蕾から実までの変化を観察してみたくなる。




これからも、このカメラと一緒にいろんなものを見てみよう。

梅の実

2005-06-21 16:50:54 | 家族

ヤンキース松井が負傷とのニュースの日(左下小さい写真)、
妻の友達から南高梅の少し傷があるのを頂いた。
さすがに梅干には無理だが、いいところを選んで梅シロップに仕込んだ。
(もちろん、私じゃありません)
残りは梅ジャムにする。自然の恵みを無駄にすることはない。
梅ジャムは、まず弱火で煮て柔らかくなったら裏ごしし、
蜂蜜、砂糖を加えてアクを取りながら煮て出来上がり。



そうこうしていたら、次の日また同じ人から南高梅ではないが、
無傷のいい梅を9kgもいただいた。
4センチ以上の大物だ。
1kgほどはすぐに梅酒に漬け、残りは黄色くなるのを待って梅干にする。
梅酒の場合でも、水洗いヘタを取り拭き乾かし、梅と氷砂糖を交互に入れて焼酎を加えるといった結構な工程がある。

梅干の場合は、漬けた後もさらに手間がかかるようだ。



例年より大量なので梅ジャム、梅シロップ、梅酒と容器が大変で、梅干用は買い増しが必要になった。
もう少し完熟のほうが良いのかも知れないが、妻の大奮闘で二つのカメに3.5キロずつ漬けこんだ。
7月下旬に土用干しをすれば、おいしい梅干が出来上がるそうだ。

松井、負傷がいい方向に行って、週間MVPになり良かった。



**** ****
これから日本語教室、
そのあと京都の同窓会に行くので、
丸1日いません。

花たちのその後

2005-06-20 17:42:14 | 近所
これまで名前をはじめて知った花をたくさん登場させてきた。
花すらはじめてだから、それがどう変わっていくのか知る由もなかった。
こういう花たちのその後を写しとってみよう。

まず、これだけは実の方を先に知っているキイウイ。
特徴のうぶげもあり、しっかり成長している。4センチぐらいだろうか。
しかし収穫までにはまだ数ヶ月かかるらしい。

つぎはユリノキ、まだ青い実だ。そのうち色が変わって種が飛ぶのだろう。
この種は翼をつけて飛ぶという。
写真では分かりにくいが、翼になる部分が何重にもなって、花の蕾に似ている。



出世花かと書いたヘラオオバコは、出世しつくして来年の種を用意している。
代わって傍には、たくさんのアカツメグサが咲き、蜂を呼んでいるところだ。

美容柳や金糸梅は、まだまだ咲き誇っているが、これらの花はどんな実をつけるのだろうか。
仲間のピンキーフレアーを見れば想像つくだろうか。
この花は、「その後」がすぐに来る、いわば同時進行だ。
蕾が順々に美容柳のような花になっていくのに、早いものはもう真っ赤な実になっている。
ヒペリカムのうち切花として人気があるらしい。



さて最後はレースフラワー・・・と書いてみたが、この花の名前はまだ確信しきれない思いがある。
売っているレースフラワーはこんなに密でなく上品な感じもするし、ニンジンの花と似ているとも思える。
確かにレースフラワーもニンジンもセリ科なので花は似ているのだろう。
セリ科のほかの花も調べてみたが、これぞと思うのが見つからない。
まだいっぱい咲いているが、花が落ちると、こんな形になる。
アカスジカメムシはセリ科の植物が大好物だという。

名前が分かっても分からなくとも、生物たちは次世代への生命の営みを続けている。




追伸:
掲載後、akiiyさんから「ノラニンジン」のことを教えてもらいました。
詳しくは akiiyさんのコメントを参照してください。
私も、ノラニンジンだと思います。
レースフラワーとしたのは私の不明の致すところでした。

茅ヶ崎散歩

2005-06-19 19:07:23 | あれこれ


先日の海浜ウオーキングの後は、茅ヶ崎の住宅街を駅まで歩いた。
車道のすぐ脇の玄関のアジサイが、よく手入れされて通る人を和ませている。
蒸し暑い中、白い一重の夾竹桃がさわやかだ。



どこの家もちょっとした草花を置いて楽しんでおられるようだ。
アガパンサスは蕾いっぱいでもう少し遅ければ見られたのに・・・

ユリオプスデージーが古木のように見える。黄色い花がいくつか新しい茎の先に咲いていた。



しばらく歩いていると思いがけず良い所に行き当たった。
川上音二郎の別荘だったところが整備されて、高砂(たかすな)緑地という公園地帯になり茅ヶ崎市美術館もある。
木々の多い公園の一角に、平塚雷鳥の石碑がたっている。
「元始、女性は太陽であった。真正の人であった。」青鞜創刊号の言葉だ。
そして庭園、茶室、書院をそなえた松籟庵がある。
しんとして落ち着く。
梅の花の季節には賑わいそうだ。



ひっそりとホタルブクロの咲く道の先に、睡蓮の池があった。
蓮の下にはカメが何匹も動いて、ときどき顔を出したり、葉を持ち上げたりしている。

海岸とはまた違った穏やかな空間だ。
充実した一日になって良かった。


 






上へ 上へ

2005-06-18 17:17:08 | 近所

バーバスカム(ゴマノハグサ科) 
こちらのお宅は庭の外、門前スペースに多くの草花を丹精しておられる。
ラベンダーの後にすっと立つ姿が見事だ。花穂に黄色い小花がつぎつぎと咲く。

そこから少し行くとまた背の高い花が咲いている。

あざみに似た大きな葉が特徴のアカンサスだ。
花も面白いが、下のほうが咲き始めてからもう3週間以上になるのに、まだ上まで咲き揃わない。
丈も息も長い。
電柱に並んで背比べをしているのか、まだ上へ伸びようとしているのか。
この電柱の5m先に はみだしモノは切られる のケヤキがある。
このあたりの道が狭いので、電柱は庭にお邪魔しているのだ。

アカンサス(キツネノマゴ科)



電柱が民家にお邪魔しているのは、あちこちで見られる。
茅ヶ崎では、塀のツタが電柱について上へ上へと伸びていた。
藤沢の電柱のように、いずれ先端まで到達するだろう。
あとは、  電線は、続くよ、どーこまでもー 




サザンビーチ へ

2005-06-17 19:39:16 | スポーツ
湘南海岸ウオーキング


今日は海浜ウオーキングを行った。
江ノ島の近くの片瀬西浜を起点として、砂浜をはだしで歩いた。
海の家の建設がたけなわの海では、サーファーたちがいい波を待って楽しんでいる。
近くから自転車で来るサーファーにはこんなキャリアが必需品。
ビーチバレーコートが何面もある。休日は賑わうのだろう。



砂浜を歩くといっても、波が洗っているところ、少し湿ったところ、砂利のあるところ、乾いた砂地とそれぞれ歩き心地がちがう。
下の私の足跡の場所はかなり歩きやすかったが、ほとんどの場所はかかとが沈みこみ思ったより歩きにくい。
足の裏はたっぷり刺激され足ツボ健康法の効果まちがいなし。

こんな魚が打ち上げられていた。空にはトンビが悠然と舞っている。



茅ヶ崎東海岸あたりに来ると、ヘッドランドがある。
ヘッドランドは砂浜からT字型に沖へ突き出した消波ブロックで、釣りを楽しむ人も多い。
サーファーの姿はこのあたりが最後だ。
サザンビーチの突堤の釣り人、片瀬からここまで釣れている人を見なかった。



砂浜のゴールは、サザンビーチ。
サザンオールスターズにちなんで名づけられた。日本のサーフィン発祥のビーチでもある。
上の写真の釣竿の向こうの方に小さく写っているのが、サザンの歌「チャコの海岸物語」に出てくる烏帽子岩だ。
最近、茅ヶ崎サザンCというモニュメントが作られた。
右側に二人が立って、Cを円にすれば縁(円)結びになるという。
また不完全な円(縁)を完成させて幸せな家庭を形作る「思いやりの輪」だとも。


茅ヶ崎駅まで歩く道にも興味深いものがあったが、ここでは割愛する。
合計10km、うち砂浜8km、うち裸足6km のウオーキングであった。