横浜のほほん

横浜のはずれで、のほほんと暮らす男の見聞、考察、感想をつれづれに記す

玄関を飾る花

2005-11-30 12:59:09 | 家族
我が家の玄関を入ると2種類の季節の花が置いてある。

シャコバサボテン(サボテン科)

まず毎年たくさんの花をつけてくれるシャコバサボテン。
白いのはまだ蕾で、2階のベランダで出番を待っている。

 

改良した国と花の季節にちなんで、デンマークカクタスともクリスマスカクタスともいう。




シクラメン(サクラソウ科)

もう一つは、きのう近所の知人からいただいたシクラメン。
シーサーは家の外が普通なのだろうが、門柱もないので玄関にいる。



今はシクラメンの種類も色も豊富になったものだ。
 真綿色したシクラメンほど清しいものはない 
 この花を見ると、自然に口ずさむ。
布施明の「シクラメンのかほり」、もう30年も前になる。

キチジョウソウ

2005-11-29 14:26:01 | 近所

キチジョウソウ(ユリ科) 吉祥草

我が家のキチジョウソウが咲いている。
わりあい地味な花だ。
この花が咲くと吉事があるというので、こんな名前がついたという。


 我が家のキチジョウソウ            日本語教室の近くで、花が旺盛。

吉事があるというのは、ほんとう?
この花は、隣家から株分けしてもらった。
もちろん、隣家でも咲いている。
日本語教室へ行く途中でも咲いていたし、薬草探索会のときも咲いているのを見た。

 

根茎が横に延びて株はたくさん増えるようで、むかし自生しているのを見て
葉が多い割りに花が目立たなかったために、
花の咲くのが珍しいと思われたのかもしれない。
今は普通に咲くようだ。
普通が吉事ということだろう。


葉が束になっている脇から花茎が伸びている。

花は下からだんだん咲き上がる。
この写真では分かりにくいが、上のほうの花にはメシベが無い雄花がつく。
下のほうに、6本のオシベとちょっと色の違うメシベが見えるのが両性花だ。

赤い実がなるが、ならないことも多いらしい。
楽しみにしよう。




地味な実も

2005-11-28 17:04:05 | 近所

横浜西部のこのあたりは、ケヤキの古木も多いがヒノキも多い。
高校の文化祭は、校庭の木に因んで檜祭と呼ばれている。


ヒノキ(ヒノキ科)

このごろ赤い実が目立っているが、木には地味な色の実もある。
ヒノキの実は、1cmぐらいのサッカーボールだ。
もう少し茶色が濃くなると、はじけて種が顔を出すのだろう。


コノテガシワ(ヒノキ科)

仲間のコテガシワは、葉も実がはじける様子もヒノキに似たところがある。
しかし実の形は、かなり違う。
下の7月15日に使った写真で分かるように、若い実はコンペイトウのような形をしている。
あまり注目されない地味な実にも個性があって面白い。



ものの見方、考え方

2005-11-27 17:04:17 | あれこれ
今朝のラジオで、
俳優の大滝秀治さんが話していたこと。

「馬には乗って見よ、人には添うてみよ」
という言葉がありますね。
ちがう世界が見えるでしょう。

北海道でバスに乗っていて
前をキツネが横切った時、
「あ、キツネ色だ」と叫んだら、
みんなが笑ったんだ。
ほんとうにキツネ色なんだよ、
笑い事じゃない。

若いとき民芸の例会で、宇野重吉さんが
「やめようと思うことも才能だよ」と話された。
次の例会で、瀧澤修さんが
「続けようと思うことも才能だよ」と話された。



このベビーカー、長い間ぶら下がっている。

紅葉いろいろ

2005-11-26 17:29:23 | 近所
今は紅葉の季節でどこを歩いても、紅や黄色などに色づいた木を見ることができる。
紅葉する木の種類は数えきれなくても名前を知らなくとも、、美しいものは美しい。
とはいえ珍しい木の紅葉があると聞くと、どんなものかと興味が湧いて訪ねたくなる。

モミジバフウが紅葉していると聞いて、藤沢街道を南へ10kmほどサイクリングした。


モミジバフウ(マンサク科)

フウは楓と書くが、カエデ科のカエデ類とは異なる。
この街路樹のモミジバフウは昨年まで、このように紅葉しなかったそうで、
個体によっても色づきの度合いがかなり違っている。
面白い実をつけるらしいが、見かけなかった。




常泉寺に寄った後、帰り道は小田急の西側の線路沿いを走った。
名前も知らないが池をめぐるこじんまりした公園があって、
紅葉が目についたので立ち寄った。


ハウチワカエデ(カエデ科)

羽団扇か葉団扇か、いずれにしても大きな葉だ。



池の向こうには、おおきな木が何本も紅葉している。
それを良く見ると、紅葉の中に白い粒々がいっぱいある。


ナンキンハゼ(トウダイグサ科)

池畔をまわって、近寄って見ると果皮が弾けて白い実が顔を出している。
そうか、これが白い実のナンキンハゼなのだ。
先日(旅で見た木の実など)の加悦では、まだ緑色のナンキンハゼの実を見た。
思いがけず、こんなに早く、白い蝋質の実に出会えたのは嬉しい。



脇道には恵みがある。




旅で見た木の実など

2005-11-24 16:21:33 | 旅行
今回の旅行中、あちこちで花や紅葉や木の実を見た。
これまでの記事中では一部しか出していないので、ここにまとめておく。


津和野の森鴎外旧宅近くの鮮やかな紅葉はドウダンツツジ。
斑入りのツルニチニチソウがグラウンドカバーのようになっている。

 
同じく津和野の西周の旧宅の庭になっていたマンリョウの実も真っ赤だ。
対照的なシロミナンテンは、津和野の殿町にあった。


秋芳洞の入口近くの森に見えていたのは、ムサシアブミ。
同じサトイモ科のマムシグサに似ているが、近くのお土産屋さんの店先に同じものがあってプレートにムサシアブミと記されていた。
鐙の形の花も見てみたいものだ。

 
湯田温泉の朝、ホテル近くの太田公園を散歩して見つけた花はマロウというのか
ゼニアオイというのか。
初日に広島駅から明日に乗ってしばらくすると、街路樹に黄色い実がいっぱい生っている。
何だろうと、ずっと気になっていたが、瑠璃光寺の駐車場で同じ実を見つけた。
帰って調べた結果、センダンと分かった。
前に取り上げたキク科の雑草センダングサは、センダンに葉の形が似ていて名付けられたそうだ。


錦帯橋の吉香公園で見つけたクロガネモチは、たくさんの実のかたまり方に特徴がある。


丹後加悦のリフレかやの里というところに植えられた、背の高さぐらいの木の
紅葉の中をよく見ると、実がはじけて朱色の種が顔を出している。

 
実は津和野の裏通りで、紅葉は進んでいないけれど同じ実を見つけて、これも何だろうと気になっていたものだ。
マユミにも似ているけれど、茎に翼が付いているのが面白いなあと思っていた。
写真では分かりにくいが、右側の加悦の木の茎にも翼が付いていて、
帰宅後これを頼りに調べたらニシキギと分かった。
マユミはニシキギ科だから似ているわけだ。

 
リフレかやの里で、クコとボケ。
ボケが秋や寒に咲くことは、ときにあるようだ。

 
ナンキンハゼの紅葉はこれからだし実もまだ緑色で、もう少し寒くなると白い蝋になるのだろう。
右側のピンクの実(?)は何だろう。
リフレかやの里のプレートには、カラタネオガタマと書いてあったが、
調べてもこれと同じような画像を見つけることができなかった。

ほかにノイバラやヒイラギナンテンもあったが、ピンボケ写真になってしまった。

旅行関連の記事が延々と続いてしまったが、これで完とする。


鉄斎と加悦

2005-11-23 21:26:36 | 旅行
ツアーを離れて、丹後の加悦を訪れた。
ここは息子の妻の実家がある所で、いま本家所蔵の富岡鉄斎の襖絵が展示されていると聞いたのだ。

縮緬の町でもある加悦は、古墳時代から優れた文化が育まれてきた。
俳人・与謝蕪村は母の生まれたこの地に長く滞在したという。
歌人・与謝野鉄幹の父で僧侶歌人の与謝野礼厳もこの地に生まれ、
それを偲んで鉄幹、晶子夫妻も加悦を訪れた。
さらに蕪村、鉄幹、晶子の足跡をたずねて多くの文人が当地を訪れている。

加悦町の江山文庫は、豊中市の里見恭一郎氏から寄贈された数多くの
短歌・俳句関係資料を保存活用するために、平成6年に設立された。
義父弦四朗の句も額や短冊の形で収納されている。
江山文庫ホームページ


江山文庫の庭

江山文庫では、俳句・短歌などに関わるさまざまな催し、展示会が催される。
今回は秋季特別展として「鉄斎と加悦」が開催されているので観に来た。

富岡鉄斎は雪舟と並ぶ代表的な水墨画家だ。
鉄斎は明治31年63歳の時に加悦を訪れ、10日ほど滞在しさまざまな絵を描き残した。



展示図録の表紙は、所蔵の家の床の間の部屋(鉄斎が滴翠館と名付けた)の写真で
「煙波世界」四面、「白雲雙肩」四面の襖絵と「扶桑国鎮山」の扁額が見える。
これらを含めて襖八面、掛軸七点、扁額三点のほか、鉄斎使用の硯、墨、筆が
展示されていた。

文人を大事にした加悦の地で、鉄斎が気持ちよく闊達に筆を揮ったことが感じられる。


近くには、4~5世紀の蛭子山古墳8基、作山古墳5基があり、
円墳、方墳、前方後円墳などがそろっている。

旅行4 錦帯橋・平和記念公園

2005-11-23 11:08:20 | 旅行
岩国へ向かう山陽自動車道は、台風14号の被害により、まだ一部不通だ。
年内には復旧すると言う。

錦帯橋 山上に岩国城を望む

錦川の河原が駐車場だ。

錦帯橋は長さ199m、幅4.8m。
台風14号により橋脚の一部が礎石ごと流され修復工事中だ。
その時流されてきたドラム缶が橋桁に挟まって、今も残されている。
往復300円を払って錦帯橋を渡る。段があるので注意して歩かなければならない。



橋を渡りきった左側には佐々木小次郎が燕返しを編み出した巌流ゆかりの柳がある。
正面へ進むと吉香公園を中心として、多くの史跡を見ることが出来る。
吉川家墓所、目加田家住宅、香川家長屋門、徴古館、吉香神社など多数、
短時間ではまわり切れない。


吉川家墓所にほど近い紅葉谷公園は比較的人も少なく
落ち着いて紅葉を愛でることができた。
この先を進むと岩国ユースホステルがある。


紅葉谷公園の一角に岩国出身の宇野千代さんの「おはんの文学碑」がある。
その辺りから六角亭を眺めると、ここも見事な紅葉だ。
六角亭は岩国出身の朝鮮総監が向こうで贈られたものを持ち帰ったものだそうだ。

 

目加田家住宅の隣には、白蛇観覧所というのがある。
関が原の戦いの頃、米蔵に住むアオダイショウが突然変異したものが遺伝して、
今も残っていると言う。
写真はここで生まれた白蛇の赤ちゃん。
公園の一角にあったモニュメントは、作者や由来などを調べたが50年近く前のものとしか分からなかった。


橋のたもとのソフトクリーム屋さん、100種類もあっては選ぶのに困りそうだ。

菖蒲園や牡丹園もあり、いろんな季節に見所があるが、
特に桜の季節は大賑わいらしい。




ツアーの締めくくりは広島平和記念公園。
原爆ドーム(旧広島県産業奨励館)
1945年8月6日午前8時15分、この上空580mで原子爆弾が爆発した。
人類が最も愚かで危険な一歩を踏み出した瞬間だ。
これがもたらした悲惨な状況は、そのごく一部を平和記念資料館で見ることが出来る。


原爆供養塔には今も7万人もの名前も分からない遺骨が納められている。
公園の中でも最も大事な場所であろう。


原爆の子の像。
2歳で被爆した佐々木禎子さんは10年後に白血病を発症し、
入院していた日赤病院で、千羽鶴を折れば病気が治ると
薬袋などで1羽ずつ折っていたが、ついに千羽折ることがないまま亡くなった。
級友たちが禎子さんの墓を作ろうと計画し、全国の学校などからの募金で、
この塔が出来上がった。
碑文には
「これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきづくための」
   とある。

今も毎日、全国から千羽鶴が届いている。



旅行3 秋芳洞・瑠璃光寺

2005-11-22 14:17:56 | 旅行
萩を出て西に向かい、金子みすずのふるさと仙崎から、遊覧船で青海島を観る。
1時間ほどで洞門や岩礁を眺めるが、湾から日本海に出ると少々波高く揺れた。

その後、こんどはバスに揺られて秋吉台に向かった。



秋吉台は130平方キロに及ぶカルスト台地で、3億年前のサンゴ礁による石灰岩が草原を作っている。
この草原へ入っていって、豊かな植物を観察したいところだが、今回はそうもいかない。

秋吉台の下には、30万年かけて水が石灰岩を溶かしてできた大きな鍾乳洞がある。

 秋芳洞入口
鍾乳洞の一部、1kmほどを歩く。
気温は四季を通じて17度。


黄金柱(こがねばしら) 
長い間積もり続けた石灰の柱


水滴に含まれていた石灰岩が溶け出して、天井から下がる鍾乳石や、床上の石筍を形成する。
この時いろんな条件により、さまざまに面白い自然の芸術ができる。



千町田とか百枚皿は洞内を流れる水により地表にできた模様だ。





駐車場近くに咲いていた、イソギク。
思わぬところで初めて出会った。


この後、湯田温泉に泊まったが、こんな市街地の温泉とは知らなかった。
50年も昔、京都からの汽車の行き先表示が小郡という時代に、父親が業者仲間と湯田温泉に宿泊したらしい。
そのとき以来、田舎の温泉だと思っていた。
夜の街には行かないが、温泉はいい湯だった。


瑠璃光寺五重塔

瑠璃光寺は曹洞宗のお寺で、五重塔は室町時代に大内氏により建立された。
和様、2階欄干のみ唐様で、桧皮葺屋根も美しい国宝である。
春は梅がきれいだという。

境内の一角にある香山墓所の前の石畳で拍手すると、きれいな音が返って来た。
珍しい鴬張りの石畳だった。

旅行2 津和野・萩

2005-11-21 21:46:41 | 旅行
今回の旅行中、至る所でツワブキが咲いているのを見た。
ツワブキの多い野ということから、津和野と呼ばれるようになったという。
この津和野は山口県だという思い込みがあったが、実は島根県である。
千姫救出後に失脚した坂崎出羽守の後を受け、藩主となった亀井氏が
城下町建設に力を注ぎ山陰の小京都と呼ばれる町並みを遺した。
今は石垣のみとなった津和野城址は山の上でリフトで登る。


太鼓谷稲成神社

少し離れた太鼓谷には、稲成神社があり信者も多く参拝する。
全国4万のお稲荷さんのうち、稲荷でなく稲成神社はここだけである。
願望成就の意味で「成」の字が使われているらしい。
本家伏見稲荷と同じように朱色の鳥居のトンネルが参道になっている。


森鴎外の生家  この旅行ではツワブキのほか南天の実も目立った

津和野川をはさんで、思想家・西周(にし あまね)の旧宅と文豪・森鴎外の旧宅がある。
どちらも藩医の家柄で親戚だそうで、藩校養老館で学び、西は養老館教授にもなっている。


殿町・養老館付近

養老館には剣道教場や槍術教場などが残されている。
まるまると太った鯉が泳ぐ掘割りのある殿町あたりは、造り酒屋など古い町並みをよく残している。
安野光雅美術館や葛飾北斎美術館もあるが、今回は見学の時間がなかった。


養老館掘割りの鯉




松下村塾

つぎに訪れた萩は、日本海に面した城下町。
明治維新およびその後の新政府の原動力になった人材を輩出したところである。
吉田松陰の生家付近は、今は松陰神社となっている。


幽囚の間

実家の杉家の一室に幽囚された松陰は慕ってくる子供たちに教え、叔父が開いた松下村塾を再開した。
その後江戸へ送られ処刑されるが、松陰の教えを受けた木戸孝允、伊藤博文、高杉晋作らが
日本を動かす力となった。芯のある若い力であった。


旧菊屋家

彼らの旧宅がある城下町には武家屋敷のほか商家もあった。
特に菊屋家は藩御用達の豪商で屋敷は今も2000坪の広さだ。


旧久保田家の庭

旧久保田家は幕末ごろの建物で昨年改修され無料で公開されている。
今回行ったときは、座敷を使って押し花展をやっており、立派な作品が多かった。



高杉晋作旧宅

高杉晋作の旧宅には碑があり
「西へ行く人を慕いて 東行く 心の底ぞ 神や知るらん」と記されている。
心の底は何であったろうか。
高杉は自らを東行と号した。


たわわな夏みかん

萩には夏みかんが多い。
萩の夏みかんは200年ぐらい前が最初で、その後廃藩置県で氏族の生活が困窮したとき、
旧藩主が氏族救済法として旧武家屋敷のあとの空き地に、
1万本の夏みかん苗木を植え10年後には町中が夏みかんで埋まったという。



萩のお土産は萩焼のほか、蒸さずにあぶって作る「焼きぬき蒲鉾」が有名だ。
この蒲鉾屋はNHKの「ためしてガッテン」に出演したことを売り文句にしていた。


旅行1 宮島

2005-11-21 16:19:29 | 旅行
16日からのツアー旅行に参加した。同行は約40名、年配が多い。
16日 新幹線で広島に行き、宮島泊。
17日 津和野で森鴎外のを生家などを見て、萩泊。
18日 萩の武家屋敷、青海島、秋吉台、秋芳洞と盛りだくさんで、湯田温泉泊。
19日 瑠璃光寺、広島平和記念公園の見学後、広島から新幹線。
    新大阪でツアーを離れて、京都の加悦泊。
20日 富岡鉄斎の襖絵を見学して帰宅。



今回は年配向けで比較的ゆったりのツアーであるが、それでも駆け足には違いないので、うかうかしていると見るべきものを見逃す。
宿に夕方4時ごろ着いたので、すぐに厳島神社参拝と紅葉を見に出かけた。
干潮の時刻で、大鳥居の下まで歩いて行ける。
神社は台風被害の修復を何ヶ所も行っていた。


大聖院大師堂をのぞむ

弥山(みせん)中腹の大聖院(だいしょういん)へ急ぐ。
ここは真言宗御室派のお寺で、少し階段を登るが紅葉が美しい。


愛染堂下の烏天狗

勅願堂の波切不動明王、観音堂の十一面観世音菩薩をはじめ
七堂にそれぞれ仏様がおられるほか、
境内のあちこちに羅漢やお地蔵さんなどの石仏が多数おられる。


仁王門には5百羅漢 


きれいな紅葉の楓の
その根元の自然のほこらには
お地蔵さん












境内にいた鹿の親子、夕方のフラッシュで目が光ってしまった。
宮島の鹿は夜には山に帰る。
野生のものということで、奈良のような鹿せんべいも売ってないし、
エサを上げないことになっている。
たくさん来ている修学旅行生は、ノートをかじられたりして大騒ぎだ。
(その後の情報では、鹿せんべいを売っているところもあるらしい)



紅葉谷公園に降りてきた頃は、もう薄暗く人影もまばらであったが、
赤や黄色の葉がきれいに色づいていた。

この後、みんなで屋形舟に乗って、海から厳島神社や弥山を観た。
ライトアップされた鳥居に、十六夜の月も映えてきれいであった。
いい写真が撮れず残念。


無事帰着

2005-11-20 20:04:14 | 旅行

木立ダリア(キク科)

16日から、宮島・津和野・萩・青海島・秋吉台・湯田温泉・広島・丹後加悦を廻って、
無事帰った。

宿が全てネット環境が整っていないので携帯投稿を試してみたが、
どのようになるのかサッパリ分からず、結果も見えずで気をもんだ。
案の定、写真が横向きだったり、添付したはずのものが添付されてなかったり散々だ。
後で修正することにしよう。いい経験になった。



錦帯橋

2005-11-19 18:04:45 | 旅行
(追記)携帯投稿の失敗写真を残す。



青海島、秋芳洞、湯田温泉を経て、岩国へ。
紅葉谷公園などを散策した。
広島平和記念公園を見学し、今のぞみ車中。
このあと皆と別れ丹後加悦へ向う予定。