横浜のほほん

横浜のはずれで、のほほんと暮らす男の見聞、考察、感想をつれづれに記す

神輿草

2006-10-31 14:38:52 | 近所

トンガリ帽子に混じって、お神輿が何台も並んでいる。


ゲンノショウコ(フウロソウ科)
細い実が緑から茶色に熟すと、外側の5本の腕が開き始め
ついにはパチンと跳ね上がる。


腕の先に付いている袋の中の黒い実は遠くへ弾き飛ばされる。
この姿から神輿草とも呼ばれる。
花の姿は9月17日の ゲンノショウコ に載せた。


仲間のアメリカフウロは6月ごろに同じような姿を見せていた。



吉祥草とクッキー

2006-10-30 17:21:51 | 家族

キチジョウソウ(ユリ科)吉祥草
今年も家のキチジョウソウが咲いてくれた。


その家に良いことがあると咲くのでキチジョウソウと呼ぶらしいが、
鉢植えのせいか毎年ちゃんと咲く。


北海道の孫からクッキーが届いた。


九月生まれの私と十月生まれの妻と合わせての誕生祝だ。


母親の指導を受けながら自分で作ったらしい。
サクッとして美味しかった。



瀬谷フェティバル2006

2006-10-29 18:45:53 | イベント

きょうは上瀬谷通信隊原っぱで、瀬谷フェスティバル2006が行われた。
テーマは「わたしたちの地域から、みんなの地球へ」

ステージで音楽やパーフォーマンスが繰り広げられる中、
区内の100ぐらいの団体が出展して、多くの区民が楽しんだ。


飲食のテントもたくさんあって、
左のほうの白いついたてのような物のところでは中学生たちが、
ゴミの分別収集をやっている。


参画団体は地域、環境、健康、福祉などいろんな観点から
いろんなことを考えたり訴えたりしている。
SEYAスタイル・・・自分の住む地域のスタイルはどうありたいのだろうか。


大学のエコカー(ソーラーカーに水素ガスカー)も注目された。


私の所属するサークル「自然の語り部」もネイチャークラフト、
コマ作り、ミニ自然観察で参加した。


ドングリなど木の実や枝など自然の贈り物を使って、
ちょっと加工したり花の写真を貼ったり色を塗ったり。


こんなにいろんなものを選んで手軽に作れるので、
大人から子供まで人気が高く材料が足りなくなりそうだった。。


水槽の中には、会場の近くの田んぼから採集してきた
水生の生き物たちがいる。


ドジョウやザリガニのように大きいものから、
ヨコエビやカゲロウのように顕微鏡で見るものまで、
500人以上の子供や大人が観察してくれた。


オニヤンマやアキアカネのヤゴが結構人気の的になった。
モノアラガイやカワニナからホタルの話に発展することも多かった。


ドングリに穴を開けてツマヨウジを刺せばコマの出来上がり。
うまく回せたかな。


夜に雨が降っていたこともあって原っぱの一部は土が軟らかい。
シャトルバスがはまり込むハプニングもあったが、
昼前から日差しが強くなり大盛況のフェスティバルだった。

奥日光の生き物たち

2006-10-28 19:10:16 | 旅行

日光では紅葉や植物だけでなく、さまざまな生き物を見ることができる。
と言ってもカメラに収めるのは質・量ともに簡単ではない。
姿を捉えたというだけだが記録しておく。

この猿は朝早くホテルの窓の外に来たのをガラス越しに撮った。
車にも接近してイタズラをするので有名だが、今回は唯一ここで見ただけだ。


小鳥も何種類か見たが撮れたのはこれだけ。
キビタキだろうか。

地上では敷き詰めた落ち葉が上下にモゾモゾ動いている。虫なのか。
しばらく成り行きを見ていたが何かが顔を出すことはなかった。


湿原を流れる湯川では
カモたちが盛んに頭を水の中に突っ込んで何かを漁っていた。


突然3頭の鹿に遭遇した。
2頭は写真を撮る前に川を渡って行った。


可愛い鹿だけれど食害をもたらすので、
小田代原に入るときは特別な回転扉を通る。


小さな流れの浅瀬で動くものがあり、目を凝らして見ると15cmぐらいの魚。
マスの仲間かもしれないが名前は知らない。

じっくり腰を据えると、もっと多くの生き物に会えそうだ。

奥日光・湿原を歩く

2006-10-27 20:07:36 | 旅行

戦場ヶ原展望
奥日光には有名な戦場ヶ原と
その西側に小田代原(おだしろがはら)と、二つの湿原が広がっている。
赤沼というところを基点にぐるーっと回ってきた。


湿原のまわりの林はミズナラ林やカラマツ林で、ブナや白樺やダケカンバも混じる。


この林を歩かないで湿原入り口へ行くには低公害バスが運行している。
自然保護のため一般車の乗り入れを規制している。


小田代原の草紅葉の時期は少し過ぎてしまったが、
種類のちがう植物がモザイク模様を見せて綺麗だったことだろう。
向こうのカラマツの黄色い葉がよく目立つ。


ホザキシモツケ(バラ科、落葉低木)
夏には群生のホザキシモツケの花でピンク色に染まるらしい。


カラマツ(マツ科、落葉松)の林
マツの仲間にしては珍しく落葉する。
林の中を歩くと風に吹かれて、細かい針のような葉が体に降ってくる。
下草としては熊笹が多く見られる。


カラマツの実、小さな松ボックリも茶色くなっている。


戦場ヶ原で見た倒木の根っこ。
木道の脇にあって皆が触るのか、表面がつるつるだ。


中禅寺境内の紅葉
中禅寺湖周辺まで降りてくると紅葉の見ごろだ。
明日、明後日は人出が多いことだろう。

早朝の湯の湖つづき

2006-10-26 23:53:16 | 旅行

娘夫婦に連れられて、奥日光湯の湖へやってきた。
池袋で拾ってもらって佐野で高速を降り、
佐野ラーメンの老舗・森田屋で食べたラーメンが美味しかった。
そして夜の湯葉づくしも美味しく、硫黄水素泉でのんびりした。


朝日を浴びる山に白く見えるのはダケカンバだろうか。


中禅寺湖あたりで見ごろだったもみじの紅葉も、
このあたりでは黄葉が目立ち、早朝の山も湖面も輝いていた。


湯の湖は湖底から温泉が湧き出しているという。
湯気が朝もやのように見える。(ぼんやりした写真しか撮れなかった)

横浜ベイクオーター

2006-10-25 07:34:20 | 近所

ランドマーク・タワーを代表とする横浜みなとみらいのビル群は
まだまだ建設が進められている。


そこから運河をはさんだ東京寄りの場所はポートサイド地区と呼ばれ
少しへんぴな感じで開発が遅れていたが、8月に横浜ベイクオーターが開業した。


船のデッキをイメージしたデザインなのだろう。


特に選ばれたJAZZが静かに流れるフロアーに、おしゃれな店が並ぶ。


レストランも含めて75店舗ぐらいが入っているらしい。


この店は、とろけるブリオッシュとかいうのが人気で行列ができている。


6Fはベイガーデンという庭になっていて花を見ながら休憩できる。


何種類かの野の花もしっかり咲いている。
土に紛れ込んできたのだろうか。


横浜そごうとは動く歩道で結ばれて、
ここから山下公園やみなとみらいへのシーバスが出る。
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これから紅葉を求めに出かけます。
明日までコメントの返信ができませんがよろしくお願いします。

ヴォーリズの近江八幡

2006-10-24 12:02:34 | 旅行

東華菜館(1926竣工) 
子供の頃、四条大橋の東華菜館で中華料理を食べるというのは
何年に一度のことであった。
そんなにまれな家族での食事を終えたエレベータで、
花菱アチャコさんと乗り合わせた。
映画や写真で見た風貌そのままでニッコリと・・・なんと嬉しい。
「もう無茶苦茶でござりまするがな」
今や、アチャコという名前も口癖(ギャグ)も知っている人は少なくなった。

近江八幡に行こうと思ったのは、
ブログ友のきょんちさんにヴォーリズを教えてもらったことと、
高校の友人が最近訪ねて良かったよとの感想を聞いたからだ。
そのことと東華菜館が何の関係があるのだろうかと思われそうだが、
その友人と前日の同窓会で会った時に
東華菜館もヴォーリズの作品と教えてもらったのだった。


ヴォーリズ像
ウィリアム・メレル・ヴォーリズは1880年アメリカに生まれ建築を学んだ後、
1905年、八幡商業の英語教師として来日して以来近江八幡に住み、
キリスト教の伝道とその主義に基づく
社会教育、出版、医療、学校教育などの社会貢献活動を続けた。
建築設計会社やメンソレータム知られる製薬会社などの企業活動を展開した。


池田町洋風住宅街
1908年に京都YMCA会館の建築設計監督をした後、
池田町の赤レンガに囲まれた敷地に数棟の洋館を建築しアメリカ町と呼ばれた。


旧八幡郵便局(1921竣工)
その後も関西地区を中心に
教会や学校、病院、住宅、商業施設など千棟を超える建物を設計した。
近江八幡市内にも25棟ぐらいの建築物が残っている。
この郵便局は1961年まで郵便業務を行っていたが、
空家となって玄関アーチが取り壊されたりしたのを2004年に外観修復された。


旧居・ヴォーリズ記念館(1932竣工)
1919年に子爵令嬢、一柳満喜子と結婚し、日米対立の激化した1941年には
日本に帰化して一柳米来留(ひとつやなぎめれる)と改名した。
旧居の外観は質素であるが、内部は独立した洋室の間取りや数多くの収納空間、
さらに夫人のために日本の生活様式に合わせて和室を設けるなど、
生活面での配慮と機能性を重視した設計となっているそうだ。
彼の建築には日本の気候風土や住習慣に適合させながら実用性に重きをおき、
簡潔ではあるけれども豊かなデザインと親しみやすい空間を有しているという。

近江八幡に大きな影響を与えたヴォーリズは1958年に名誉市民第一号となり、
1964年に83歳の生涯を閉じた。

私は建築について詳しくないので、
その様式や細部のデザインの特徴などを伝えられなかった。
また諸般の都合で有名な大学や病院などの作品も紹介できなかった。

ヴォーリズとその業績は
ヴォーリズ委員会 および
一粒社ヴォーリズ建築事務所
のホームページで知ることができる。

近江八幡、駆け足でまわる

2006-10-23 15:05:38 | 旅行

日牟禮八幡宮
近江八幡は琵琶湖の東岸、大津と米原の中間ぐらいにある。
豊臣秀次が八幡城を築き八幡山下町を開町して以来の歴史をもつが、
それより古く縄文時代の早くから開けていたらしい。

八幡山の麓に日牟禮八幡宮がある。
社の鎮座のはじめは131年とも伝えられるが、
正暦2年(991)八幡山に「上の社」を祀り、
寛弘2年(1005)遥拝の社を麓に建て「下の社」となった。
八幡城築城にあたり上の社は廃されて「下の社」に統合されたらしい。


境内の能楽堂では毎年薪能が行われ、
この神社の能楽「日觸詣」(ひぐれもうで)が演じられるという。


左義長
また3月中旬の左義長祭と4月中旬の八幡祭という二つの火祭りが盛大に行われる。


ロープウエーで八幡山に上がると、秀次ゆかりの瑞竜寺や城址石垣がある。


コウヤボウキ
登山道をたどれば、いろいろな植物を見られたかもしれない。
山頂付近ではコウヤボウキが旺盛だった。


水郷・西の湖の向こうに見える手前の山に安土城址がある。


水郷めぐり
市街地から少し行ったところから、水郷めぐりの船が随時出ているようだ。


八幡城は築城後10年で秀次の切腹とともに廃されるが、
その後も町は近江八幡の町民によって商業都市として発展を続けた。
市立資料館は休暇の住宅などを利用して当時の様子を今に伝える。
そのひとつ歴史民族資料館では帳場風景や生活ぶりを再現している。


ここは八幡瓦の町でもあり、
かわらミュージアムでは鬼瓦をはじめ瓦の魅力をみることができる。


近江八幡市内では、
ここ「新町通り」のほか「永原町通り」・「八幡掘周辺」・「日牟礼八幡宮境内地」が
国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。
八幡山をのぞみ日本的な町並みだ。


それに対して八幡小学校の近くに洋風煉瓦塀の町並みがある。
これは近江八幡のもうひとつの顔を感じる部分だ。
このことは、次回に続く。


みんなで校歌を

2006-10-22 13:16:39 | イベント

   明けゆけば 近き山脈
   紫に あやにかがよひ
   山峡に 雲湧き起こる
   畑中に 立ちて想へば
   諸人の 世々培へる
   営みの 息吹きぞ深し 
     (後略)  山脈:やまなみ  山峡:やまかい
      作詞 新村 出
      作曲 團 伊玖磨

広辞苑で有名な新村先生が作詞された校歌は、ほかに知らない。
四番まで格調高い歌詞が続き、その深い意味を必ずしも理解できていないが、
みんな誇りに想いいつまでも忘れることはない。


30年前に第1回を行った高校の同期会はこれが16回目。
8期生なので末広会と呼ぶ。
3時間余の会はあっという間に終ってしまったが、
来年は修学旅行50周年として同じコースを回ろうということが決まった。


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翌土曜日の朝は、寺町のお寺でお墓参りをした。

22日は時代祭と鞍馬の火祭だが、今回は見ないで帰った。
京阪電車の特急がラッピング電車で、ちょっとだけ時代祭を感じさせてもらった。


鴨川を歩いてアレチウリ(画面手前)が蔓延っているのを見た。
多摩川でも問題になっていると、先日の新聞に出ていた。