![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/d7/4cf755d883461aae8ab056dc4d4c9c2d.jpg)
天使突抜を訪ねるために地下鉄を五条で降りて、
花屋町通りを西に歩く。
左に見えるのは東本願寺で、周囲には堀割が設けられている。
このまま進んで堀川通りを渡ると西本願寺がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/d0/98fd3ad468b9636c62bf980f699b4c8a.jpg)
いろんな小道をたどっていると、こんな建物に出会った。
なんとなく学校のように思えたが、
新しい建物なのにコンクリートの外壁でなく木の格子は珍しい。
ぬくもりを感じる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/47/da58678e3f62de6436a89bd0a7045f27.jpg)
敷地の一角を区切ったところにクスノキが青々として、
京都ならどこでも見られるお地蔵さんもいらっしゃる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/6e/cf719a4d33c7c9b01f5aea3d20e27764.jpg)
さらに横には石碑がいくつか置かれていて、
右側のは明治天皇行幸所下京第廿四組小學校と読める。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/62/b8ce53b16de72899c9a3e239d3495bac.jpg)
最近立てられた碑を見て、ようやく建物が中学校。
ここは明治2年に設置された下京第十六番組小学校を始まりとし、
下京第二十四区小学校、新楊小学校、尚徳小学校、尚徳尋常小学校、尚徳国民学校を経て
昭和22年に新制の京都市立尚徳中学校となったものだ。
尚徳は論語の 君子哉若人、尚徳哉若人 に由来している。
その後、市内の少子化が進み生徒数が激減したため、
平成19年3月に尚徳中学校の歴史に幕を閉じ、
近隣5校を統合して新設されたのが、この下京中学校だ。
京都市は市内産木材の需要拡大に力を入れていて、
間伐による森林整備もひとつの施策としている。
下京中学校の建設にあたって、
生徒たちが間伐体験をして間伐材を学校の内装や机、椅子にしたという。
これで外壁の格子が理解できた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/a4/aa4bbc02df3d35f048cccc5dd14f5a43.jpg)
私は京都市でも西のほうにある蜂が岡中学校に通っていたが、
この学校は少子化とは縁遠く当時は10クラス以上あった。
当時お世話になった先生が、尚徳中学校に転勤された後に退職されて、
錦小路でこの豆屋さんを営んでおられる。
80近いが、お元気な様子だった。
参考:論語の「憲問第十四、第六章」
南宮适問孔子曰、羿善射、奡盪舟、倶不得其死然。
禹・稷躬稼、而有天下。夫子不答。南宮适出。
子曰、君子哉若人、尚徳哉若人。
武力によって天下を取りやがて没落した羿(げい)・奡(ごう)にことよせて
当代の豪族を風刺する言葉を南宮适が孔子に投げかけた。
孔子はその旨を察し、心では賛成しながらも、肯定するのをさけて、退出するのを待ってから、
弟子たちに「ああいう人は君子だね。徳を貴ぶ人だね」とほめたのだという。