横浜のほほん

横浜のはずれで、のほほんと暮らす男の見聞、考察、感想をつれづれに記す

江ノ島の鳥たち

2012-01-31 06:27:16 | 近所



龍口寺のある腰越から江ノ島方面へ歩いていくと遠くの方に海鳥がたくさんいた。






ウミネコであろうか。
のんびり浮かんでいるかと思うと魚をとるかのようにダイブするものもいる。






家の近所を流れる境川の河口でもあるので淡水でお馴染みの鳥たちもいる。






近づくとアオサギはすぐに飛び立ったがカワウはしばらく様子をうかがって・・・






やっぱり飛び去ってしまった。






家の近所だとムクドリは群れで見ることが多いが、ここには2羽だけでいた。
何となく、つがいかなあと思った。







江ノ島で一番ポピュラーな鳥はトビにちがいない。
何羽も空を旋回し、時には頭のすぐ上を飛んだりする。うっかりお弁当は広げられない。


西鎌倉から江の島へ

2012-01-28 07:23:02 | 近所


新林公園の自然散策路に獣落とし(ししおとし)が残されていた。
猪や狸などを捕るために掘られたもので上部に笹の葉などをかぶせて落とし穴にしたものだ。
こういう方法は縄文時代からあると思うが、ここのは明治時代ぐらいに使われたものらしい。







川名清水谷戸ではヤブタバコの実が枯れ残っていた。

ここから江ノ島方面へ歩くことにした。







大船から江の島まで走っている湘南モノレールの下を通る。







道を迷いながら歩いていると立派な金のなる木があった。







カネノナルキ(ベンケイソウ科) カゲツ
咲き揃うと見事だろうなと思いながら通りすぎる。







腰越の住宅街を通り抜けると龍口寺に出た。

寂光山龍口寺は日蓮聖人「龍ノ口法難の霊跡」として弟子の日法聖人が開いたそうだ。







境内で見かけたキノコ。サルノコシカケの仲間だろうか。
バラの花のようでもあり松かさのようでもあり面白い。







龍口寺の門前を江ノ電が鎌倉へ向けて走って行った。





新林公園と谷戸

2012-01-26 06:59:57 | 近所



藤沢駅の南東1kmほどのところに新林公園がある。






梅、桜、藤、紅葉など一年を通して市民の憩いの場になるようだ。






江戸時代、遊行寺近くの柄沢の名主だった小池家の住宅が移築公開されている。






暖かくなると木道をめぐって湿生植物や虫などを観察できそうだ。







ちょっと登ると尾根道が自然散策路になっていて江の島など相模湾を展望できる。







新林公園の東側には川名清水谷戸がある。
先日の笹窪谷のほか石川丸山谷戸とあわせて藤沢三大谷戸と呼ばれているそうだ。

ここは笹窪谷とちがって畑、田んぼ、ハス田などが残っている。







奥の方には池もあって生物たちの種類も多いのではないかと期待される。







池の上に延びた枝に黄色いものが見えて最初はウスタビガの繭かと思った。
よく見るとルアー(疑似餌)が引っかかっているのだった。
グルーギルなどの外来魚が放流されてしまったのは残念なことだ。




アオジ

2012-01-24 06:31:24 | 近所


家のすぐ近くでセグロセキレイを見た。
近所の畑あたりでハクセキレイは多いけれどセグロセキレイは珍しい。
小さな川が流れているおかげだろうか。







上瀬谷の田んぼのそばでは今シーズンはじめてアオジを見ることができた。







目先が黒くなっているのは雄だという。







雌はなんとなく優しい感じがする。






藤沢の谷戸

2012-01-21 07:01:12 | 近所



藤沢・湘南台から少し西へ行ったところに慶応義塾大学湘南藤沢キャンパスがある。
大学のほかに中学高校も併設されている。






その北側の小道をたどると林や竹林があって・・・






その間に笹窪谷と呼ばれる谷戸が残っている。
小さな流れも見られて昔は田んぼがあったのだろう。






道沿いに道祖神(猿田彦大神)があって人の往来があったことを示す。
関東大震災の前までは11軒の家があったそうだ。







春になれば植物や虫たちがいろいろ見られそうな場所だ。







空を見上げるとノスリらしい鳥が旋回していた。







始めて行った場所なので道の具合がよく分からなかったが、。
何とか通り抜けて藤沢少年の森というところにたどりついた。
青少年野外活動施設でキャンプ施設、アスレチックコース、芝生広場、池などが 設置されている。

フォークダンスの銅像に高校生ごろのことを思い出す。






そのころあった4Hクラブという青少年活動もなつかしい言葉だ。
今は全農業青年クラブ連絡協議会という名前で活動が続けられているそうだ。


キカラスウリ

2012-01-19 06:32:32 | 近所



近所の木に蔓が絡みついて熟した実がいくつも吊り下がっている。







キカラスウリの実だ。
赤く熟すカラスウリの実よりちょっとだけ大きめだ。







誰かの食べ残しか、落ちていた実を覗いてみると果肉の中に種がいっぱい。







果肉を取り除いてみると柿の種みたいな形だ。


↓ カマキリの頭か打ち出の小槌のように見えるカラスウリの種とちがって単純なものだ。






野鳥が少ない?

2012-01-17 06:28:01 | 近所


今年は水鳥初め冬の鳥の姿が少ないと言われている。
たしかに泉の森のカモたちも少なめだしルリビタキやミソサザイの姿も見ない。






しかしカワセミは留鳥なので変わらず見ることができる。






この前、トモエガモを狙っていたら私も撮ってとばかりに手前の枝に止まった。







そしてその下に水を飲みに現れたのはツグミのようだ。







ツグミやシロハラなどもやはり今年は数が少ないらしい。







水の飲みの後は、たくさんあるトウネズミモチの実を喜んで食べていた。



からの繭

2012-01-14 07:23:33 | 近所


気候を見定めるかのようにちょっと膨らんだ白い梅。






その背景に見えた黄緑色は、ウスタビガの繭が下がっているのだった。
秋に羽化するので空家だと思われる。






別のところで見た繭には小さな穴があいていた。
ここから出たわけではなくて水抜きのために用意されているものだそうだ。






この大きなものは何だろう。ヤママユガの繭だろうか。

繭はみんな空家だとすると、どこかに卵があって越冬しているにちがいない。
いつか見つけたいものだ。


マサキとコマユミ

2012-01-12 07:28:28 | 近所


家の近所でマサキは家の垣に多いほか畑の境界とか目印として植えられているように見える。






マサキ(ニシキギ科)
マサキはマユミと同じニシキギ属で実が4つに弾ける。






コマユミ(ニシキギ科)

市民の森の大きな木の間でヒョロッとした木に小さな実をつけているのはコマユミ。






コマユミはニシキギの一品種で、実の姿は全く同じだ。
若い枝に翼がつかないところが違う。





江戸東京博物館

2012-01-10 06:33:42 | 近所


両国国技館のすぐ隣に江戸東京博物館がある。
今、平清盛の特別展をやっているので覗いてきた。
残念ながら写真は撮れなかった。
特別展 平清盛





  
ホールに置かれた熊手は縦4m横3m重さ400kgの大きなものだ。
酉の市を知らせるために上野駅に展示されていたもので、鷲神社(おおとりじんじゃ)から寄贈された。
十一月酉の日に行われる酉の市(酉の祭)は来る年の開運、授福、殖産、除災、商売繁昌を祈るお祭で、
参道に並んだ露店で縁起熊手を売り買いする光景は十一月の風物詩の一つだ。





徳川家康座像(芝東照宮木造のレプリカ)

5F、6Fの常設展は撮影ができる。
江戸東京の都市と文化、そこに暮らす人びとの生活を見ることができる






江戸城 松の廊下 ミニチュア

展示場は江戸ゾーンと東京ゾーンに分けられており、
浮世絵や絵巻、着物、古地図など約2,500点、大型模型など約50点あまりが展示されている。






中村座

江戸ゾーンは芝居小屋中村座 助六の舞台 三井越後屋 両国橋西詰 棟割長屋などからなる。
中村座(なかむらざ)は、江戸にあった歌舞伎劇場で江戸三座のひとつ。座元は中村勘三郎。
1624年(寛永元年)、猿若勘三郎(初代中村勘三郎)が現在の京橋の辺りに創設したもので、
天保の改革によって浅草へ移転したが 明治26年火災で焼失した。

現代、18代目中村勘三郎が浅草などで平成中村座公演を行っている。







寛永の町人地。

当時の様子をミニチュアで見られるのも面白い。






日本橋北詰あたり。町人や武士が往来し見世物に立ち止まる人々。
店先に米俵のようなものを積んでいる商家も見える。







こちらはずいぶんにぎやかな通りだ。







これは両国橋。
両国は花火見物や夕涼みの場所でもあり見世物などの小屋が立ち並んで賑わったようだ。







東京ゾーンは朝野新聞社 鹿鳴館 銀座煉瓦街 電気館 凌雲閣 モダン東京 ヤミ市 空襲と都民からなる。







明治時代の銀座。
人力車が横転して人が倒れている。その傍では車夫らしき者が取り囲まれ足蹴にされている。

ミニチュアの一つ一つがさまざまな生活・風俗を表わしているので興味深い。







明治36年、浅草六区に日本初の映画専門劇場・浅草電気館ができた。
昭和51年に閉鎖されるまで数多くの映画を上映し観客を集めた。






「アントニーとクレオパトラ」は大正3年上映のイタリア映画で、弁士染井三郎の名文句が話題となった。
「星うつり物変わり、春秋ここに二千年、いまなお渡る旅人の噂にのこる物語、
ローマ史劇アントニー・エンド・クレオパトラの全巻の終わり・・・」






戦争中の下町。 ガラスに張られた紙。 防火用水。
退くな逃げるな必死で消火!!  撃ちてし止まむ  ぜいたくは敵だ。






そして終戦後に登場した輪タク。今はなつかしい。





相撲

2012-01-08 06:19:41 | 近所


今日から大相撲初場所が始まる。

富岡八幡宮は江戸勧進相撲発祥の地。
1684年に幕府より春秋2場所の勧進相撲が許されて以来100年にわたって境内で本場所が行われた。

明治33年、第12代横綱陣幕久五郎を発起人に歴代横綱を顕彰する碑が本殿右側に建立された。







初代 明石志賀之介を筆頭に 69代 白鳳 までのしこ名が彫り込まれている。







新横綱誕生時には相撲協会立会いのもと刻名式がおこなわれ、新横綱の土俵入りが奉納される。

2007年5月に横綱となった白鵬の場合10月4日に横綱力士碑刻名奉告祭が行われたそうだ。







表参道の右手には大関力士碑もあって歴代大関の四股名が彫り込まれている。







巨人力士身長碑、巨人力士手形足形碑、 強豪関脇碑、 釈迦ヶ嶽等身碑等一群の顕彰碑も並んでいる。







巨人力士身長碑に記された NO.1 は 七尺六寸(二米三十)の生月 鯨太左エ門だ。


 




身長第二位の大空武左エ門の手形にも驚かされる。







現代の大相撲と言えば両国だが、昔は本所と呼ばれていて忠臣蔵で有名な吉良邸もあったところだ。








界隈には時津風部屋、出羽の海部屋、大島部屋など多くの相撲部屋があるが、
場所前のお昼すぎであったせいか力士たちの姿を見ることはなかった。







国技館。 東京ではスカイツリーが写り込む風景が多くなった。







高見盛関の幟がずいぶん目立った。






新大関が誕生したことでもあり、初日から大入りになっているであろうか。





おことわり : 都合により当分の間、週3回程度の更新(原則、火木土)とさせていただきます。

深川あたり

2012-01-07 06:58:24 | 近所


松の内。深川から両国あたりを歩いてきた。
地下鉄門前仲町駅からそう遠くないところに成田山 東京別院 深川不動堂がある。
梵字で囲まれた新本堂も昨年完成して参拝する人で賑わっていた。







さらに進むと富岡八幡宮でも長い行列ができていた。
寛永4年(1627年)に応神天皇を主祭神として創建されて以来、深川八幡として親しまれてきた。








境内では猿回しが笑いをとる。







参道脇には日本―の黄金大神輿が収納展示されている。
3年に1度の例大祭・神輿連合渡御は昨年の予定であったが東日本大震災に配慮して今年に延期された。







境内には17の末社があり、境内右手駐車場近くの七渡神社もその一つだ。
祭神は市杵島姫命いわゆる弁天様で創建は富岡八幡宮よりはるか前の奈良時代に遡るといわれる。







八幡宮から北へ仙台堀川を渡ったあたりに清澄庭園がある。
紀伊國屋文左衛門の屋敷跡で明治に入り岩崎弥太郎が買い取り回遊式林泉庭園に仕上げたそうだ。

この時期なので水鳥の数も多かった。







昭和7年から東京都の庭園として公開され季節ごとに楽しめる工夫もされている。







藁囲いの冬牡丹はまだ少しだけ早かった。


この後、深川飯(漁師由来のあさり丼)を食べて両国に向かった。



黄色い花

2012-01-06 06:44:53 | 近所


レンギョウ(モクセイ科)

冬から早春にかけて増える黄色い花たちがそろそろ咲きだした。







近所で見られるレンギョウはシナレンギョウとチョウセンレンギョウが多いそうだが、
この木がどちらなのか詳しい区別は知らない。

4枚の細い花弁でちょっとか弱く見える







ソシンロウバイ(ロウバイ科)
素心蝋梅を見かけることも多くなった。まだ蕾の方が多いが・・・







ソシンロウバイは花弁と萼が多くてふっくらとした柔らかさを感じる。

しばらくすると素心でないロウバイも咲き始めることだろう。

トモエガモ

2012-01-05 06:14:42 | 近所


泉の森の池には渡り鳥たちがいっぱいだが、それよりずっと下流でポツンと泳ぐカモがいた。






トモエガモの雄だという。初めて見た。






頭の模様が巴のようになっているのでついた名前らしい。
暗いところにいて緑色がきれいに出ない。







左の羽が少し痛んでいるために仲間と分かれて降りてきたのかもしれない。

夜行性なのでこういうところで昼間は何時間も寝ている。






目を覚ますと、やおら立ち上がって羽ばたきを何回もする。













下へ降りてきてもう一度。  なんとなくユーモラスな格好だ。






そして食べものを探しに行く。






草の間を盛んにつついている。






この近くは両岸がコンクリートだが、上流は岸辺に上がれるのでドングリを食べたこともあるそうだ。





冷たくないの?

2012-01-04 07:29:05 | 近所


ああ、見えなくなったよ・・・草の中の方に入り込んだかなあ。






割合に暖かいといっても我々には真似ができないが、好奇心旺盛な子供たちは元気だ。






冷たい川には入れないが、上のほうにチラホラ咲いているシバザクラを見るだけで十分楽しい。